かまいとたちの夜 第二夜 ワンピースミクと僕のメモリアル (前)

「ミク! 僕だ、『マスター』だよ!」その青年は店に駆け込んでくるなり、清楚なワンピースのその”ミク”をいきなり抱きしめた。「とうとう見つけた!」
 ワンピミクは、青年の腕の中で立ちすくんだままだった。もともとが、この店で働いているVOCALOID類似品ロボットらの面々の中でも、清楚でおとなしい物腰のためもあろうが、むしろ当惑のあまりだろう、その青年を拒否することもなく、戸惑ったような目を見開いているだけだった。
「探したよ! 秋葉原(アキバ)も日本橋(ニホンバシ)も! 君も、僕のこと探してただろ。帰ろう!」
「え……」
 青年はワンピミクの手を引いて、本気でそのまま店から連れ去ろうとしたらしい。
「ちょっと待っておくれよ」そこで、どことなく"KAITO"型ロボットに似た青い髪の、だが凄艶な年増の女店長、”KAMAITO”が、カウンターごしに青年に声をかけた。
 千葉市(チバシティ)の片隅にあるこの店は、VOCALOIDによく似た形態の人型ロボットやバイオロイドばかりが働いている店である。今の世、巷には、”あいどる”として有名な”本物のVCLD”らに似せて作られた市販の義体やロボットらの姿は珍しくないが、この店はそんな中でも、捨てられたものや事情で仕事が無くなったもの等が集まり、雇われている店だった。そのため、全体的に従業員やサービスの質はきわめて悪く、かなり安手の『ボカロコスプレ喫茶兼バー』のようなものになっていた。『初音ミク』を模した型の市販のロボットといっても、”あにまさ式”や”キオ式”その他諸々、細かい形態が違うものがきわめて多種類存在し、この店にも何種類かいるが、このワンピミクもそのうち一体だった。
「僕が、この娘のマスターなんだよ」青年は店長を振り向いて言うと、ただその一言だけで説明が全部済んだとでもいうように、また立ち去ろうとした。
「ええと、ごめんなさい……わからないんですけど、何のお話なのか」そこで、立ちすくんだままのワンピミクが、ようやく口を開いた。
 青年は、ワンピミクをまじまじと見下ろした。何かの冗談かとでもいうように、その姿を凝視した。
「こっちにも、事情も何もわからないんでね。うちの店の娘について」店長が肩をすくめて言った。「まずは、そこに落ち着いてくれないかい」



 まだ他の客はいない店内で、席についた青年が店長に話したことによると、この青年は”あいどる”の『初音ミク』が流行しはじめてまだ間もない頃に、すでに『初音ミク』を模したこの形態の人型ロボットを購入し、それから3年間、一緒にいたという。しかし、彼のミクは、ある日突然はぐれて、それきり姿を消した。それから1年もの間、彼は東京(トウキョウ)や千葉(チバ)じゅうを探し回っていたという。
「ミクがいない間、僕がどれだけ辛い思いをしてきたか……」言う間も、青年は席の向かいのワンピミクを凝視している。青年はかなり端正で、身なりも良い。にわかには、店に入りざまに抱きついたり、説明もそこそこに連れ去ろうとしたり、なりふり構わない真似をするような男には見えなかった。だからこそ、彼にとってのミクは、この男の中で、そこまでさせるほど重要な存在なのだろうと思わせた。
 青年の、このワンピミクについての思い出を言及する言葉は熱っぽく、同時にいつくしむように向ける視線は優しげで、『自分のミク』に対する愛情と愛着に満ちている。ワンピミクはまだ戸惑ってはいたが、こういう視線を向けられて、悪い気はしないのだろう。
「……でも、わたし、丸一年より前、それ以前のことは、全然おぼえてません」
 そう言うワンピミクは、心底残念そうだった。彼女は何週間か前にこの店に来たばかりの従業員だが、その前には、パチンコ屋の呼び込みのようなことをさせられていて、それ以前のことは、何も覚えていないという。
「たぶん、こういうことだぜ」
 店長の隣で聞いていた、赤い髪と服の従業員、アカイト――VOCALOIDKAITO』型の、しかし元の公式のKAITOからはかなりかけ離れた容姿のバイオロイド――が、口を開いた。
「前にいたところ、そこのあんたか、次の誰かかはわからないが、その人間とはぐれてどこかを迷ってたか何かのこのミク型を、次にパチンコ屋が拾った。で、拾いものだってことを隠すためか、あるいは仕事の都合のためか何か、それ以前の記憶、メモリーを、このミク型の電脳から消去した。あるいは、ロボット売買業者か何かが間に入ってそういう操作をしたかもしれない。で、パチンコ屋より以後の記憶だけ持って、うちの店に来た。そう考えればまあ、辻褄は合うぜ」
「だが、”ミク型”のロボットってのは他にもいるんだ」店長が口を挟み、青年の方を見た。「この娘と同型の義体の人型ロボットだって、街には他にもいくらでも出回ってる。この娘が、本当にアンタのところからはぐれた子、その本人なのかい……」
「他人には全部、この型のミクなら同じに見えるんだね。でも、僕はこの娘の『マスター』だよ! ずっと一緒にいたミクを、絶対、見間違えるもんか!」青年は叫んだ。
「気持ちはわかるが、うちの店員だからね。簡単に連れて帰らせるってわけにもいかない」妖艶な女店長は、その青年の剣幕を受け流すように悠然と、叶和圓(イェヘユアン)フィルタの煙草の一本を引出し、火を点けた。「何か証明できるもの、ないかい」
 ワンピミクは不安げに、何かを期待するように青年を見た。
 青年はやがてうなずいた。「見つけた場所でこういうことを言われるかもしれないってのは、予想してたんだ。……出荷時点とは違って、義眼(サイバーアイ)を高級品に取り換えてる。キヤノンの11年型。網膜パターンと、ハードウェアの製造番号もある。電脳から義眼の素子(チップ)にアクセスすればわかるはずだ」
「なるほど、パチンコ屋が義眼を高級品にとりかえるとは思えねぇな」アカイトが頷いた。
 アカイトが、店に備え付けのマース=ネオテク社製の電脳空間(サイバースペース)デッキを引き出してきて、接続子(コネクタ)を、ワンピミクの髪飾りに偽装された没入(ジャック・イン)端子(この型の義体は、公式の服装・装備のミクが持つ電脳インカムは持っていない)に繋いだ。
「兄さん、カウボーイ(攻性ハッカー)なのか。……この娘の電脳に入るなら、義眼の接続情報のアドレスを教えるよ」青年は自分の首のうしろにもある端子を指してから、マースのデッキに接続した。
 青年は人間だが、部分的に義体化しているか、電脳化しているらしい。特に裕福な一族や、財閥(ザイバツ)の高級社員が、ビジネスや、単に利便性のために、メモリをアクセスしたり保存する没入(ジャック・イン)機能のある微細素子(マイクロチップ)を埋め込むのはよくあることだ。VCLD型のロボットらの持つ電脳インカムにもそうした機能があるが、もっとも、それらはその時点での高性能の電脳空間デッキには常に性能は及ばない。カウボーイと呼ばれるアカイトが、公式KAITOの装備同様の電脳インカムを義体頭部に装備しているにも関わらず、電脳空間デッキを常に併用する理由はそれである。
 青年とアカイトはゴーグルをおろし、没入(ジャック・イン)した。通常は没入はネットワークに対して行うが、今はワンピミクの電脳、そのメモリが視覚化された空間に意識を入り込ませているのだ。やがて、デッキにつないだ店のモニタに、一連の文字列と、網膜パターンの画像がいくつか映し出された。
「――見たところ、言ったのと一致してる。偶然の可能性は低そうだな」やがて、アカイトがゴーグルと一体の電極(トロード)を、額から押し上げて言った。
「やっぱり僕のミクだ!」青年は没入端子からコードを延ばしたまま、テーブル上でワンピミクの両手を握りしめた。「でも、ほんとに僕を覚えてないのかい……」
「ごめんなさい……」
 ワンピミクはまるで自分のせいでもあるかのように、沈み込んだ声と共に、上目使いで青年を見つめた。これまでの青年の熱意、実直な姿、そして、むしろワンピミクの元からの心優しい性情のために、その青年に大きく心を動かされたのかもしれない。暮らしてきた思い出というものがなくても、青年についていくことに異存はないように見えた。元々ワンピミクには、1年以上前の過去もなく、この店を出たところで失うものがあるわけでもないのだ。
「彼女がこの手に戻っただけでもいい!」青年は相変わらず端正で優雅な外見に似合わない、芝居がかっているといえるほど大仰な口調で言った。「それ以上なんて望めない……そう思うけど……『ミク』が僕を、『マスター』のことを何も覚えてないなんて、辛いよ。あの、僕らの一緒に過ごした記憶がさ……」
 ワンピミクは述懐する青年を見つめ続ける。その青年の姿を、自分のメモリーの空白からも何とか見つけられないか、とでもいうように。
「どうにかして記憶を……取り戻せないのか?! ほんの少しだっていい!」青年はアカイトの方に身を乗り出し、「なあ、兄さん、カウボーイなんだろ!?」
「そう言ったってな。パチンコ屋が消す前にバックアップをとっといたとは思えないしな……」アカイトはマースのデッキの端の、灰色の表面を指で叩きながら、「記録を消された上に、上書きだってしてるだろう。それを修復するのは、そう簡単じゃないぜ。しかも、このワンピミクの電脳は、旧式のシリコンか……」
 と、アカイトは何か背後に気配を感じて、振り向いた。



「どした?」アカイトは膝を曲げて、見下ろした。
 そこに立っていたのは、ひとりは、”ぴくちぃ式ミク”である。『初音ミク』の公式の姿とは外見が特に大きく異なる一体で、この店で働くミク型の中では、飛びぬけて見かけが幼い。店で働ける程度の年齢を自称しているが、外見も中味も、人間年齢でいえばどう考えてもティーンに入るか入らないか程度である。
「ねぇ、お兄ちゃん」ぴくちぃ式がアカイトを見上げて言った。「トエトがね、友達のオオマさんの”すきゃっと”なら、読めるかもしれない、って言うの」
 ぴくちぃ式の背後にはもうひとり、もっと小さい人影があった。(これも、店員アルバイトであるVCLD又はその派生型の人型ロボットの一体だが)フェルトの白い帽子をかぶった、ぴくちぃ式よりさらに幼い少女だった。ほとんど表情がなく、かなり淡い薄紅色の長い髪だけが目立つ。
「読めるって、消去したデータをか? ……スキャット? ……スキッド……スクイド……」アカイトはしばらく繰り返してから、不意にトエトの方を見下ろして、「もしかして、『超伝導量子干渉計(SQUID)』があるのか!?」
 青年と店長が疑念をおびた視線を向けたのを、アカイトはいったん振り返ると、
「いや、よくできたSQUIDを使えば、ひょっとするとだ。消えたメモリを読めるかもしれねぇ。消去してどんなに上書きした後の痕跡だってさ」アカイトはかれらにそう言って、再び、ぴくちぃ式とトエトの方を見下ろし、「……そんなものを持ってる、その”オオマさん”ってのは誰だ。どこぞの大戦帰りのウィザード(防性ハッカー)か?」
 ぴくちぃ式は、トエトを見下ろして何かを尋ねた。
 トエトが爪先だけで背伸びして、ぴくちぃ式に何か耳打ちした。
「オオマさんは、遊園地にいる鮪だって」ぴくちぃ式が再び、アカイトを見上げて言った。
「遊園地(プレイランド)の……何てった?」
「マグロ。本鮪(ブルーフィンツーナ)」ぴくちぃ式は、優しくアカイトに教えるように言った。「お魚の名前よ」



(続)