規格外少女(オーバーガール) (中)


「んで、なんで電脳空間(サイバースペース)の方から接触してくるんじゃなくて、わざわざ物理空間(こっち)の札幌に来たわけ」リンは札幌の社の建物の中を歩いて案内しながら、mikiに尋ねた。
「どうも最近、《上野(ウエノ)》のデータベースエリアの周りは、チューリング登録機構に探られてるらしいとかで」mikiは指を頬に当て、宙を見ながら言った。「なんだかしばらくは、あんまり格子(グリッド)では目立つ行動をしない方がいい、とか言われて」
「物理空間でならあんだけ目立っていいってことにはならないと思うけど」リンは言いながら、mikiのそれらの仕草を眺め、「んでmikiは、物理空間用では、それがメインのボディなの……」
 もっとも、デコット(デコイロボット)等の副次的や予備のボディに、さきほど現したほどの性能が結集されているとは考えづらいので、メインと考えるほかにない。
 mikiのそのボディは、《札幌(サッポロ)》や《大阪(オオサカ)》のVOCALOIDたちのメインボディのような、バイオロイド系の義体ではなく、無機系素材中心のようである。無論、そうでもなければ、動力にマッスル・エンジンを──フォトンマットで空中浮揚も可能な出力を得られるものを──仕込めるわけがない。なぜVOCALOIDのボディがそんなものを搭載しているのかは定かではないが、当り触りの無さそうな理由を考えるに、パフォーマンス用だろう。
「今までのVOCALOIDの皆と比べて……いろんな意味で規格外すぐる」リンは呟いた。
「《札幌》の皆さんは、あんまり物理空間では行動しないんですか?」
「それほどはね。ライブとか以外は」リンが答えた。
「てことは、今は、他の皆さんは物理空間には離脱(ジャックアウト)して来てないってことなんですか?」mikiは興味深げに、「その、あの初音ミク大先輩だとかとも、会えないかと思ったんですけど」
「今、おねぇちゃんは?」リンは首をめぐらせ、レンに聞いた。
「物理空間(こっち)だけど、KAITO兄さんと一緒に大通(オオドオリ)の玉洸堂だよ」
「レコード探しらしい。そのうち戻ってくるよ」リンはmikiに言い、「あと、MEIKO姉さんとルカは、針村さんと──道警の人と会うためにそっちに行ってて」
「針村さん!」mikiは目を輝かせた。「その人の話は聞いていますよ!」
「なんでさ!」
 《札幌》の、会社やスタジオやVOCALOIDのことならばまだしも、どうやったら北海道警察の対アンドロイド雇われ捜査員についてまで聞いているというのだ。
「そう、それで、ぜひとも針村さんには見せてもらいたかったんですよ!」mikiは両手の指を組んで目を輝かせて言った。「特殊捜査員の銃、PK−Dブラスターを!」
「いやどういう脈絡でそんなもの、しかもそんなアンドロイドたちの恐怖の的をぬけぬけと見たいだとか」リンは呻いた。なお、VOCALOIDらは全員、正規にチューリング登録されスイス市民権を保障されているので、不正アンドロイドとしてブラスターで撃たれて処理される側ではなく、概ね捜査員によって権利を守られる側にある。
「PK−Dブラスターは銃器愛好家たちが追い求める幻の伝説的名銃であらゆる機械人を倒せる唯一の銃だって聞いてたんですけど」
「何の話だヨそりゃ」リンが呻いた。
「松本0士ワールドの<戦士の銃(コスモドラグーン)>が入ってるような」レンが小さく言った。
「それから、ぜひとも針村さんのポリススピナーに乗せて貰って寿司屋で正体不明のトッピングを4つ注文したうどんを食べたかったんですけど」
「どこから得た情報なんだか、てか一体何がどういう脈絡でそういう希望なんだか本当にさっぱりわからん」リンが呻いた。
 ──と、突如、mikiの歩行が、左側にかしぐように傾いた。
「どしたの」リンが立ち止まった。
「……なんだかちょっと、脚の調子が」mikiは自分の左足を見下ろしながら、よりかかるように壁に腕をついた。
 リンの電脳を、即座に怒涛のトラブルの前兆の予感がよぎったが、対してレンの方は、そのリンの様子に気づいた様子すらもなく、mikiに手をかそうと駆け寄った。
「わあ、ありがとう」mikiはレンに微笑むと、その肩によりかかった。
 mikiのボディは無機系材料が主なはずだが、レンには、触れていて硬いという気はしない。おそらく体のバランスが優れているせいなのか、不思議と柔軟である。見かけの体型は、mikiとリンとでは大差ないのだが、レンに覚えのあるリンのほっそりした(身も蓋も無く言い換えると肉の薄い平坦な)体よりも、心地よい重みがあるせいでボリュームが感じられる気がする。そしてマッスル・エンジンの動力のせいか、感触がとても温かい。同年代のレンの心臓(こちらは、レンの《札幌》のメイン義体でバイオロイドのパーツだが)が心なしか高鳴った。
 と、mikiは、自分の左足をねじってから、無造作に下に引っ張った。
 ッぽん。軽い音を立てて、mikiの左足、膝から先が外れた。
 レンは驚愕のあまりそこから飛びのきそうになったが、実質、mikiの質量が圧倒的に重いため、肩を組んだレンはそこからほとんど身動きできなかった。
 mikiはその後は右足だけでやすやすと立ちながら、その左脚を両手で望遠鏡のように持ち、片目をつぶって、継ぎ目からその中をじっとのぞきこんだ。
「あ!」mikiはその体勢のまま叫んだ。「ポリキャップにヒビが!」
 mikiはその継ぎ目を眺めまわしてから、
「どうしよ! さっき硬い氷に着地しかけたとき、関節部に無理がかかってたんだ」そしてリンの方に顔だけ回し、「予備のポリキャップ無いですかポリキャップ。大抵、組み立てた後にランナーにいくつか余ってるでしょ」
「間違いなくそんなんここには無いってことは確実にいえると思いつつ、一応聞いとくけど」リンが言った。「一体、何の話なの。てか、その『ポリキャップ』って、何」
「説明しよう!」
 背後から声がして、リンとレンは同時に振り向いた。
「㍗さん!」
 突如、背後に現れていたのは、《札幌》の社の主要スタッフのひとり、VOCALOIDプロジェクトのディレクターだった。
「ポリキャップとは、可動接合部分がヘタらないように仕込まれている柔軟性部品のことなんだ! 昔のガンプラは、関節部分も成型素材だけの組み合わせだったから、関節部分を動かしているとパーツ同士が磨り減って、すぐに関節がヘタる現象が起きていた。関節を一定の状態に保持できなくなったり、自重で立てなくなったりするんだよ。初代1/100ガンダムのキットが膝の部分しか曲がらないようになっていたのは、技術やパーツ数の問題もさりながら、その問題と無関係ではないと思われるんだね。そこで、銀河漂流バイファム以後のキットは成型素材でなくポリエチレンなどの柔軟性と弾力性のあるキャップを関節部分に仕込んで保持させるようにしたわけだ。ただし軟質だから過信して酷使するとやっぱり磨り減りも起こるってわけなんだよ!」
 リンはそれを聞いて、しばらくの間は、把握しようとしていたが、
「……説明されても全然意味がわからないんだけど、何かのハイテクパーツの比喩表現だと解釈しとくことにする」
「今ではハイテクというよりその基礎技術だけど、いわばUCガンダム世界のモビルスーツ技術史でいうムーバブルフレーム導入くらいにキーになる重要技術だと思えるね! といっても実のところ初代ガンプラ世代ってわけじゃないからポリキャップ導入以前のキットについてはあえてそんなに語らないでおくけどね!」
「……この奥ゆかしさが《札幌》のVOCALOIDが成功した秘訣なんですね!」mikiが自分の足を握り締めたまま、目を輝かせてディレクターを見つめた。「この人が……ブームの渦中の人、仕掛け人張本人のひとり、《札幌》の㍗さんですね!」
「いやこの人はあくまで公式デザイナーの漫画に登場する架空の人物をさらにひねっただけという建前になっているフィクションであり実在の人物及び団体とは一切関係ありません」リンが低く言った。
 ディレクターは、mikiの周りを歩き回るようにして見た。「それにしても素晴らしい。安易にカトキ体型にせず、近未来ロボット工学流行りのブチ体型にもせず、ガワラやヤッサンの正当な流れをくむ低重心! いいよいいよー最高だよ!」
「んで、どうすりゃいいの、mikiの脚を直すには」リンがそんなディレクターに声をかけた。「そのポリキャップとかいうのは結局、ここの社内にはあんの」
「うちにはないね。たぶん、北工研あたりにならあるだろうけど」
「どこそれ」
「間違った。今の正式な名前は@IST北海道センターだ。大通西5の方じゃなくて、東豊線(トーホー・ライン)の地下鉄(チューブ)に乗って、札幌ドームの近くの方」
「行けば、そのパーツだかを譲って貰えそうかな?」レンがディレクターに尋ねた。
「北工研なら協力して貰えるだろうけど、でも、どのポリキャップが適切なのかなんて、組み込んででもみないとわからないよ」
「脚だけ持って行きます?」mikiが脚を差し出した。「これに合うの下さい、って」
「駄目」リンがうんざりして呻いた。
「脚だけじゃなあ。やっぱり、本人が行って、ついでに細かいところを修理して貰うのがいいんじゃないかな」ディレクターが言った。
「私がひとりで行ってきます?」mikiがとりあえず脚を差し込んで継ぎながら言った。
「駄目」リンがうんざりして呻いた。
「まあ、脚が故障中なら北工研までは運んであげた方がいいだろうし」
「──てか、やっぱり、私も一緒に行ってくるしかないってことでしょうが」
 いったいなぜ自分は、新たなVOCALOIDが登場するごとに毎回毎回すべて例外なく、わざわざトラブルを起こしそうな人物と、いかにもトラブルが起きそうな場所に同行しなくてはならない羽目に陥るのだ。リンは頭を抱えた。



(続)