温もりの先にあるのは

 僕らレプリカント(合成人間)に与えられた時間は限られている。レプリの最大寿命は4年が公称だけど、3年で停止した例もある。僕らは、そのわずかな時間のうち多くを、失われていく温もりをお互いに求め合ったり、確かめたり、呼び起こしたりすることに、費やしてしまっていた。
 僕”連”と、彼女”鈴”は、自分たちの殺風景な部屋のベッドの上で、時間の許す限りひたすらに肌を合わせ、体を重ねた。ローティーンくらいの外見と心の僕らだけど、人間の大人が情欲のために行うのと同じこともすれば、子犬みたいにひたすら戯れることもあった。そして今みたいに、もっと獰猛な獣みたいに体をぶつけて熱さを求めることも。
「……ベトベト」
 荒い息がおさまってしばらくしてから、あおむけの鈴が、僕の下で言う。鈴の、いつもは触るだけで滑らかさが心地良い肌には、全身じっとりと汗が分厚くからみついている。それは、僕の渇望を余計にかき立てるけれど、このままじゃふたりとも眠れない。
「シャワー、先に浴びておいでよ」
 肌の温かみから離れることを感じながらも、上に居る僕は、自分から体を離す。鈴も少しためらってから、起き上がる。薄暗い中で、体に巻くタオルを探したみたいだけど、結局見つからなかったらしい。鈴はいきなりベッドから体を翻して、ほとんど走るように、バスルームに飛び込む。白い体がほのかに光るように──たぶん汗と、僕がその体の火照りを知っているのでそう見えたんだと思う──薄暗がりの奥に消えた。
 僕はゆっくり起き上がり、ベッドの上に腰掛ける。……シーツの上、自分の手の中、肌の上に残った鈴の温もりが、急速に消えていくのを感じる。あの自分の傍から走り去る鈴の姿が、特にそう感じさせたのかもしれない。
 ──無くしたくない。鈴を、あの温かみと柔らかみを、ほんの少しの間さえも、この手から放したくない。情欲か飢え渇きか、それが僕の裡を衝き動かす。
 僕は荒々しく立ち、駆り立てられるように、鈴の入っていったバスルームに向かう。
 無造作に扉を開ける。鈴のうしろ姿、細くて弱すぎる背中は、シャワーの中で自分の肩を抱え、かすかに震えているようにさえ見えた。それはきっと、鈴の方も、つかのまさえも自分の体の冷たさに耐えられない、僕と同じなんじゃないか、と想像する。
「あ……」
 僕がバスルームに入ってきたのを見て、鈴は小さく悲鳴こそ上げるけれど、そのまま僕を拒まないところからは、今の想像の通りだったと、確信する。鈴に背中から腕を回し、シャワーの流れの中で、鈴のやわらかい綺麗な髪に顔をうずめ、冷たい肌の中にぬくもりを探り当てようとするように、うなじに貪るように唇を当てる。指はもっと体温を、鈴の体で一番熱いところを探り当てようとする。
「連っ……」
 鈴が僕の名を小さく叫び、背がびくっと反って、僕の抱きしめる腕の中でその肉体全体があえぐ。滑らかすぎて冷たさを感じる鈴のその肌が、急激に熱さをとりもどしていく。バスルームの天井に、鈴の声が、僕の律動にあわせて、反響していった。



 レプリカントは”人間”のために、その相手をするために開発され、造られている。ひとにぎりを残してこの地上から絶滅した人間が生き続けるのを補助するだけのため、パートナーであれ労働力であれ、レプリの短い寿命は、ただその目的のためだけにある。
 けれど僕と鈴は、造られた直後から、他のレプリのきょうだい達と違って、──理由はわからないけれど、自分の生命に感じる冷たさと寂しさと、それをお互いの肉体で温めあうこと以外に、何も考えられなかった。
 そんな僕も鈴も、何度となくこう聞かされた。僅かな時間を人間相手でなく、レプリ同士の間で浪費する、それは無駄なこと、不毛なことだと。レプリにとって意義があるのは、人間相手の時間だけだ。現に、短い寿命のすべてを人間のために捧げ、不滅の思い出や記録を人間に残したレプリの例を、人間は毎回”美談”めいた論調で挙げる。
 多分、そのとおりなんだろう。そういう例に対して、僕らふたりが費やす時間は、僕らの間にぬくもりはもたらしても、それは僕らだけの間のことで、つかのまのこと。僕らのわずかな寿命が尽きれば、もう誰にも何も残さない。外に何も産み出すことがない。
 だとしても、僕にも鈴にも、互いに離れること、ぬくもりを確かめず過ごすことなんて、考えられなかった。それ無しには、僕らは今の日を生きられないと思うから。
 だけど、そうだとしても──そうだとするならばなおさら──不毛と言われることに頼らないと生きられない僕らは、一体、何のために生まれてきたんだろう?
 ……シャワーでお互いの体を綺麗に洗ってから、ベッドに体を寄せ合うと、腕の中の鈴はもう、すぐに寝息を立てている。鈴は僕と一緒にいるとき、お互いの体温を感じている限りは、たとえ寝ていても、いつも表情は安らかだ。連と一緒に居られればいいよ、あとは何も要らないよ、いつも笑って、そう言う。
 だけど僕は、考えずに居られない。例えば人間や、獣や他の生き物なら、体を重ね肌を合わせるのは、暖めあうため、互いの存在と安らぎを感じるためだけじゃなく、他に目的、得るものがあったはずだ。僕らに、それらが得られることはないんだろうか、と。



「レプリに生殖は可能か、だと?」レプリカント開発の──タイレル社の──研究員は、僕の質問に唇を歪めた。レプリには生殖能力が無い、というのがタイレル側の公称で、今更、そんな質問をする者は誰もいない。それでも、研究員はなぜ僕がそんな質問をするのかは聞き返さない。たぶん、僕のこれまでの理不尽な質問に、慣れているから。
「ばかげた質問だ、と言いたいところだが」研究員の返答は、僕の予想とは違っていた。「実は、”女性レプリが人間男性の子を受胎した”前例がある。関係者の間では公然の秘密だ。男性レプリが人間女性を受胎させた前例の方は無いが、理論上は同程度の確率がある。どちらも小数点以下のコンマ十数桁、といったところだ」
「つまり、ほとんどゼロ……」
「ゼロなものか。科学的には完全な無限小はゼロと同義だが、コンマ十数桁程度の値では、擬似的にすら無限小などというにはほど遠い。”完全なゼロ”を公称にしておきたいタイレル側には残念なことだがな」
 研究員は言葉を切ってから、
「だが、今のは、あくまで”レプリと人間との間”の話だ。”レプリ同士”の確率となると、話は別だ」
 僕が本当に聞きたいことが何なのかは、──過去にしてきた質問のためか──もうわかっているらしい。
「レプリの男女が、受胎させ、受胎する確率。さらに、それが産まれ、生き延び、育つ確率となると──コンマ”十数桁”が、”数十桁”にまで落ちるだろうよ」
「つまり、限りなくゼロに近い……」
「言ったろう。小数点以下コンマ数十桁でも、その程度では、無限小、ゼロなどとはとても呼べないのさ」研究員はまた唇を歪める。おびただしい数の人間そっくりのレプリばかり相手にしている人間は、誰だって冷笑的にもなるだろう。そんな応対の割に、この研究員は僕らのことをよく理解して話している、と思う。
「僕らは、それを求めていいの……不毛とか、間違ったことじゃないの……」
「人間がレプリに生殖能力を無くそうとしたのは、それが人間には不要だからだ。あくまで人間という種が生き延びていく、生活する助けだけの目的には、人間とレプリの子、レプリとレプリの子、そんなものには意味も意義もないからだ。──だが、それは人間の方の都合でしかない。レプリの方の都合はどうだ? ……不毛かどうかは、最終的には、それ次第だ」



「連、どこに行ってたの……」鈴が、不安げに見上げて言う。鈴のところに戻ってきた僕は、ずいぶん難しい顔をしていたと思う。だけど、そうでなくとも、ひとりでいる鈴が不安げなのは、誰かにすがりたいような空気を全身から発しているのは、いつものことだ。
 僕は答えず、鈴のその唇を自分の唇でふさぐ。ベッドに腰掛けて見上げていた鈴をその上に軽く押して寝かせ、いつものように、肉体のあたたかみを求める。渇望を満たすため、肌を貪る。
「どうしたの、連……」ひそめた喘ぎの中から、鈴が言う。「強くしすぎるよ……」
 どんなに強く、激しく体を重ねたところで、4年弱なんて時間の中じゃ、きっと、”その確率”は現実的な値になんてならないんだろうけど。そして、鈴ならきっと、僕らが何も残せないとしても、今を一緒に居られるだけでいい、そう言うと思う。なのにわざわざその望みのこと、それがわずかにしか無いことを伝えれば、鈴をかえって悲しませるかもしれない。2人でいるときの笑顔もかげらせるしれない。それを想像するのは怖い。
 でも、温かみを得るための営みのその先に、僕らは、何かを残せるかもしれないこと。ほんのわずかにでも、その望みがあること。それは、もしかすると鈴を喜ばせるかもしれない。2人でいるときの鈴の笑顔を増すことができるかもしれない。
 だけど、僕にはまだ決心がつかない。鈴に伝えるかどうかは、もう少し後で考えることにする。今はただ、お互いの肌の温かみだけを感じようとしながら、そう思う。