細い肩の重みとその行き場

 一連の何曲かの収録が終わったスタジオの隅の長椅子に、鏡音レンは身を沈めるように座り、疲れに半ばうとうとしかけていた。しかし、ふと気がつくと、体が重いその上に、さらに何かの重みがのしかかっているように感じた。
 最初は何だかわからなかった。だが、だんだん意識を取り戻してくると、その状況にレンの頭は冴えてきた。隣に座っていた鏡音リンが、力を失ってレンによりかかっているのだった。さきのレン同様にうとうとしているのか、完全に眠っているのかはわからないが、レンの腕ごしに体を密着させるように、上体の体重をすっかりあずけ、レンの肩に首をもたせていた。リンのむき出しの腕の柔らかみがレンの脇に押し付けられ、その頬と髪が視線のすぐそばにあった。
 レンは、そのリンの姿から、スタジオの中へと、素早く目だけ走らせた。プロデューサーらスタッフ達の姿はいまだ忙しく動いていて、隅で小休止しているリンとレンに注目しているものは、今のところ居ない。レンは慌しく考え、そして無言で自分に言い聞かせた。……周りから見れば、あくまで自分たちは双子で、姉弟だ。こんな状態になっていても、何も不自然なことはない。こんな光景を人に見られても、せいぜい、仲のよい姉弟、とでも思われて済むことだ。
 わざわざ、レンが自分にそう言い聞かせるのは、レンはそんな”双子の姉”のリンに、必ずしも”女性”を感じないというわけではないからだ。周りがそう思っているほどには、レンはリンと一心同体ではないし、鏡音リンという”少女”のことが理解できているわけでもないし、普段からその姿や振る舞いを万事落ち着いて見ていられる存在でもない。
 レンは非常に居心地悪く、盗み見るように、肩の上のリンの顔を見た。リンとレンはもう何年も一緒に活動を続けているが、今までこんな状況に出くわしたことはない。無論、”電子アイドル”としての諸々の気苦労や、収録の疲れに、互いに折り重なって脱力していたくらいのことならある。だが、活発なリンがレンより先に疲れを表したことや、気丈なリンがレンよりも先にへばったことや、身を預けてきたことなど、今まではなかった。
 なので、レンはリンの寝顔を見つめて、その無防備さにも驚いた。寝顔は安らかで、安心にかすかな笑みさえも浮かんでいるように見えた。レンにいつも向ける強気で勝気の一辺倒な面影も、周りにいつも向ける、仕事について愚痴るだるさや疲れの名残もない。
 そのリンの瞼と睫の繊細な線を凝視しているうちに、レンは胸やこめかみのあたりの血の巡りが早まり、頬が熱く紅潮していくのがわかった。無意識に、そのリンに顔が近づいていた。
 ……レンは不意に気づき、慌てて目をそらした。もういちど辺りを見る。もし双子なら、姉弟なら、こんなふうにじっと見ている──見惚れている──なんて、絶対におかしい。今のは人に見られてもいいというわけではない。
 このままでは、まずいような気がする。慌しく思考をめぐらせた。どうすればいい。
 リンを起こした方がいいかもしれない。だが、もし起こしたら、リンは怒り出すかもしれない。いつもレンの不埒な場面を見れば怒鳴りつけたりハリ倒したりするリンは、目覚めれば、この状況でのうのうとリンに”密着”していたレンに対して、不機嫌になるかもしれない。だが、それよりも──レンは再びひそやかにリンの寝顔を見て思った──今のこの状況、肌の感触、温かみと、この寝顔に、レンは未練を感じた。
 どうすればいい。何ができる。何をしたらいい。いや、──
 ──何をしてもいいんだろう。ボクは今、リンに対して。



 と、スタジオ内から、レンだけを呼ぶプロデューサーの声が聞こえた。レンは我に返ったように、顔を上げた。
 行かなくてはならない。レンは心では解放されたように感じて、ほっとしたが、なぜか体の方は、今のこの状況からしばらく動こうとしなかった。
 ややあって、レンは、そろそろと立ち上がりながら、自分にまだよりかかっているリンを両手で支え、壁によりかからせた。リンは今まで感じていたよりも、はるかに軽かった。目を閉じたままのリンの首がこくりと傾き、柔らかい髪とリボンが微かにそよいだ。
 その光景に、リンを見下ろしたままレンは立ち尽くしていた。……もういちど、プロデューサーの呼ぶ声が聞こえた。レンは一度振り返ってから、駆け出すようにそちらに向かっていった。



 しばらくして、壁によりかかっていたリンが、ゆっくりと自力で首を上げた。無造作に身を起こすだけで、伸びや頭を振るような仕草はせず、目覚めたのがたった今であるようには見えなかった。
 リンはそのスタジオの隅の長椅子に掛けたまま、ぐっと疲れたように、自分の膝に頬杖をついた。スタジオのレンの後姿をけだるげに見つめて、つぶやいた。
「……意気地無しなんだから」