ひきよせられる温かい場所

 男なら『初音ミク』とふたりきりで暮らして、そのミクが自分の家の暖かい場所で丸まってくつろいでる、なんて光景には憧れる奴も居るんじゃないか。だが、なにごとも状況次第、事情次第っていうやつで――
 同居してる家族とかが、猫みたいにコタツだとか日なたに陣取ろうとする和み話、なんてのは、雑談とかでそれまでに聞いたこともあった話だが、たいして記憶にとどめちゃいなかった。それを急に思い出したのは、オレがバイトしてる店で、ある日、こんな出来事があったからだ。
 昼休みが終わっても、店で給仕係で働いてるVCLD型ロボットの一体、蘇芳リンが、いつまでたっても姿を見せない。みんなで店じゅうを探し回っても見つからず、心あたりを探そうかという話にまでなってざわめき始めていた頃、仕入れに出かけていた藍鉄レンが戻ってきた。元々えらく物静かなやつだが、相方が居なくなったことを他のバイトから聞いても、ただ黙って、どういうわけか、今入ってきた店の扉から外を見た。そこから春先の日差しが、地下の店の冷たい空間まで射しこんできていた。
「屋根です」その日差しが床に落ちるのを見て一言、藍鉄レンは言った。
 店の皆は無駄に総出で、藍鉄レンの後について、そばの別の建物の屋根までのぼった。何階分か周りより低くなってるその古い建物は、周りのビルの作る日陰の合間の日なたが、ちょうどいいくらいの気温になっていた。……そのほぼ水平なトタンの屋根の上に、蘇芳リン(の狩衣のような和装)が丸まっていた。陽だまりの温かい所の真ん中に、まさに猫みたいに丸くなって、うたたねしていた。
「すぐ起こさなきゃ駄目ですか?」藍鉄レンがなぜかオレを見上げて言った。
「いや、無理に起こす必要まではねぇがよ」オレは言った。「かといって、ここにほっとくわけにも――」
「僕が見てますから」
 藍鉄レンは、蘇芳リンの丸まった傍らに腰を下ろした。そのまま、温かい光の中の寝顔を見下ろすかのように目を伏せて、いつまでもそうして見守っていた。
 ――まあ、そんなことがあってから、前に聞いたあの話題が、やけに気になり続けていた。つまり、人間じゃなくって人型ロボットやバイオロイドでも、そういう習性があるってことなんだろうか、……
 で、その日、オレは自分達が住んでる部屋の暖房を落とした。そろそろ暖かくなってきた頃なんだが、暖房を落とすとさすがに、まだ部屋は肌寒くなる。ただ、窓から日差しが入り込んできている、そのあたりの床だけが暖かくなってる。
 そのとき、ヤツは――この部屋にオレと住んでる『初音ミク』型のバイオロイドだが、本物とは容姿性格ともに似ても似つかない不正規品で、アタマがあらゆる意味で真っピンクなヤツだが――だいぶ厚手のシャツを着て、部屋の中を歩き回っていた。あのシャツの下はなんにも着てない、ってことがよくある。もちろん、オレの側から着てないことを確認したりすることなんてないが、毎回ほとんど決まって、確認できてしまうような状況になる。どっちにせよ、手足は(特に、むっちりした太腿の大半と、そっから下の細い足全部が)むきだしだし、あの格好だと少しばかり肌寒いはずだ。案の定、うろうろして、部屋の中で居心地の良いところを、探してるみたいだった。ひょっとするとヤツが、あの窓から射してる陽だまりの中に、猫みたいに丸まる姿が見られるんじゃないか、そう思った。
 ――が、ヤツをしばらく見ていても、特にそんな所に落ち着くわけでもない。
「どしたの?」ヤツが視線に気づいて言った。
「どうもしねぇ」オレは(その素肌の部分を凝視してるとか誤解されたくなかったし、とはいえ半分は誤解でもないが)背を向けて、低テーブルの上の操作卓(コンソール)に向かった。
 よく考えてみれば、ヤツは不正規品とはいえ、(あの店の蘇芳リンに比べると)いささか高級義体のバイオロイドで、ある程度は体温の調節くらいできる機能があるだろう。よくは知らないが(一緒に住んでるからってカラダのことを隅々まで何でも知ってるってわけじゃない、誰だってそうだろう?)わざわざ日光なんかで、体温を保持までする必要はないのかもしれない。
 そう思うと、急に興味がなくなって、オレはテーブルの上の操作卓(コンソール)をこっちに向けた。ヤツや日なたのことはひとまず忘れ、いつものネット上での生活用品の物色に意識が向いていた。
 ゴーグル状の電極(トロード)を額に落ち着け、電脳空間に”没入(ジャックイン)”する。オレの意識、五感のすべては、一時的にこの部屋、この空間、操作卓に向かっているオレのこの肉体からは離れて、別の空間、電脳空間(サイバースペース)ネットワークに潜り込む。
 小1時間か、2時間くらいは経ったろうか。
 調べものにひと段落ついて、”離脱(ジャックアウト)”した。全身の感覚が、電脳空間での仮想感覚のそれから、物理空間の部屋の中のそれへと戻ってくる。額から電極ゴーグルを外し、そこで、こちらの物理空間で置かれている状況が次第に認識されてきた。
 ヤツが、オレの体と低テーブルの間の隙間にもぐりこんでいた。
 さらに詳しく言うと、テーブルの操作卓に向かって両手を延ばしているオレのその両腕の間、オレの胴体とテーブルの間に入り込み、オレにその両手で抱かれるような姿で向い合せになって、両手両足をオレの胴体に回していた。顎はオレの肩にもたせかけて、頬がくっつきそうになっている。オレが没入して物理空間側の感覚がない間に、この場所に入り込んだようだが、どれくらいの時間そうしていたのかわからないが、とにかく、ヤツはそのままの姿勢を崩さずに微動だにしなかった。
「あ゛ーーーーーーーーー!!!!」
「きゃああ」ヤツはオレのその叫び声に驚いて自分も悲鳴を上げたが、そこから飛び退くどころか、さらに回したその腕で、オレの胴体に必死にしがみついた。シャツごしの胸の感触からすると、今回もやっぱり下には何も着ていないらしい。
「どうしたの!? 何か居たの!?」ヤツは部屋じゅうに視線を走らせた。すがりついた指に力をこめて、怯えた目で、オレの胸に頬をすりよせるみたいにしながら首を回した。
「何か居たのって、……おまいしか居ねーよ!」
「なぁんだ……何もいないんなら、耳元で大声出さないで……」ヤツは甘くささやくような声で、またオレの肩に顔をよりかけた。「何にも邪魔されたくないんだから……ずっとこうしていたいんだから……」
「事情を投げっぱなしで勝手に和みつつ媚びんな」オレはうめいた。「おまいはなんで居んだよ、そこに。てか、なんでわざわざそんな狭すぎるとこに入る」
「え、なんでって」ヤツはもぐりこんだ中で身じろぎして言った。「だって、狭いところに一緒にもぐりこめば、風にあたりにくいし、外敵におそわれにくいし、一緒にいた方が体温が変わりにくいし」
 オレはしばらく絶句してから、ようやく言った。
「……猫じゃなくて、小動物とか小鳥だったのかよ……」
 オレはとりあえずこの状況を変えることに頭をめぐらせ、暖房を入れることに思い当たった。というよりも、暖房を切っていたこと自体、すっかり忘れて”没入”していたことに気づいた。――が、そのとき、自分がこの肌寒い中で、2時間も操作卓の前で身動きもしなかったのに、特に手足が冷たくなったりこわばってないことに気づいた。
 じゃあやっぱり、ヤツはほとんど2時間とかの間、ずっとこうしていたってことらしい。
 今もシャツ(と、ついでに少し気になる素肌)ごしに、温かみが伝わってくる。こっちは文字通りネットに”没入”しているその間、それを感じてやれもしなかったっていうのに。なのに、ヤツはずっと温めてくれていた、ってことになるのか。
 まあいいか。どうやらヤツの言うこの状況の利点にも一理ありそうで、オレの胸に顔をうずめて「んぅー」とか幸福げな声を上げてるヤツに腕を回したまま、もう少し、暖房は入れないままでもいいかと思った。