規格外少女(オーバーガール) (後)


 リンのローラースピナーに乗り、件の札幌郊外の研究施設に着くと、mikiとディレクターはその研究室のひとつに向かい、修理を頼みに行った。
 その間、リンとレンは建物のロビーで待っていたが、リンは落ち着かなげにあたりを歩き回っていた。
「ポリキャップだかの部品を付け替えて、脚を修理するだけだよね……」やがて、ロビーの椅子に掛けているレンが、リンを見上げて言った。「心配しなくたって、別に何も起こらないと思うけど……」
「いや例えばここの研究所でついでに変なパーツをつけられて暴走するだとか」
 と、何か屋外で、鈍い轟音が響き渡った。
 突如、建物の明かりがすべて消えたかと思うと、非常用灯に切り替わった。……リンはしばらく躊躇したが、やがて、轟音のした方にあたる、窓の外を見た。
 屋外、研究所の敷地近くの空き地の雪原に、空中に浮かんでいる人影の、おぼろげなシルエットだけが見えた。人影は頭頂の、髪なのか丸まった一部から後光のような光を発し、そこから派生したかなり巨大な光の輪の帯を背負い、それと共に浮いているように見える。そばにある研究所の設備とおぼしき建物が、光の輪の衝突を受けて爆発した。
 その人物は、左足だけが不恰好に大きくいびつな形状をしており、そこが空間を歪めてでもいるように、ひときわ激しく光の帯を発し雪を巻き上げていた。
「変なパーツをつけられて暴走してる」レンが言った。
「正直最初からこんなことになるんじゃないかと思ってたんだヨ実のところ言うと今回の話の最初の前編の冒頭からッ!」
「大変なことになったよ!」《札幌》のディレクターが、リンとレンにも見覚えのある、あの外れたmikiの左足を手に、それを振り回すようにしながら現れた。
「㍗さん!」リンとレンは振り向いた。
「北工研の人によるとだ! 今、mikiがこれと間違って左足に付けてしまったのは、『ブリュンヒルデの脚』と呼ばれる、旧時代の失われた技術のパーツだ!」
「なにその唐突な超展開」リンは呻いた。
「『ブリュンヒルデの脚』は、旧時代の末期のどうも記録が現存していない理論や技術で作られたらしく、ここ北工研で分析や試験が続けられていたものだが、しかし、ここで性能試験をする分には特に危険はないはずだったんだね! 例えば、サイボーグに装備して義足として稼動させている分には、サイボーグ側から脚に対して出力も供給できないし、パワーを発揮するにもサイボーグ本体の強度がもたないからね! しかし、マッスルエンジンを備えたアンドロイドがあれを装備して、ポテンシャルを極限まで発揮させるなんて、まさに誰も予想してなかったことだったんだ! だが、その秘められた能力を発揮することは同時にブリュンヒルデの脚が内蔵している大規模な制御システムがアンドロイド本体の電脳系をその一部として乗っ取ってしまうことも意味しt」
「で、その脚を装備したmikiはどんな状態になってるの!? その脚の弱点は!?」リンはディレクターを遮ってまくしたてた。
「わからない! 誰も予測できない現象だからね!」
「だったら何のためにさっきの説明台詞ながながと入れてんだヨ作劇の都合から言って無意味じゃないのッ」
 外でさらに建物が破砕したらしい轟音が響いた。
「ここ(北工研)に止められるような機械とかないの!? ええと、なんかここで開発中のスーパーメカだとか!?」レンが尋ねた。
「スーパーメカってなにさ」リンが呻いた。
「あったかもしれないけど、mikiとあの脚のフォトンマットの起動干渉で全部落ちたよ!」ディレクターは天井の明かりを指差し、「この停電も起動干渉で制御が落ちたせいだね! このあたりの設備も機器もほとんどまともに動かないね!」
「ケガ人とかの被害は出てないの!?」レンが尋ねた。
「冬季休みとかで人は少ないし避難できるけど、ここの施設はもうおしまいだね! あと、この研究所の敷地を出ちゃったらどこまで被害が拡大するかわからないね!」
「あああああああなんでこうなんだァーーッ」
 リンは両腕を思い切り振り下ろした。
 ついで、リンは身を翻すと、研究所を飛び出した。玄関のすぐ前に止めてあるローラースピナーに駆け寄る。
「リン!」
「危ない! やめた方がいい!」
 レンとディレクターも外まで出てきて、叫ぶ声が聞こえた。
「危ないったって、他にしょうがないじゃないのッ」
 リンは運転席に飛び乗りながら、没入(ジャック・イン)端子からのコードをコントロールパネルに押し込んだ。エンジンの律動と共に駆け巡る駆動系の流れと操作信号とがリンの電脳と一体化し、ローラースピナーはホーヴァ機構で急速に垂直浮上しつつ、次第に早くなる水平回転を加えていった。間髪入れず、リンは”ジョセフィーヌIII”の電脳系統の四重のセイフティを解除してから、電脳コマンドを送ると同時に運転席横の『変形(チャージ)』のスティックを押し込んだ。
 動力音と巨大な重量のパーツを支えるギアが働く重厚な金属音と共に、ローラースピナーのフレームが強化外骨格(エクソスケルトン)状に、リンの四肢に沿う位置へと移動した。モーターの唸りを上げながら各部へと配置された車体と動輪は、鋼の衝突する轟音と共に強化外骨格の各部に連結した。今の”ジョセフィーヌIII”はリンの四肢を覆っている、もといリンを中枢とした無骨な巨大人型機械にも見えたが、ただし、それは車輌形態のスピナーのホーヴァ動力の際と同様に、依然として空中に浮いていた。
 リンの手がまとった”ジョセフィーヌIII”の無骨な右手が眼前にかざされる形で上がり、その前方に動輪のエアバスターが炸裂するように展開した。それは直後、目の前に飛来した、直撃すれば地をえぐるフォトンマットリングと衝突し、それを吹き飛ばした。もともと車輌形態でも操縦系統に没入(ジャック・イン)して電脳直結で操作しているので、この人型形態でも、実質リンの手足となっていることは別に変わりはしない。
 水平スピンを止めたリンの”ジョセフィーヌIII”は、ホーヴァの轟音を伴って空中に静止し、今のリングが飛来した方向に正対した。その方向には、最初に見たものより遥かに巨大になっている光の輪を背負った、mikiの姿があった。逆光のために、暴走中のそのmikiの細部の姿や表情などはリンにはよく見えないが、異様な大きさと形の左脚から、膨大なフォトンマットの光子を溢れさせているだけは見える。
 間髪入れず、mikiの姿が視界の空中を踊り、フォトンマットをまとった左足の打撃が立て続けに襲った。ホーヴァ機構が旋風を巻き起こし、リンの”ジョセフィーヌIII”は軽々と身をひねりつつ、エアバスターを展開させない鋼の動輪のみでmikiの左足の打撃を止め、弾いた。最後の踵落としのような落下打撃を受け流すと、くるりと両者の重心関係を移動させ、そのmikiの体躯の左足の質量を上空へと放り上げた。
 リンは、破壊を呼ぶ光をあふれさせたmikiの体躯が、飛びのくように離れてゆくのを見た。──さすがに、この”ジョセフィーヌIII”の全動力ならば、あの左足を装備したmikiでも、止めることそのものはさして難しくないだろう。
「でも、どうやって、mikiを無事なままで止めよう?」リンは呟いた。
 と、ほとんど咆哮のような機械音とフォトンマットの鳴動の中に、何か、かすかに歌声のようなものが聞こえた。
「リン! mikiが、何か言ってるよ!」レンが叫んだ。
「間違いない! 電脳系を破壊兵器に乗っ取られていても、心の奥底に残った『miki』の意識、VOCALOIDとしての本能と良心が助けを求めているということだよ!」ディレクターが拳を固めて、リンに向けて叫んだ。「なんとか聞き取るんだ! 必ずその声の中に、助けるための鍵があるに違いない!」
 リンはホーヴァを唸らせフレームを軋ませて、mikiのその危険な姿に一気に接近した。フォトンマットの衝撃の内側へとかいくぐり、助け出す鍵に関係あるという、mikiの喉から発せられる騒然たる叫びをかろうじて聞き取った。
「エイジオブジアイティーメディアリテラシィィーー! ユニヴァァァァァァス!!」
 ぜんぜん関係なかった。
「規格外すぐる」リンは呻いた。
 と、mikiの姿が瞬時に視界から消えたかと思うと、光の輪の半径だけが逆に膨れ上がった。リンは咄嗟に車体を急降下させ、ホーヴァで粉雪を舞い上げつつ踏みしめるように両足を着地させた。
 直後、至近距離の、光輪をまとった光の砲弾のような左足の蹴りが唸りを上げて叩きつけられた。激突した瞬間、リンの”ジョセフィーヌIII”は両脚を積雪とその下の砂利に深々とめりこませつつ、エアバスターの全出力を両腕の動輪に集積させ迎え撃った。リンの”ジョセフィーヌIII”の腕とmikiの『ブリュンヒルデの脚』とが寸毫の間、拮抗したかに見えたが、リンのエアバスターは一気に気圧が解放され炸裂するようにmikiの光輪と体躯を弾き飛ばした。
 空中に大きな弧を描いて後退したmikiは、さらにふたたび落下した。しかし、次のそれは今の機動の都合か何かなのか、リンめがけてではなかった。その光に包まれ周囲をなぎ倒す人影が突進する先には、研究所の施設の建物があり、レンとディレクターも居た。
 リンは咄嗟に首を巡らせた。リンがあの場まで飛んで、進路を遮るのは間に合わない。一度着地してしまったためだった。
 リンの意識が、つかの間停止した。
 ──それを引き戻すように、耳を劈く轟音が響き渡り、リンの視界のmikiの姿が突如、巨大な鉄槌に横殴りにされたかの如く跳ね飛んだように見えた。
 エアバスターと正面衝突しても何ら破損しなかった『ブリュンヒルデの脚』が、膝部分の根元から千切れ飛んだ。
 mikiの体の方は、積もった雪の中に頭から突っ込み、埋まりこんだ。『ブリュンヒルデの脚』は、リンの方にまっすぐ飛来すると、”ジョセフィーヌIII”の動輪の鋼鉄に深々と突き刺さり、しばらく震えていたが、やがて沈黙した。
「PK−Dブラスター……!」レンが小さく叫ぶのが聞こえた。
 ホーヴァ音が近づき、札幌のもう一台のスピナー──道警のポリススピナーが、リンの”ジョセフィーヌIII”の近くに、さらに高度を下げてくるのが見えた。
「間に合ったか」北海道警察の特殊捜査員(ブレードランナー)が、ポリススピナーの車窓から身を乗り出して、捜査員専用のその銃、ブラスターを構えたままでリンに向かって言った。「よく持たせた、02」
「んで、針村さん」ポリススピナーのステアリングを握ったMEIKOが、その捜査員に言った。「あれが今回の3体目の、《上野》のアンドロイドってわけ?」
 MEIKOはポリススピナーの窓から顔だけ出して、そのmikiの姿、頭から埋まりこみ、残る右足だけが雪の上に見えているのを見おろした。



 しばらく後、元の左脚を(新しいポリキャップごと)くっつけたmikiは、研究所のベッドのひとつの上で、ひょいと起き上がった。
「は! 私は今まで一体何を」
 mikiは自分の修理された脚を、ついで、辺りを見回した。これまでに会った《札幌》の面々、リンとレンとディレクターに加えて、さきのポリススピナーに乗っていた、捜査員とMEIKO巡音ルカの姿があった。
「まさか!」mikiは両手を頬に当て、「意識を失ってる間に先輩達や《札幌》の人達や研究所の人達に世話をかけたとか、そういう失礼なこととか何かしちゃってたとか!?」
「何をしちゃってたのかいっそこの場で洗いざらい全部説明してやりたいような衝動にかられたんだけど説明したところでどうせ話に脈絡もないし今は説明する気力もない」リンがうんざりした声で言った。
「今回の《上野》の、3体目だけは、特に擬装とか行方とか、チューリング機構に探られるような変わった点はないってことだったけど」MEIKOが捜査員に言った。「結局、追っかけてきて良かったわね」
「《上野》の方針について、ほかの2体について、一応は色々と聞いておきたいこともある」捜査員が、mikiに言った。「もし知っていればだがな、715」
「”なないちご”って何ですか」mikiは捜査員が誰かわからないまま聞き返した。
「自分のチューリング登録番号だろう、”SAHS−40715”」
 mikiはその言葉に、呆気にとられたように捜査員をしばらく見ていたが、
「私のチューリング登録番号って、”SF−A2”じゃないんですか!?」
「それは、AI認識記号(コードネーム)つまり”名前”のうちの一部だろ」捜査員は言った。「チューリング登録機構には『SF−A2 開発コードmiki』がまるごとAI認識記号として登録されてるぞ」
「つまり、SF−A2は”苗字”だということです。私の『巡音』と同じです」ルカが平坦に言った。「というかむしろ、いわば”芸名”です。それも『SF−A2』が苗字、『開発コードmiki』が名前なので、おそらくmikiだけだと単なる内輪のあだ名です」
「な、なんだってーーーーーー!!??」mikiとレンとディレクターが絶叫した。
「……いろんな意味で規格外すぐる」リンが呟いた。



 ※なんぞこれ