ディレイラマ木人拳(3)


 またしても肩を精神注入棒で叩かれ、レンは思わず悲鳴を上げた。
「ォヮェァォッゥゥヮァィ!」
 硬い木製の精神注入棒のようなもの(実際はレンの知らない単語だが『警覚策励(ケイカサクレイ)』である)を持った、やや濃い色の法衣を着た僧侶(色以外はやはり他と一切見分けがつかない)が、背後からレンを叱り付けた。
 しかし言っている意味はわからないし、どうすればいいかもさっぱりわからない。
 今、僧院の広い御堂の中で座を組んでいるレンの右には、同様に座を組んだ2人の僧侶が並んでいる。そしてレンら3人とちょうど真向かいになるように、向かいにも3人の僧侶がいる。レンのすぐ右の二人と、そのまっすぐ向かいの二人は、ほとんどひっきりなしに詠唱を繰り返している。(なお、その二人は向かいの3人のうち、『主』の札をつけた僧侶メ・インと、その右隣で合わせている『副』の札をつけたハモ・リーである。)
 問題は、レンの真向かい、つまり前にいる3人のうち、向かって一番左の僧侶である。他の詠唱が始まってから少なくとも今まで、まったく何もしない。ただ姿勢だけは同じで、合掌しているだけである。
 おそらく、真向かいにいる僧侶と同じことをすればいいと思うのだが、というかレンにはそれしか思いつかない。しかしながら、真向かいと同じように黙って何もしないで合掌していると、背後から精神注入棒が飛んでくる。
 ただ黙っている以外の、何かが必要なのか? 向かいの、胸に『左』の名札を付けたこの僧侶は、歌わない間も、何かをしているというのか。もしや、それを見つけ出すことが修行なのだとすれば、それは確かに相当な修練だ。(なお、後になってからレンはこの僧侶、ヒ・ダリの様を自ら思い出すことになるが、それはまた別の物語である。
 だが、何はともあれ、このまま精神注入棒で叩かれたり意味不明な音を出そうと試み続けていては、身がもたない。とりあえず、修行だの”仏教の心”だのは中断して、この僧院から一旦なんとか脱出しなければならない。



「私が居ながら申し訳ありません」GrossBeat-chanが、合流後に共に崩れた荷物をどかしてくれたFL-chanの姉妹らに、静かな機械音声で言った。
「たいしたことはないわよ、いつもほどには」Sytrus-chanが、顔中に絆創膏を貼ったFL-chanの前で救急箱を閉じて言った。それからSytrus-chanは温和な笑みと共に、GrossBeat-chanに言った。「これからも気をつけてあげてね」
 FL-chanのこの”姉”(→一応参照 トラバは自重(ry)は、FL-chanの方に言っても彼女の危なっかしい体質が直りようもないことまで、すでに重々熟知してしまっているので、いつものことである。
「はううう……」FL-chanは気の抜けた声だけ出した。
 既に積み直してある荷物の上には、彼女らの双子の妹ら、Candy-chanとEQ2-chanが腰掛けている(→一応参照 トラバは(ry)。
「ずいぶん遅くまでかかっちゃったねー。カサンドラで待ってるSliceXとOgunが退屈してるよー」Candy-chanが沈んでいる”姉”に明るく声をかけた。
「合流前にも、私が時間を費やしてしまったためです」GrossBeat-chanが言った。
「珍しいねー。何があったの?」
「お坊様が行き倒れているのを、僧院に送り届けていました」
「……そんなことあったの?」FL-chanが憔悴したままの顔を上げた。あの時は、荷物の収拾のために、GrossBeat-chanはその場では小坊主を送り届けた報告は結局していなかったのだった。ここに及んで、GrossBeat-chanは事情を説明した。
「ココ掴んで運んだわけねー、ビューンて飛んで」Candy-chanが自分の襟首のうしろを掴んで、GrossBeat-chanに親しみをこめて言った。「私ももっと小さいころによくやられましたワカリマス。でも、時間かかったのはそんな行き来よりもこの事故だとか──」
「人助けのためなら、時間の浪費ではない……」EQ2-chanが、Candy-chanの台詞(FL-chanの立場をまた危うくしそうなもの)を遮って言った。同じ双子の妹らのうち、Candy-chanと声質はそっくりだが、無表情で、低くささやくような声である。
「お坊様というと、このあたりではDelayLama様のひとりかしら? アムステルダムの僧院に送ったの?」姉のSytrus-chanが温和に、GrossBeat-chanに尋ねた。
「送り届けたお坊様の姿を投影します」GrossBeat-chanは手のそばに、マトリックス上のホログラムモニタのウィンドウを開いた。
「ばぶーーーーーーーーん!!」
 その小坊主のあまりにもちぐはぐすぎる扮装を見て、Sytrus-chanが吹き出した。
「わー、かっわいいー!」Candy-chanが、映し出された薄色の僧衣の小坊主の姿に、目を輝かせて叫んだ。
 FL-chanはといえば、いかにも怪訝げな目をしたまま、無言でその映像を見つめた。
「これは明らかにDelayLamaじゃないだろう……」しばらくしてから、低い静かな声のEQ2-chanが言った。EQ2-chanは、映像からは遠くてブラシのようにしか見えない、小坊主のくわえた六阿弥陀像を指差した。
「これは浄土教の上人の特徴を模したもので、チベット仏教じゃない……」
「って、何を言ってるの!?」FL-chanが頭を抱えた。
「『EQ2-chanは仏法、殊に”禅”の心に造詣が深い』という原作者設定がカサンドラのメインメモリに蓄積されていますが、”禅”とは一体何であるかのデータは全くありません」GrossBeat-chanがFL-chanに言った。
「”禅”が何なのかとは”データ”ではない……自らが”禅”を通して知るほかにないことだ……」EQ2-chanがささやくように言った。
「って、ちょっと待って」FL-chanが言った。「てことは、つまり、DelayLama様じゃないお坊様を、アムステルダムの僧院に放り込んできたってこと!?」
「ううーん、話を聞くと、極東から光遁か仙雲で飛んできたって時点で、お坊様でさえないかもしれないわね」Sytrus-chanがにこやかに言った。光遁も仙雲も『道術』であり、僧侶の『法術』ではない。
「申し訳ありません」GrossBeat-chanが平坦ぎみの機械音声で言った。「お坊様を見分ける方法として、EQ2-chanから『髪がない奴が僧侶だ……』と教わっていたもので」
「しょうがないよー。GrossBeatは悪くないよー」Candy-chanが言った。「チベット仏教の指導者ガンダムの総監督だって西洋人が見たらなんだかよく見分けつかないし」
「って、誰それ!?」FL-chanが呻いた。「ていうか、そんなことより……もしかして、その人があの僧院で修行させられてたり、僧院から出られなかったら、ものすごくまずいんじゃ!?」
「出してもらえるかしら?」Sytrus-chanがにこやかにEQ2-chanを見下ろして言った。
 EQ2-chanはしばらく黙っていたが、やがて、思い出したように口を開いた。
アムステルダムのDelayLama僧院の門をひとたびくぐった者は、僧であれ他の何者であれ、『少林寺木人拳の間』を突破する以外、決して抜け出ることは許されない……」
「って、何それーー!?」FL-chanが頭を抱えて叫んだ。



(続)