天地と彩りと毛髪

 神威がくぽは、大事そうに覆いをかけて持って来た巨大な絵のスタンド額を、スタジオの控え室の壁際に据え付けた。
「この控え室は、味気がないと常々思っておったのだ」他の面々に問われて、がくぽはそう説明した。「そこで、この部屋を彩る華にと、我の日ごろから最も尊敬する方の御姿を置くことにしたのだ」
「ちょっと、GUMI」鏡音リンは隣の一人を、がくぽと巡音ルカに気づかれないように数歩後ろに引っ張ると、囁いた。
「何?」
「何ってさ、がくぽの尊敬する人で、景色を彩る華になるってその」リンはさらに囁き声になり、「絶対、『森之宮先生』だよ」
「あ!」GUMIは小さく叫び、慌てて口を塞いでから、額の覆いを無表情で見つめているルカに目を移した。
「絶対ロクでもないことになる。ルカがこの部屋ごとあの額を吹き飛ばすか、それとも、ルカがこの部屋ごとがくぽを吹き飛ばすか」リンはもっと小声になり、「せめてあの覆いを取るのはルカがいないときにするか、できれば、ルカが見る前にあれを撤去しちゃうかしないと──」
 が、それに気づいたときには遅かった。ルカはつかつかと壁際のスタンド額に歩み寄ると、額の覆いを取った。GUMIとリンは硬直した。
 ──しかし、その下から現れた、大写しに引き伸ばされたその肖像写真は、がくぽ以外のこの場の誰ひとりとしてまったく見覚えのない、何者か禿頭の老人の姿だった。
「……どういう趣味なんだヨ……」かなりの沈黙の後、リンがうめいた。
「ていうか、……誰?」続いて、GUMIが尋ねた。
「偉大な娯楽作品を、物語を創造した方、御大と呼ばれる方である」がくぽが物々しく言った。「この方とその作品は、計り知れない人々の間に娯楽と、人々の中に幾多の天地(あめつち)をも拓いたのだ。それと共に──永きに渡り人々の間に争いを呼び、この方自身にも言い知れないほどの苦悩をもたらした。幾多もの天地を生み出す偉大さと共に、それが創造者にも、天地そのものにも、苦しみを伴うことをも我らに示したのだ。我らは覚えておかねばならぬ。この御方の事跡とそれらの事実を」
 一同はそれからしばらくの間、やはり立ち尽くすしかなかった。要はこの人物は何かのクリエイターということらしいが、それにしても何の話だかさっぱりわからない。
「──がくぽの最も尊敬する人と聞いて」ルカが唐突に口を開いた。「私は、もっと別の人のことかと思っていました」
 リンとGUMIが飛び上がった。
「がくぽの中で、それほどまでに大きな存在となることは──並大概のことではないのでしょうね」
 ルカは、がくぽを見上げ、その瞳を見つめて言った。先のがくぽの台詞を思い出してか、その瞳を伺うように、がくぽの瞳の中の天地(あめつち)の彩りを見出そうとでもいうように。それから長い沈黙が流れる間、がくぽとルカは見つめあっていた。
「ロクでもないことになんなくてよかった」GUMIがつぶやいた。
「いや、充分にロクでもない一連の光景を見せられてると思うけど」リンがうめいた。