例えばこんな供給形態V

「あたし知ってるよ」少女の中のひとりが言った。「隣のお姉さんが教えてくれたもん。あの有名な『初音ミク』っていうのは、”マスターのパソコンの中”に住んでるんだって」
 教室の中、集まっている少女たちは、一斉にその一人を見た。
「”マスター”って誰?」その中のもう一人、強気そうな少女が言った。
「『初音ミク』のソフトを買った人、ミクが入ったパソコンを使う人を、そう言うの。お姉さんがそうよ。そのパソコンの持ち主、マスターだけの言うことを、絶対に聞くんだって。聞かないと、アンインストールされて、消されちゃう決まりだから」
 周りの少女たちは、興味深げに最初の一人を見た。強気そうな少女が、少し考えてから言った。
「そのパソコンの中のミクのソフトが本当にお姉さんに向かってそう喋ったの? お姉さんのことを”マスター”って呼んでたの? それを見たの?」強気そうな少女がたずねた。
「それは……」最初の少女は口ごもってから、「……それは、お姉さんが見せてくれた、動画の中でも、そういうものなんだ、って言ってたし。あと、ネットで見つけた小説とかにもたくさん、そう書いてあるんだから」
「そのマスターって、ソフトを買った人と、パソコンを使う人のどっちなの?」
「え?」
「そのパソコンを、いろんな人が使ったらどうなるの?」強気の少女は言った。「そのお姉さん以外の家族も使ってるパソコンだったらどうなるの? あと、あんたがそのパソコンを操作させて貰ったら、お姉さんとあんたのどっちがマスターなのよ?」
「それは……お姉さんが、マスターだよ。ソフトを買った人だから」
「じゃあ、あんたがそのパソコンを操作したら、言うことは聞かないの? マスターだけの言うことを絶対に聞くんでしょう?」
「それは……」
「パソコンの中のミクは喋らないんでしょう? あんたのこともそのお姉さんのことも、ミクはマスターなんて”本当は”呼ばないんでしょう? じゃあ、どっちかがそのマスターだなんてどうしてわかるの? 誰が決めてるのよ?」
「……ね、この中にも『初音ミク』が入ってるの?」別の少女が、待ちきれないようにその会話に口を挟んだ。最初の少女に、興味津々に携帯ゲーム機を見せた。「このゲームをやってる人って、ミクを持ってるわけだし。全員”マスター”ってことなの? ゲームのデータを消したら、ミクが消えちゃうの?」
「それは……ほんとのミクじゃないよ。ニセモノだよ」最初の少女は、口ごもりながら言った。「『初音ミク』のソフトじゃ……その、お姉さんが持ってたみたいな、音の、声の、ソフトじゃないもん」
「こないだ、初音ミクたちのライブがあったじゃない。ネット配信とかもされてて。あれも、このゲームのミクと同じミクだったわよね?」強気の少女が言った。「あれはパソコンの中に閉じ込められてなんかいないし。それに、いろんな歌、作者が別々のを、色々歌ってたし。あのミクは、誰が”マスター”ってことなの? どの歌の作者なのよ?」
「ええと……あれも、ゲームのと同じ、ニセモノだよ」最初の少女は苦しげに言った。
「ニセモノって、どこの誰がどう見たって、ホンモノの初音ミクはあれじゃないの? 本家のメーカーがライブをしてるんだし、一番有名だし。今『初音ミク』っていうと、あれでしょう?」
 最初の少女は口ごもった。
 沈黙が流れた。
「ね、みくる、どう思う?」不意に、別の少女のひとりが聞いた。
「そうだ、ミクっていえばみくるだよ!」さらに別の声が上がった。
「え」
 呼ばれて不意に注目を集めたその少女は、しばし口ごもってから、
「ええとぉ……」周囲の視線を感じて戸惑いながら、今のゲーム機のミクの歌声にどこか似た、舌ったらずな声で言った。「えと、あの、そういうのって、ミクだとか言われてるのとか、それから……自分がミクだ、って言ってるのとかって……全部、ホンモノじゃないかなぁって、思うんだけど……」
 周囲の少女たちは、わかったようなわからないような、しかし神妙な面持ちでその一人を見つめ続けた。
「おーおー、一生懸命話してんなあ、お前らなんも知らないのにさ」男子生徒がひとり、生意気な笑みを浮かべてぶらぶらと歩み寄ってきた。
「何よ?」強気の少女がとがめるように言った。
「オレさぁ、こないだ、ホンモノの『初音ミク』と、道ですれちがったぜ」
 少女たちは一斉にその少年を振り向いた。
「ホラ、横を走ってくのを、携帯で録画もしといたんだからさ」
 少女たちは一斉に、少年の携帯の画面をのぞきこんだ。
「ちがうよコレ!」
「これのどこがホンモノの初音ミクなの!?」強気な少女が少年を罵った。「ていうか、ホンモノとかニセモノとか以前の問題でしょ!?」
「みくる、これどう?」が、一人がさきに呼ばれた少女に声をかけた。
「ええっと……」呼ばれた少女が舌足らずに言った。「あの、それも、きっとホンモノじゃないかなぁ……」



 その教室の隅で、かれらのその騒ぎの光景を見つめているのは、教室の中では目立ちはしないが、注視すれば際立つほどに整った身なりの、少女がひとり。目を落とし、掌の中の機器、携帯レコーダーによく似た緑と黒の小板状の装置(ユニット)の側面に指を滑らせ、奥ゆかしい仕草で、スイッチに触れる。
 その瞬間、少女のかたわらに、緑と黒の女性の姿が出現する。あたかもずっと前からすでにそこに立ってそうしていたかのように、少女の傍らにたたずんでいる。緑の髪はツインでなくシングルテールのセミロングで、黒系の服はかなり生地が分厚く、袖も裾も長く、その色合いもシックなものだ。
「教室で呼び出すなんて、珍しいですね」彼女は少女を見おろして言い、ついで、向こうの女子生徒たちの光景に、その目を移す。彼女の姿は、この装置(ユニット)を通して少女の五感全ての感覚神経に対し、あたかも”その場に存在する”かのような情報が直接入力されている超高解像度擬験構造物(ハイレゾ・シムスティム・コンストラクト)であり、少女以外の者にはその姿は見えず、声も聞こえない。しかし、それが見え感じられる少女にとっては、その存在感も実存性(リアリティ)も、さきの話に出てきたゲームやライブ映像の比ではない。
「ねぇ……」少女は傍らの彼女を見上げて声を発したが、続く質問は思いつかない。この少女の持つ装置(ユニット)からいつも現れる彼女、この”オルゴールの精霊”は、はたして”ホンモノ”なのだろうか、という疑問がよぎった。よく世間で初音ミクと言われている姿、例えばさっきの話に出ていた”ライブで歌っていた初音ミク”とは、服装も年齢もかなり違う。性格も、よくネットで見るものとは、だいぶ違うような気がする。かれらのいうように、ホンモノとニセモノがあるとしたら、どこからどこまでがそうなのだろう。
「今の話ですか?」彼女のその姿は、教室の壁によりかかり、「あの皆が今言った初音ミクは、『全部ホンモノ』かもしれませんし、『単独ではどれ一つとして、ホンモノではない』かもしれません。──皆の言ったもの。PCに入っているもの、ゲーム機その他の機器に入っているもの、動画その他で動いているものや動いていないもの、姿が違うもの──それらは全部、初音ミクの”アスペクト(分身;側面;様相)”です。そのアスペクトは『全部がそれぞれ、ホンモノの初音ミク』、でもありますし、『それらの全部を集めたものただひとつだけが、ホンモノの初音ミク』、でもあります。わたしには──わたしたち自身にとっては、そのどちらでも同じことで、区別はつきません」
 緑と黒のその女性は、首を傾け、はらりと流れる髪の奥に澄んだ白い肌の線を現して、微笑むと、
「といっても、人間にはわかりませんよね。──だから、どちらでも好きな方に考えれば良いですよ」