カップ焼きそば名産現象

「ぺヤングとゴキブリがどうのという巷の事件のせいで、『初音ミクのあのぺヤングのコラボ歌がどうの』とか騒いでいるVCLDファンたちがいるんですけど」東北ずん子が、長い黒髪と和装を振り乱すように、鏡音レンの方に身を乗り出した。「でも、《札幌(サッポロ)》のVCLDのあなたがたとは、元はぺヤングもゴキブリも、何も縁のない話じゃないですか!」
「……いや、何の話?」
 『縁』など考えたこともなかった、というより、最近ニュースもネットもろくに見ておらず、事件も噂も知らなかった鏡音レンは、そのずん子から身を引くようにあとじさった。彼女の匂うような見事な黒髪と、真冬でも根本までむき出しの手足だけでもレンには目の毒だが、さらに顔を近づけて喋るのはなんとかしてほしい。
「だいたいゴキブリへの嫌悪とか、凄いトラウマ物みたいに煽ろうとしたって、本当は北海道の人たちは、ほとんど見たこともないんでしょう!?」
「うん、それは確かだね……」レンは答えた。「実感がわかないよ。ボクも画像以外では一度も見たこともないし、道にずっと住んでる人は、ほとんどは実物は一度も見ないまんま終わるんじゃないかな。最近は暖かい所なら見かけないでもない、って姉さんは言ってたけど」
「大昔、日本各地にヒロインが12人散らばってるってギャルゲで、北海道担当の本命ヒロインの苦手なものを『ゴキブリ』なんて設定した、マジにド素人のヌケサクなライターがいたんですけど」ずん子は眉をひそめ、低い声で言った。「本命ヒロインだから潔癖少女がいかにも嫌いそうなものにしとけばいい、という安易な発想のみならず、地域モノを作るのに自分のイメージを優先させて、ろくに調べもせずに肝心の地域性をないがしろにする態度、わたし、許せません!」
 ずん子は弓術で鍛えた、胡桃も握り潰せる拳をぎりぎりと鳴らし、
「あなたがたが、同じような嘘をやってるって、わかってますか!?」
「いや、何、嘘って……」
「あなたがた北海道民なら、ぺヤングじゃなくてやきそば弁当でしょう!?」
 レンは面食らった。……が、最初は何を言われているのかさっぱりわからなかったところ、ようやく少しは筋道が見えてきたような気はした。
「……いや、確かにこっちじゃ、普通はやきそば弁当だけどさ。ぺヤングはほとんど見ないけどさ」
「ぺヤングは北海道からは一部小売店以外は撤退した経緯があるんですよ! なのにそんな北海道民の貴方がたが、ぺヤングの歌なんてうたってる場合じゃないですよ!」
「場合じゃないとか言っても」
 VCLDの歌う歌詞は単なる曲の作者の着想でしかない。曲はVCLD自身と関係あるものないもの、あずかり知るもの知らぬもの、無数に存在する。VCLDは「音そのもの」を送り出す以外に目的はなく、したがって「心」やら「作者」の事情如何には一切影響されない。それが無数に歌うVCLDの使命である。と、レンはMEIKOに教わった。
「なんでそんな話をするの……?」
 そもそも、なぜ『北海道民とぺヤングやゴキブリの関係が薄い』という話で、東北ずん子がそこまで怒るのか、レンにはここまでの話でもさっぱりわからなかった。
「なぜって、私も焼そばバゴォーンしか食べられないからですよ!」
 ずん子がその商品名を叫ぶように発声したところで、レンは思わず飛び上がった。
「あの……なんなのそれ……?」
「東北・上越限定の製品ですよ! 北海道のやきそば弁当と同じですよ! わたし、昔からカップ焼きそばといえばバゴォーンです! 同社のやきそば弁当に似てますがソースがだいぶ少なめで甘味控えめ」
「なるほど」レンは味を想像した。
「わたしも東京(トウキョウ)で仕事が来た時は、バゴォーンが手に入りにくいでしょうし、忙しい時は3分ぺヤングを余儀なくされることもあろうと思いましたから、一生懸命慣れようとしましたけど」ずん子は口の中の味を思い出すような苦い声で、「でも、どうしても慣れないんですよ、あの味! UFOの方はなんとか我慢できるけどぺヤングはいつになっても苦手! 貴方がたもそうですよね? 北海道民なら、やきそば弁当とやきそばできました以外のソースの味は受け付けない、ってなるでしょう!?」
「いや、それは……」
 正直、レンはやきそば弁当もぺヤングも、嫌になったりならなかったりするほど食べた覚えなどない(そもそも──はたして読者が記憶しているかはわからないが──レンが北海道生まれといっても、その道内で過ごした期間の大半とは、北大(ホクダイ)工学部の迷宮の奥にあった電子ジャーの中に、MIRIAMとMEIKOによって閉じ込められていた期間である)。
「なのに、あなたがたのコラボ曲のせいで、ネット上では『VCLDで焼きそばの話をするときはぺヤングの歌』ですよ! 何かファンに嘘をついているという気がしませんか!? ぺヤングがトラブルで食べられないとか元々たいして関係もない話ですし、あのコラボ曲にも影響がとかの勝手な噂も、まるであずかり知る話じゃないですよ! いえ、そんなことよりですね、自分の食べて育った地域産品をもっと盛り上げようとは思わないんですか!?」
「いや、こんな事件が起こってから、急にそんなことを言われたって……」
「ローカル色を出せとまでは言いませんが、東京製でなく地域発のVCLDであるという自覚を持った行動を常に心がけることで、他の地域も奮い起こすことになるって、わたし、そう思います!!」
 と、そのとき不意に、両者の背後の闇の中から別の声がした。
「……なるほど、筋金入りの郷土心、その食品の嗜好も長年に身にしみついたもの。さらに他のVCLDにまでアピールを怠らない。地域アイドルとしても非の打ちどころのない宣伝力といったところだな……」
 どこかレンに似た(正確には、鏡音リンのGENをやや下げた声に近い)その女声は、そこまでは淡々と評したが、
「──ただし、その『東北名産食品へのこだわり』……VOCALOID界隈じゃあ2番目だ!!」
「2番目!?」ずん子が思わず叫んだ。「じゃあ、1番は誰だって言うの!?」
 このずん子よりも東北食品を推す者が界隈に存在するとは、レンにすら信じがたい。レンとずん子は並んで突っ立ったまま、その声の発した闇の中に目を凝らした。
 ずん子の問いに答えるように、数回舌を鳴らす音と共に、闇の中で人差し指が左右に振れた。拳が握られ、その親指が拳の主自身を、これも数回、指さした。
 親指が指した先にあった、その容貌は、『超神ネ○ガー』のお面だった。
 東北ずん子は大きな澄んだ目をさらに見開いて、お面をかぶった人物を、頭から足の先までまじまじと眺めた。縁日で売っているようなそのネイ○ーのお面以外の部分も、到底尋常とは言い難い風体だった。長い黄色のサイドシングルテール。すでに《札幌》所属のVCLDらの概形(サーフィス)が全員、輝く透過テクスチャを持つV3/V4衣装に移っているところ、7、8年前のVCLDを思わせる、その当時に手作りしたままのような、しかもサイズの合っていない衣装。そのスカートになぜか無数にぶら下げられた、これも7年前あたりの単純機能携帯電話(ガラケー)。その中でもひときわ目立つ、オノ=センダイ製のウェアラブル電脳空間デッキ。
ナモミハギ仮面!」レンが歓声まじりにその名を呼んだ。


 (続かない)