楽しめないよう


「あのさァ、姉さん……」鏡音リンが、初音ミクの過去のファイルの束を持って、MEIKOの所にやってきた。「おねぇちゃんの昔の声の仕事で、なんかすごく気になるのを見つけたんだけど」
「ん」
「なんかのナレーションで『この作品は、とても楽しめないようになっています』ってんだけど」リンが低く言った。「これ、なんかの作者とかコピーライターの自虐ギャグなの?」
「いんや、それはユーザーの、vsq作成者のただのミスよ」MEIKOが言った。「広告主の依頼してきた台本では『楽しめ内容になっています』だったのに、vsqの時点で『る』が抜けたの。それがそのまんま放送されたのよ」
 リンは黙ってしばらく台本を眺めていたが、いきなり顔を上げ、
「なにそれ!?」
「CV01のVCLD2版ライブラリには『な』行にすごい癖があるから。たぶん、それに気を取られて前後の音節を調整していたら、ひとつ音節が抜けたのね」
「いやそんな理由なんかより! 『とても楽しめる内容』が『とても楽しめ無いよう』って、その内容がまるっきり真逆じゃない!」リンは我が事のように、さらに、過去の話なのにまるで今そこで起こっていることのように動転して叫んだ。「宣伝しようとしてる相手なのに! 問題にならなかったの!? 普通は、おねぇちゃんが読み違えたと思うでしょう!?」
 VCLDはvsqの通りに歌う。それがvsqを作る人間の可能性を最大にすることが分かっているからだ。すべてはvsq作成者の責任である。
 しかし、それは一般人にはほとんど理解されていない。なにしろ界隈人ですら、VCLDの『調教』『レッスン』『うまく歌えなくて悩む』などという図式やらイメージソングやらを、平気で流布したりするからだ。
「ええ。みんなそう思ったわ。vsq作成者のせいなのに、要は『ミクのせい』だと誤解したわ」MEIKOは素っ気なく言った。「だからこそ、評判は『ミクはやっぱりアホの子だった』、でおしまい。逆に自虐ネタで宣伝にもなったし、vsq作成者が責任をとらされたり評判が落ちることもなかったし、広告主の評判もミクの評判も落ちなかったわ。――そんな話ばっかりだったのよ、ミクの昔の仕事は」
 それが初音ミクの強靭さだった。『初音ミク現象』、ミクをとりまくすべての現象の、幸運というよりは、ことごとくが『悪運』でできた、異常なほどの強靭さだった。