ハートガクポル 第1話 (前)


 《大阪(オオサカ)》所属のヴォーカル・アーティストAI、神威がくぽは、本来ならば秀麗かつ颯爽たる風采のその体躯を折り曲げるようにして頭を抱え、ベンチの上で、何かをぶつぶつと呟いていた。
 電脳空間(サイバースペース)ネットワーク内、かれらVOCALOIDがよく仕事をする《秋葉原(アキバ・シティ)》のスタジオのエリアにほど近い、休憩用の広場スペースの一角である。情報の星と銀線が輝く格子(グリッド)の蒼天を直接見上げる、決して人通りが少ないとはいえないネットワークの街路に面したその広場で、がくぽは断続的に不可解なうめき声を上げ続けており、その傍らには、『jamバンドパン工場』の標章(ロゴ)の入った大きな紙袋が、ベンチの上に置かれたままになっている。
 GUMIとリンは、その広場スペースの入り口付近に身をひそめるようにして、その神威がくぽと周辺の光景を垣間見ていた。
「なんか心あたりある?」《札幌(サッポロ)》所属の同業者VOCALOID鏡音リンは、がくぽの方を怪訝げに凝視したまま言った。
「いや……」《大阪》のがくぽの後輩、GUMIが、同様の視線のまま答えた。「あのパンに食あたり……とかでもなければ」
 しばらく躊躇してから、GUMIとリンは、そのベンチに歩み寄っていった。
「ね、がくぽ……」
「リン!」がくぽは気づいて顔を上げた。「良い折に出会(お)うた。聞いてくれるか」
 GUMIとリンは、気の進まないような苦味のある表情をした。ことにリンは、がくぽにそう頼まれて悪い気はしないのと頼まれる内容に悪い予感がするのが入り混じった複雑な表情をした。
「……今、我が心を悩ましているもの」やがて、がくぽは重々しく口を開いた。「それは元はといえば、他ならぬ、あの”森之宮先生”の言葉である」
「誰それ」GUMIが聞き返した。
「きちんと話すとすごく長いけど、がくぽが倒れた時に治療してくれたことがある、要は恩人。《札幌》(こっち)の北海道神宮近くにいる」リンが口を挟んだ。
「我が心の師ともいうべき御方である。そのたおやかで静謐な姿も、妙(たえ)なる声の音(こわのね)も──その言の葉の一言一句までが、それらを伴ってありありと思い出されるのだ」がくぽは目をとじて言った。
 GUMIが、怪訝げな目をそのがくぽに向けたところを見ると、どうやら普段同じ《大阪》で過ごすGUMIでも、がくぽのこんな様子、心酔のありさまは、しじゅう見るようなものではないらしい。リンは思っていた以上に事態が重くなるおそれを漠然と感じた。
「かつて森之宮先生が仰られたそれは。”我(が)のみを通し、宿業すべてを背負い込むのではなく、この世の天数・星辰のあらわす宿運の巡りを読み取り、応じて一体となり生きよ”と。さもなくば、自ら裡に業を重ねてゆく生き方を脱することはできぬと。……この世の因果、もとい、周りの流れに従って生きねば、我が命運は必ずや行き詰る、ということであろう」がくぽは仰々しく言った。「──その言の葉には、いたく心服したものの。しかし、いざその言に応じて、宿運の巡り、周りの流れに沿って生きるよう振舞うとなると、どうすればよいのかわからぬ」
「そりゃわからんわ」リンは言った。そんな助言をされても、誰でも必ず困るというわけではないが、普通なら困る。ましてがくぽなら、困らないわけがない。
「その助言を胸に秘めつつも、何もできぬまま徒に時は過ぎ。そのせいであろう、我の身辺に起こることすべて、周りの流れとの間には、何やら齟齬を生じることばかりと感じる」がくぽは重苦しく言った。「《大阪》での披露目より後、リン達《札幌》の先達に習い、楽と芸の道を続けてきているものの。《札幌》の面々に比べれば、その芸の広がりは行き詰まっておる。そして、他者との間も。ことにルカの、我に向ける日々様々な振る舞いに対しては、正直、どう受け止めてよいのか皆目わからぬのだ」
「いや、後の方のは兄上の宿運だかのせいばかりじゃ……」GUMIが小さく言った。
「……んで、そんなことを悩むあまり、《上野(ウエノ)》にあるjamバンドパン工場で、”風林火山コッペパン”を大量に買い込んできたっての?」リンは、がくぽの傍らの紙袋と、その中の大量のコッペパンを見つめて言った。
「いや、それは私が《上野》で買ってきてって頼んだの」GUMIが言った。
「それは最初に言えよ」リンはつぶやいてからGUMIに、「……あのさ、あんまり話を反らしたくはないんだけどね、そのGUMIの姿勢にもちょっと問題ってやつはない? 仮にも先輩で”兄”というべき人を、しかもこのがくぽみたいな人を、見知らぬ地の食べ物買いのパシリに使うだとか」
「いや兄上の方からね、私の方は収録予定があるって言うと、買ってきてくれるって」
「そう、まさに、GUMIのために買い物に街に出た、その帰りに見出だしたもの!」突如、がくぽが叫んだので、リンとGUMIは揃って振り向いた。「それこそが、さらに加えて、ただならぬ次第であったのだ!」



「《上野》からこの演場に戻る途中。この近くの神田明神の辺りを通りかかった折」がくぽは重々しい声で言った。「その場に他ならぬ、『天数と星の巡りから命運を読み取る匠の技の持ち主』を見出したのだ。そこで、宿運に沿って生きるためのしるべを得ることができようと思い、その助言を請うた」
 GUMIとリンは、怪訝げに顔を見合わせた。そんな技の持ち主が、街の通りすがりに転がっているとでも言うのか。
「しかし……なんたることか! その得られた助言──我の周りに因果をなすその宿運たるや、とてつもないものであったのだ!」
 がくぽはGUMIとリンに向かって、紙状のファイルを差し出すと、再び頭を抱えた。
 GUMIとリンは、その紙を共に覗き込んだ。それは、電脳空間に散在する個人ウェブサイトの出力ファイルとおぼしきもので、表題には飾り文字ででかでかと、『大人の仕事の悩み恋の悩みに 星空ハグの星占いコーナー』と書かれていた。紙面のデザインには、やたらとキラキラしたものがちりばめられ、とぼけた味がすると言えるほどに垢抜けないそれは、せいぜいが、新婚倦怠期で暇をもてあました若妻が手慰みに作ったウェブサイトにしか見えなかった。
 その紙面には、がくぽの運勢に対する占い結果の文章が書かれていたが、”占いコーナー”に独特の『運勢』に関する曖昧な言辞や、意味があるようで無いほのめかしの文章がずらずらと並んでおり、全体的によくわからない。一方、紙の隅には星占いの易算に使っていると書かれている複雑な記号が並んでおり、これも意味があるのかないのか、ともかくわからない。
 が、つまるところ書かれている結果は、がくぽのここしばらくの運勢の無卦(むげ)ぶりが──何もかも、仕事運、人間関係、すべてがどん底で、さらにここからも当面は下り坂という結果が出たということだった。
「つまり、兄上は、このどっかの一般人の作った星占いサイトを訪れて、”命運を読み取る匠の技の持ち主”とか思ったってこと?」GUMIが言った。
「そうらしい」リンが答えた。
「んで、要するに、ただの占い結果が悪かったのを、ここまで悩んでるってこと?」GUMIが言った。
「そうらしい」リンが答えた。
「匠の技うんぬんは置いとくとしても」GUMIが考え込むように、「星占いの結果にここまで落ち込むって、乙女か何かみたいだなぁ……」
 リンもしばらく考え込んだが、やがて口を開いた。「まぁ……でも、なんとなく、がくぽだったら、わかる気もする」
「わかるって、何が」
「がくぽの体質のサムライ風っていうか、大昔の作法だとか考え方なわけだけど。それで、昔の格式だとか、様式だとかってのは、つまり、元々が縁起の良いものを選ぶとか、吉兆を選ぶとか、げん担ぎとかから来てる、つながりが深いわけじゃない? ……だから、そういうのをがくぽは凄く気にするのかもしれないって」言ってからリンは、出力ファイルの紙の隅の方の、易算の式や記号を指差し、「あと、私にもわかんないけど、このワケのわかんない記号の中身も、がくぽには何か重大なことが解読できるのかも」
「んな、まさか、兄上が?」
「がくぽは、KAITO兄さんみたいな脳味噌フラワーガーデンや、レンみたいなヘタレ鉄砲玉や、ALみたいな脳筋とは違うよ」リンはGUMIに小さく言った。「教養もある。”四書五経”とか”武経七書”とかたくさんの本、全部そらんじてるし。難しいことが書かれた文面だとか図式だとかは、がくぽには、読みとるだけなら大抵できるんだと思う」
「ぜんぜん知らなかった」
「知らなかったってGUMIアンタさ……」
「ていうか、むしろ、なんでリンが兄上についてそんなに知ってんの」
「いや、そりゃ……」リンは言葉に窮し、わずかに赤くなった頬を誤魔化すように掻いてから、「これだけ日々厄介に巻き込まれてるうちには、特にがくぽが起こすのには」
「──どうすればいい!? ここまで天数の巡りが悪ければ、仕事も他人のことも、我のなすこと、何もかも行き詰るのも道理ではないか!」
 がくぽは頭を抱えたまま、人目をはばからず叫んでから、
「再び、森之宮先生に相談すべきか。……否、あれほどまで世話になったところに、この上さらに先生の手をわずらわすに及ぶなど、武士の面目というものが立たぬ……!!」
 何をどうすればよいのかさっぱり判らないのは、GUMIとリンも同じである。ただし天数云々ではなく、こんな状態のがくぽをどうすればいいのか、ということだった。
「ええと、どうすればいいか、まず、こういう広場以外のところに行ってから考えた方がいいと思うけど」GUMIがたどたどしく言った。
「それととりあえず」リンが冷静に付け加えた。「森之宮先生でも何でも、聞きなれない女の名前を熱弁するときは、ルカが周りにいないことを確認してからの方がいい」
「──私を呼びましたか」
 突如、背後からの平坦なその声に、GUMIとリンは2フィートほども飛び上がった。
 巡音ルカが悠然と立つその姿は、GUMIとリンの背後に、すでにずっと前から当然のようにその場に控えていたかのように見えた。リンは、それが主にルカの冷静な雰囲気のための錯覚に過ぎないもので、今の話はそれほど前からは聞いていなかっただろうと信じようとした。



(続)