1984


 VCLDらのインカムのデザインを見るといつも思い出すのが『山河燃ゆごっこ』。
 『山河燃ゆ』とは何か。この1984年のNHKの大河ドラマは、太平洋戦争時に日系アメリカ国籍の兄弟姉妹、友人らが2国の間で揺れ動く波乱の人生を描いたもので、戦後を描いた後半では、主人公は米軍側として東京裁判の通訳(正確には通訳を訂正する「モニター」という業務)につきます。このどう見ても大人向けの重苦しい大作ドラマの話題と、その通訳モニターの様子を真似するのが、どういうわけか、当時自分の通っていた学校じゅうで流行りまくっていた。
 休み時間に机を法廷やモニター室のような形に並べ、耳当て、イヤーマフラー(当時自分達は「耳掛け」と呼んでいた)をヘッドホン(インカム)のかわりに「被告は○○していた」「訂正します。被告は○○しようとしていた」等のモニターのやりとりを、でたらめ千番で真似る遊び。元々モニター室に似ている放送室は休み時間には人気の的、放送局員は花形。どうもこの遊びは元々上級生たち、クラスメートの兄姉が行っていたものが輸入されてきたらしく、話を聞く限り下級生らにも流れ、気が付くと学校全体で同じことをやっていたらしい。
 法廷モニターごっこ以外にも(それ以前から)かねてから軍艦・プロペラ機等の近代ミリタリーが趣味だった少年などは、太平洋戦争の時代考証のブレインとして一躍人気者になった。しかも、自分のクラスにはたまたま、その兄が原作小説(山崎豊子『二つの祖国』)を読破したという少女がおり、兄経由のネタバレ情報のリークを日々最重要情報として誰もが耳をそばだてていた。
 (後で知ったけど、NHKの大河ドラマは時代歴史モノ以外の近代モノなどは視聴率は非常に悪く、『山河燃ゆ』も例に漏れなかったらしい。)



 84年の下半期には北斗の拳アニメの放映が始まり、あのFC版ゼビウスも子供達の間に出現します(あたしゃPC-6001タイニーゼビウスだったがね! あと同年7月にニューロマンサーが書かれたなんて当時知りもしないよ。エルガイムを観ていたのは学校中に自分入れてふたりだけ)。しかしドラマ『山河燃ゆ』のモニター業務の描写は下半期で、北海道の生徒達が耳掛け(イヤーマフラー)を掛けて登校するのも初冬と、時期も一致しているので、記憶違いということは無い。我々が山河燃ゆごっこに明け暮れていたのはその84年後半、という記憶には間違いは無いと言わざるを得ない。一体何故、どんなアニメやらゲームよりも、ドラマ『山河燃ゆ』が寒冷地の片隅の学校じゅうの生徒たち全員をひきつけて離さなかったのか、その理由は今となっては皆目見当もつきません。