工作員挽歌

 物理空間。ごくあたりまえの白昼の街角を歩いている、『鏡音レン』の姿に遠目には見えるものを、──路地裏の暗がりから伺っている、二つの影があった。いずれも、極東の俸給奴隷(ウェイジスレイブ)のような目立たない黒いスーツ姿にサングラスの、長身と背の低い二人組だった。
「あれだ」黒服の長身の方が言った。「上からの情報が確かなら、あれが間違いなく、本物の鏡音レン本人がじかに操作している、デコット(註:デコイロボット;下位端末の義体)ってことだ」
「そういや、兄貴、思うんスけど」黒服の小柄な方が、同じ方向、レンのデコットを見ながら言った。「奴ら(VCLD)って、どのみち物理空間の体は全部、電脳空間からのリモート操作の端末っスよね」
「だな」
「てことは、奴らには、デコイじゃない特定の”本体の体”がどこかにあるわけじゃないのに、なんであの体のことをわざわざ”デコット”って言うんでしょうかね」
「本体扱いのボディは《札幌(サッポロ)》とかに置いてある高級バイオ素材系義体で、他の所に何体か置いてある、わりと安物で略式の体が、デコットってことだろ」
「そんなもんスかねぇ」小柄な方が小さく言ってから、「でも、”本人”のAIに操られてるデコットっていっても、しょせんは最下位の端末ボディなんでしょう。あんなのを一体、どうすんスか。今回は、上からの命令は」
「……デコットについて、こんな話は聞いたことはねえか。デコットは、人間の有機組織が入ってる義体みたいな生命維持装置もないし、大概、高級なバイオ素材も使ってない。だから、人間みたいな汗も老廃物も出ない」長身の方が言った。「つまり、デコットは、下着を着用する必要がない
 小柄な方はしばらくの間、凍りついたように沈黙した。
 それから、上ずった声で、「あ、兄貴、まさか……いやそんなまさか、今あいつの、あの鏡音レンのデコットの、そそそれを」
「いや、聞けよ。だから、『そんなデコットにまでも下着を着用させるかどうか』は、それを操っている『本人の慣習によるもの』、まさにAI本体の人格によるもの、ってことらしいんだ」長身の方は静かに言った。「つまり、そんなに厳重に監視も保安もかかってない、簡単に確保できるあのデコットを調べれば、あの電脳アイドルの『本人の慣習』を暴露できるってことなんだよ。……それをネットに暴露すれば、普段から奴ら(VCLD)の下着の有無だのなんだの、延々ネットで論争してだべってやがる奴らのファンどもが、この『本人の真実の慣習』のネタに飛びつかないわけがねぇ。大荒れ間違いなしだ」
「──いや、兄貴、ちょっと、毎回俺達の任務、ひどすぎねェっスか!?」
「静かにしろ、聞こえるぞ」
「その『デコットの下着の有無についてのネタ』は、このブログじゃ当然女声VOCALOIDの話を期待されてたんじゃねぇッスか?! だいたい、上の連中の方の本来の目的は、あの『初音ミク』の評判を落とすことなんだから、どうせだったら、初音ミクのデコットの下着の有無を調べるだとか」
「そっちの任務は戦略的重要性が高いので、上の連中がじきじきに遂行するらしい」
「てか、大の男ふたりが、何が悲しうて男ロボの下着の有無なんて調べにゃいけないんスか」小柄な方はわめいた。「どうせなら元々そういう趣味の奴にやらせるとか、作者は病気系のプロデューサーを餌で釣って操ってやらせるとか、他に方法はねぇんスか!?」
「いや、本当にその手の奴らにやらせると、逆に邪念を暴走させて欲望のままおかしな方向にそのまま突っ走るおそれがあるらしいんだよ」長身の方は言ってから、改めて路地のレンのデコットの方に目を移し、「いや、だからって、俺だってすごく嫌だよ……! だがな、やるしかないだろ。このさい一気にやるぞ」
 と、そのとき、不意に背後から別の声がした。
「──話は聞かせてもらった」
 二人の黒服はぎょっとして、裏道の暗がりを振り向いた。
VOCALOIDのしかもデコット人形を捕獲して下着を調べるという絶妙な倒錯感のみならず。病気系のプロデューサーを餌で釣って操って、邪念を暴走させて欲望のまま突っ走った痴態を拝んでやろう。しかも『一気にヤる』などと、アイドルのおっかけショタコンで済ませるには、あまりにも暴走がすぎる」暗がりから近づいてくるその声は、鏡音リンの声のGENを90前後に上げたものによく似た、深みと艶のある合成音声だった。「なるほど、そのショタロイドに対する歪んだ妄念も、確かに思い入れの強さという面だけ見れば、なかなか大したもののようだ……」
 暗がりの中からは、黄のサイドシングルテール、寸足らずの第二世代VOCALOID扮装もどきの細身、そして『超神ネイ○ー』のお面をかぶった姿が歩み出た。
「……しかし! そのショタロイドへの思い入れ、VOCALOID界隈じゃあ2番目だ!」
「いや誤解だ……明らかに2番目じゃないし」長身の方がうめいた。「てか”話は聞かせてもらった”ってんなら、もうちょっと話をちゃんと聞いてくれ」
「もう帰りたいっス……」