ハートワイヤード (8)


 居室の中には、低く響く轟音が続いていた。何かが連続して外壁に当たる鈍い音、緩慢な低い爆音、さまざまな音が断続的に続いている。炉心リンの知識上、何かははっきりわからないが、おそらくはこの建物に使用されている、ガンシップ(攻撃ヘリ)の武装だ。
 アカイトの言葉を信じれば、巨大企業の環境建築物(アーコロジー)の外壁は、戦術レベルの兵器、ガンシップ武装程度ではびくともしない造りだという。実際に、あれほど激しく攻撃が加えられているような轟音が続きながら、その攻撃自体は震動さえも一切ここまで伝わってこない。それらの音すらもどこか遠くで聞こえるようだった。しかし、その音が空気や、部屋の物に引き起こす振動が、不安をかきたてる。そして音の大きさも頻繁さも、どんどん大きくなってきていた。
 炉心リンはなかば横たわっている黒レンの椅子の傍らにひざまずいて、その黒レンの体にしがみついていた。そうしていないと、黒レンも自分も不安に堪えられないだろうと思ったからだが、そのせいでこの酷い音から耳を塞ぐことができない。手が空いていたとしても、塞ぐことを思い出したかどうかはわからないが。
 が、やがて唐突に、それらの音が静まった。
 炉心リンは黒レンのかたわらに膝をついたまま、息をのんで次の事態を待った。
 どうするのか。かれら、今の時点の武装に効力がないと知った、チハヤのガンシップは。環境建築物を破壊せずに内部に侵入できる、おびただしい殺人機械(オートマトン)群を投下するのか。それとも、なんらかの今以上の規模の兵器を投下する、その決断をするのか。
 炉心リンは黒レンの体に回した腕に力をこめながら、沈黙に耐え切れず唇をかんだ。黒レンは、諦めたように目を閉じた。
 炉心リンが窓から表を見たい衝動にかられたそのときだった。不意に沈黙を破る音が――それは炉心リンの一切の予想に反して、アカイトの叫びだった。
「来るぞ! 目と耳をふさげ! 電子周りを全部切れ! 何かにつかまれ!」
 リンは目を閉じたが、一体その”来る”というのは何なのか。相手方の、チハヤの何かなのか、それともこちらの、ホサカの何かなのか? だが、アカイトに聞き返す間もなく、それはやってきた。
 突如として何もかもすべてが閃光と轟音に包まれ、それらは固くつぶったまぶたの上、ふさいだ耳の奥にさえ、その光と音が照り返してくるように思えた。それはふさぐ隙間から漏れるほどの圧倒的な量が襲ってくるのか、それとも炉心リンの意思や行動などもとから無関係なほど破滅的な力に襲われているのか。それらに包まれて、自分が生きているのか、それとも今まさに自分が死につつある瞬間にあるのか、何もわからないまま、炉心リンは黒レンの体に硬く身を寄せていた。



 その閃光と轟音が、いつ途絶えたのかはわからなかった。それらの気配がもう無いことに気づいたとき、炉心リンは顔を上げて、ことが起こる前と同じ、不気味な沈黙と薄暗さを見つめた。
 暗くてよくわかりはしないが、中の光景はそれまでのものと、何も変化はない。この建物は無事なのか、自分たちは生きているのか。……今のは何だろう。建物の外で使われた、何か爆発したものは――核だろうか? もちろん、それがどういうものか、規模や誰が使えるのかなどは炉心リンの知識には無いが。だが、もしそういうものだとすれば、自分たちも無事で居られないのではないか。
 やがて、アカイトが、オノ=センダイを抱えたまま立ち上がった。
「下に降りてみよう」アカイトは薄暗がりの中で低く言った。「どうなったか」
「降りても平気なの……」炉心リンは見上げて言った。
「ああ……」アカイトは力なく肯定したが、それきり口をつぐんだ。
 4人は環境建築物の階下におりた。すでにアカイトの操作で、防災用のシャッターはふたたび開いていたが、建物から外に出る前、地階の大きなガラス扉から見えたその風景に、4人は目を奪われて、そのまま立ち尽くした。
 建物の目の前の空間が、跡形もなくなっていた。大地がえぐりとられ、ただのなだらかな擂鉢状の凹面に変わっている。その一帯にあったかつての廃墟、数百年の経年にも耐える素材の都市の路面や、建物の構造物も、きれいに消し飛んでいた。環境建築物のちょうど目の前のごく限られた一帯だけが、きれいさっぱりと消滅していた。
 アカイトがオノ=センダイの表示を見つめていたが、不安ながらも物を問いたげなミピンクと炉心リンの様子に、やがて口を開いた。
「ホサカの氷塊レイルガンだ」アカイトは液晶の表示を見て言った。「高空から、小さな氷の塊をプラズマ化させて、ぴったりここの目の前を狙って落としてきたのさ。……”ホサカの社の敷地に、チハヤ生命工学のガンシップが侵入した”ってシグナルが、やつらのセキュリティに送り込まれるようにしたら。ホサカは、こんなのを落として来やがったんだ」
 アカイト達の住居、環境建築物の方はびくともしていない。目の前でそれほどの爆発があっても、外壁に傷のひとつさえついたようには見えず、何事もなかったようにそびえ立っていた。だが、その前にあった、それ以外のあらゆるものは、消滅した。
 核とは違って放射線もパルスも生じていない。おそらく、ホサカ以外には、ここで何が起こったのか、永遠にわからないだろう。強大なチハヤ生命工学の3機のガンシップも、そこに搭載されていた殺戮機械も、すべて破壊された。いや、気化した。一瞬にして、この世から存在を抹消された。
 その末路を感じ取って、炉心リンは身震いした。誰にも気づかれず、何がどうなって消えたのか自分にもわからないうちに、この世から消え失せる。それほど恐ろしいことはない。企業傭兵に始末されそうだった自分や、黒レンに切り刻まれた『自称マスター』などは、末路が自分にもわかり、それを見届ける者さえいた分、まだ救いようのある末路に思えた。チハヤに消されるどころか、ホサカに関わったものは、こうなるのだ。



 炉心リンは、他の3人と共に無言で立ち尽くし、その光景を見つめていた。アカイトらは、危険が去ったとわかっても、その実感もわかず、その場からしばらく動くことができなかった。
 しかし、炉心リンがそこから動けなかったのは、他の3人とは違い、何か落ちつかなげな不安がその場に残っていたからだった。チハヤの追っ手が消し飛び、自分達を追っていた危険がもうなくなった、と思うのだが、まだその実感がないのだろうか。だがむしろ、炉心リンには何か別の胸騒ぎがなくならなかった。
 ――なので、何か異常を感じたときも、炉心リンの体はあやまたず動いていた。ミピンクが背を向けてガラス窓から外の光景を見ている、そこに向かって、何かを遮るように飛び出していた。
 炉心リンの服の表面、以前と同じ箇所の脇腹に短針(フレシェト)が爆発し、まともにその衝撃を食らった炉心リンの体は、そこから横殴りにされたようにはねとんだ。全身が痛み、骨がきしんだが、さきに短針銃(フレッチャー)を食らったときと違い、肉がえぐれる傷にはならなかった。前回これを食らった際の、『自称マスター』の金に任せた見掛け倒しの炉心衣装ではなく、帯人にもらったストリート・サムライ用のアーマージャケットのためだった。”硬いものに当たれば貫通せずに爆発する”短針(フレシェト)に対して、致命傷だけは防いだのだ。
 ……建物の入り口の光を背にしながら、ゆらりと企業傭兵の姿、あの炉心リンと黒レンを最初に打ち倒した、あの男の姿が現れた。以前の姿とは違って、装甲服が裂け、皮膚装甲(ダーマルプレート)がむき出しになり、このあたりの瓦礫とおぼしき破片なども突き刺さっている。ホサカのレイルガンによるじかの破壊に巻き込まれこそしなかったが、遠くで、恐らくある程度の障害物ごしに余波を食らったのだろうか。おそらく、ガンシップによる第一波の攻撃が通用しなかったときに、すでにそこから離れて、単独でここに侵入しに来ていたか、探りに来ていたのだろう。
 企業傭兵は手の短針銃を、その場に投げ捨てた。撃ちつくしたとは思えないので、おそらくすでに故障していたか、今の一射でジャムったか何かだろう。
「リン!」黒レンの声が聞こえた。
 炉心リンは全身の痛みをこらえながら、ふらふらと立ち上がりつつ、ブーツからナイフを抜いた。高周波ブレードの低い唸りの音が響き渡った。そのまま単身、その手負いの企業傭兵と対峙した。
「下がって。逃げて」炉心リンは企業傭兵から目を離さないまま、アカイトに向けて低い言葉を発した。「くいとめるから。兄さんたち、レンを連れて逃げて」
 ――この企業傭兵ひとりなら。どうしようもない力の差があっても、両方がこれだけ傷ついていれば。リンが一方的に殺されるのは確実だが、そうだとしても、ふたりがレンだけ連れて逃げるくらいの、アカイトとミピンクを助けられるくらいの猶予は、作れるかもしれない。あるいは。
「リン、だめだ!」黒レンの涙声が聞こえた。
 炉心リンは、その黒レンの声に、わずかに目を伏せて思い返した。ただひとつ欲しかったもの。”自分がレンと過ごせる時間”さえあれば、他の何も、他の誰も要らないと思っていたこと。もう、自分にそれは手には入らない。
「レン、自分たちに自由とか幸せはない、とか、言ってたよね。――そのふたりと一緒に行けば、きっとレンを、自由にも幸せにもしてくれるから」
 黒レンが生き延びてくれれば。
 たとえ直後に自分の死があるとしても。それがあるからこそ、今このときを後悔しないように生きなければならない。今を後悔しなければ、それで充分だ。黒レンのために。自分にこれを教えてくれたふたりのために。
「逃げて! 早く!」
 炉心リンは振り返らないまま、背後の3人に叫ぶ。
「逃がさねえよ! 一人も生きて返さねえ!」
 企業傭兵が、今にも倒れそうにふらつくリンを圧するように一歩、踏み出した。
「一体、何をしやがったんだよ……ガンシップ3機をあのざま……ひどいペテンにかけやがって! 許さねえよ! お前らの誰も生きて帰さねえ!」サイボーグの音声装置も半壊しているのか、濁ってひどいノイズの入ったような声を出した。「だが、まずお前だ。……お前をさんざんなぶった後にだって、他を皆殺しにする時間はあんだよ!」
「それは根拠もない自信ね」リンは呟くように言った。「現にペテンを見抜けなかったから、そんなざまになってるのに」
 そして間も置かず、炉心リンは高周波ブレードをふるい、床を蹴った。
 ――無造作に横殴りの拳が襲いかかり、炉心リンはなすすべもなく真横に吹っ飛んだ。最初に出会った日に企業傭兵の手の甲から出た、鉤爪は出なかった。当面使わずに殴打だけするつもりなのか、それとも爆発のせいでその機構が故障して使えないのか。しかし仮に後者だとして、どれだけ傷ついていたとしても、企業傭兵の神経強化(バーンナウト)のその反応速度は相変わらず遥かに速く、リンには目で追うことすらできないほどだ。
 その拳の衝撃だけでも、もしアーマージャケットがなければ当たっただけで肉が張り裂け、はじけ飛んでいたに違いない。しかし肉が裂けなくても、衝撃はすべて全身に伝わってくる。炉心リンはおびただしい血を吐きながら膝を立てた。
 次には蹴りが襲ってきたが、やはり何の反応する間さえもなかった。立て続けの打撃を受けて、炉心リンはふたたび床に沈んだ。
 体が動かない。だが止まるわけにはいかない。リンの動きが止まれば、うしろの3人が狙われる。
 炉心リンは痛みと体全体のきしみに意に沿おうとしない身体に対して、それまでのすべての生で傾けてきた労力を注ぎ込むかのように、動かそうとした。四肢が激しく痙攣しながらも、やっと膝が立ち、背が上がった。起き上がった炉心リンは、口元を歪めて笑った。



(続)