KAITOのタイニーゼビウス(1)


「あんたたち、『しゃべるマイコン』だね」電脳空間(サイバースペース)上に構成されたベンチに腰掛けた老人は、そのベンチの傍のエリアを通りかかった二体のVOCALOIDにそう言った。「知っておるよ。わしも昔、そういう小さな箱を持っていたんだ」
 初音ミクは一体どう答えようか迷った。おそらく、それは何か違うだろうと思うのだが、なんだかその言葉の老人の認識自体の意味がよくわからないので、答えようがない。
 しかし、ミクの傍らのKAITOは、ええ、その通り──自分達は喋ったり歌ったりするコンピュータシステムですよ、と老人に微笑みながら答えた。
「わしのその箱も、しゃべるだけでなく、歌うこともできた。PC-6601だ」老人はいたく喜び、KAITOに自分の大昔持っていた箱について語り始めた。ミクが傍から聞いている限り、それは小さな家庭用のコンピュータユニットのことらしかった。それもどうやら、現在の電脳空間端末などからは、様相自体が想像もできないような原始的な代物らしい。プログラムが、音楽用カセットテープに記録されていたこと。読み込み(ロード)に毎回何分もかかったこと。老人はデータレコーダ(PC用のテープ読み書き専用機)さえ買えなかったが、ラジカセで代用がきいたこと。意味不明すぎて、ミクは昔話としての実感さえ持てなかったが、KAITOは笑みながら聞いていた。
 ……ミクが合間を見て、その周辺の電脳区画を動いている人々に聞いてみたところ、この武田という老人は、電脳空間ネットワークの憩い場であるこの公園を模したエリアの、このベンチに、何年もずっと座りっぱなしとのことだった。物理空間の肉体の方は、老人、というより、すでに人間とすら言いがたいものであるという。どこでどういう状態になっているか詳しく知る者はいないが、推測によれば、《千葉(チバ・シティ)》かどこかのクリニックにある培養槽(ヴァット)の中で、人間というより、生体組織の塊のようなものになってしまっているらしい。身寄りもなく、身元自体もよくわからないまま、介護施設と称するそうした収容クリニックで、ただ延命され続けている、とのことだった。精神衛生を保つため、そうした患者の槽(ヴァット)は大抵が仮想空間に接続されているが、この老人は電脳空間ネットワークに接続、没入(ジャックイン)したきりになっており、つまり肉体はそんな状態で、精神だけがずっと電脳空間にいる。だが、精神の方も活動しているとはいいがたく、ここに投影された、ありし日の姿らしい正装の老人の電脳イメージは、このベンチから何年もずっと動いていないようだった。
 そして、今KAITOとミクの目の前にいるその老人の「精神」の方も、やはり「老人」とすら言いがたいものだということがわかってきた。壊れたレコーダーのように断片的に情報を流すのみのそれは、むしろ「老人の思い出の断片」そのものだった。しかし周りの人々によると、これまでは、この老人は喋ることがあっても今以上に断続的で意味不明であり、今のKAITOほど、まともに長く話を聞いている者はこれまでいないという。KAITOとミクをその『しゃべるマイコン』の一種とやらだと思い込んだことが、老人のそれに対する記憶を、たまたま引き出したのだろうか。
ゼビウスを初代PC-6001の低すぎる性能に無理矢理移植して、とうとう『タイニー(tiny, 小さな)』をつけて出さないといけなかったのが、タイニーゼビウスだ」武田老人は、KAITOが聞いてくれることが実に嬉しそうだった。「実際には、BGMにはゼビウスのあの有名な『貴方も定時だ私も定時だ』もなくて、うなり声のような単音が続いているだけなんだ。なのに、面の開始のときの、あの曲はちゃんとあるんだぞ。ほら、あの……ううむ……」老人は曲を思い出そうとして、果たせないようだった。
「『ゼビウス』の開始のところ……ええと……」ミクは、ふと思い出したものがあって、口ずさんだ。「らーんら ららららんら らーん♪」
「それだ、それだよ、お姫さん」老人が笑みかけた。
 ミクはまったく別の仕事で、大昔のゲームコンソールの音をカバーすることがあったのだが、『ゼビウス』という題名以外のことは何も知らずにいた。(→ニコ動 →ようつべ
「武道館──アンドアジェネシスがな。NES、ファミコン版ゼビウスでは、ただの地上の背景として処理されていたのに、タイニーゼビウスでは背景と一緒にスクロールせずに、一応はちゃんと浮遊していたのさ」
 もはや、ここまでくるとミクには中の単語すら意味不明だった。正直KAITOにもそれらがわかっているとは思えないのだが、しかしKAITOは老人に笑みかけ、相槌をうち、さらに混沌としてゆく話を、長々と、喜んで聞き続けるのだった。


(続)