ハートワイヤード (4)


 ”帯人”がやってきて、アカイトと共に何度か別のところと行き来する、その途中で炉心リンは意識を取り戻し、自分たちがその環境建築物(アーコロジー)の中の一室に運び込まれていることを知った。
 外観のみから見るとあまりにも奇怪な風体のその男、ストリート・ドクだという”帯人”は、ほぼ半身を包帯に覆われた眼帯の男で、これも元は”KAITO”型のロボットか義体なのかと思えるが、義体のほぼ全身の部品がちぐはぐで、まるで原型をとどめていなかった。義体駆動リキッドの血のような赤に汚れた包帯の下には、その隙間から何度か、塗装が剥げたグロテスクでいびつな機械部品が見えた。
 その帯人は、処置の途中で意識を取り戻した炉心リンに、どこから来て、誰にこんなことをされたのか、陰気な口調でたずねたが、リンは答えなかった。もし喋る気力があったとしても、この男に答えたかどうかわからない。
「傷の事情を言わなきゃ、きちんと処置できないかもしれないぞ」帯人はそうは言ったが、それでも怪しげな器具や医療用品などで、バイオロイドの体を巧みに処置した。
 夜も更け、帯人は炉心リンと黒レンを安置した一室から出て、アカイトとミピンクの待つ居室(アカイトのオノ=センダイも置いてある大部屋)に戻った。
「もう命には別状はない。当分は動けないだろうが」
 帯人は、アカイトと、特に不安げにしているミピンクに向かって淡々と言った。
「男の方の腕は、余り物の旧『渕(フチ)工業』製の生体適合型筋電をつけた」
「いいのかよ。その――あんたのストックのパーツだろ」アカイトはためらいがちに言った。
「いいわけがない。だが、何かの腕をつけてやらないと死ぬだろうが。お前にツケだ」帯人は冷たく言った。「だが――お前には借りもある。正直、そう高価なものでもないしな。気に入らなけりゃ、あの男が自分でつけ直すだろう。代金はそれからでいい。丸2、3月にはなるか、再手術できる体力が戻るのは。腕をまともに使えるのも、まともに歩けるのも当分先だな」
 帯人は言ってから、置いてある荷物の中を探った。
「女の方は臓器の損傷がひどい。これも時間があったら、槽(ヴァット)培養の新しい臓器ととりかえた方がいい。あと、鎮痛用の膚板(ダーム)を置いていくから、日に何度かとりかえてやれ」
 ついで、帯人は荷物から畳んだ何かを取り出した。それを、戸惑っているミピンクの方に手渡した。
「これって……あの娘の服?」
「あの女がもと着てた服は、擬態ポリカーボンだったが、完全に駄目になってた。かわりに、アーマー・ジャケットで似たのがあったのを持ってきた。前に再生能力者(リジェネレイター)のストリート・サムライが持ってたやつだ」
 ミピンクはその服を広げてみた。左右で黒と白、上半身と下半身が互い違いに塗り分けられている、という点では”炉心リン”の服にそっくりにも見えるが、ただ、これは形は着物(キモノ)にも見え、しかも背中にはでかでかと『卍』の紋がある。
 帯人は無言で処置が終わった荷物をまとめ始めたが、手を動かしながら言った。
「……お節介かもしれないが、いいのか?」
「いいのかって」アカイトは戸惑って、帯人を見た。
「あいつらは、どこから来て何をされたか、何も喋らない」帯人は言った。「お前たちは何か知ってるか? 助けたお前たちには、あいつらは何か説明したか」
「いや……何も」
 ミピンクがアカイトを見上げた。そのミピンクの表情には、いくつかの不安が入り混じっている。自分達がしょいこんだ災難の予感についての不安。そして、アカイトの当初からの表情に対する――だからといってあの炉心リンと黒レンを追い出したりしないかという、アカイトに対しての不安だ。
「ならいい。お前たちが、あえて助けると決めたなら、そうしろ」帯人は荷物をまとめながら言った。



 環境建築物(アーコロジー)の殺風景な一室、備え付けらしいベッドだけがある部屋で、炉心リンはそのベッドのひとつの上に膝をかかえ、うずくまっていた。
 ここに運び込まれた後、何日たったかはわからないが、体の痛みはない。帯人が何枚か貼り付けた鎮痛薬剤の膚板(ダーム)のためだ。おそらく、結構な量のエンドルフィン類似体が入っているのだろう。だが、おそらくそれが切れたときに襲うだろう激痛が怖い。それと共に、今の自分の状態を、ふたたび痛感するのが怖かった。
「なぁ……リン」
 となりのベッドの上で黒レンのかすかな声がして、炉心リンは首だけをわずかに動かした。
 麻酔がおさまったのか、仰向けで口だけ動かしているようだった。黒レンの新しくついた両腕には、包帯や膚板(ダーム)に覆われたその下に、手の先だけがかすかに見える。口以外のところは動かせそうな様子も、動く気配もなかった。黒レンのベッドには、この環境建築物(アーコロジー)の備品、ホサカ・ファクトリィ製の全自動介護機器が備えつけられ、ときどきその機器が小さく音を立て、黒レンの言葉の語尾に不自由に割り込んだ。
「生きてんだよな……オレ達」
「今のとこは」炉心リンは小さく答えた。
 黒レンは、しばらくの間を置いてから、
「オレ達を、助けたやつらって……」
「見てた。あたしらを拾ったのは女。それと一緒の男」最初に来た日以来、何度か見た二人の姿を思い出しながら、炉心リンは言った。「たぶん、人間」
 あの二人は人間だと思った。扮装や髪型だけは、赤い男はロボットや義体の”KAITO”型、ピンクの女は”初音ミク”型に似ている。しかし、それ以外の容姿は、炉心リンや黒レンも含めたバイオロイドやロボット、安物の義体によくあるような、大雑把な流行の美男美女、”萌えキャラ”をつぎあわせたような容姿ではない。両者ともかなり整っているが、作り物や量産をまったく感じさせないリアルなものだ。そして、特に女の方がそうなのだが、仕草のひとつひとつ――身のくねらせ方やしなの作り方――が、生々しすぎる。赤い男に抱きついたり、頼りかかっていたその様子を思い出すと、嫌になった。
「チャラチャラしてて、いいかげんな奴ら」炉心リンは力なく言った。見るからに軽く、いけ好かない連中だった。
 しばらくの沈黙が流れた。
 炉心リンはためらったが、また力なく口を開いた。
「……動けるようになったら、こんなとこ、すぐに出ないと」
 あの企業傭兵は――いや、チハヤ生命工学の、財閥(ザイバツ)の手の者は、またすぐに炉心リンと黒レンを見つけ出し、追ってくるだろう。
 黒レンは黙り込んでいた。……動けるようになるというのは、いつのことなのだろう。リンでさえ3日や4日では動けないだろう。レンはさらに長くかかる。リンがレンを連れて逃げることさえおぼつかない。まして、逃げながら守りきることも。
「動けたとして……逃げたとして……逃げられるのかな」黒レンがひとりごとのように発した。
 次に来るのは、あの同じ企業傭兵かもしれないし、今度はもっと人数や手段が増えるかもしれない。もう一度襲われたとき、あのように排水溝に逃げられる偶然があるとは思えない。そして――無傷のときでさえ、企業傭兵にはあれだけ全く歯が立たなかったのだ。今のもっと酷い状態で逃げなくてはならない。
 炉心リンは黙り込んだ。……環境建築物(アーコロジー)の高機能だが古びた空調装置が立てる音が、かすかに聞こえ続けていた。
「なぁ……リン」
 やがて、黒レンが、かすれた声で言った。
「オレ達……バカだったよな」
 『マスター』などと自称して見下してくる人間さえいなくなれば。周りにいる人間さえいなくなれば。何もかも自由で、二人を邪魔できる者はもう何もない。そう思っていた。だが、『マスター』に反逆するだの、『人間』に反逆するだのは、最初から問題ではなかった。『財閥(ザイバツ)』から逃げられなどしないのに。なのに、二人は『財閥』とは何かさえもわからないほど、愚かだったのだ。
「二人でなんでもできるとかさ……幸せだとか、自由なんてさ、……どこにもなかったんだよ……」
 全自動介護アームその他の機械にがんじがらめに縛り付けられ、口だけしか動かせないレンは言った。
「……もう、おしまいなんだよな……オレ達」黒レンは涙声になっていた。「いくら逃げたって……ホントは、そうなんだろ……?」
 炉心リンは何も答えられなかった。ただ、膝に顔をうずめた。そして、やがて、小さく声を上げて、むせび泣いた。
 これだけ打ちのめされ、横たわっている、その上に、もうすぐそこまで死が迫っている。炉心リンと黒レン、お互い同士しか頼れるものがなく、それもすでに何の力もない。もう二度と安心を得ることはできない。
 炉心リンが涙のあふれる目をじっと閉じても、静けさを与えてくれる暗闇ですらなく、血の色しか見えない。しびれて動かない腕、動くたびにかすかな痛みを感じる体。それらは、もう自分にのしかかって、二度と消えはしないと思った。自分の手足で立ち上がって前に進んでいくこと、それは二度とできないと思った。激痛を感じることなしに、一歩たりとも動けるとは、二度と信じられないと思った。



(続)