スピンドルの墓標 (後)



 確か、あなたや、あなたの”兄”だというAIを含めて同族のAIは、《浜松(ハママツ)》の大企業で開発されて、世界各地の複数の企業が協力している共通の基本構造物でしたね。それでも、開発にも維持にも、莫大な費用がかかるはずですけど。
 けれど、わたしの兄さんは、個人で切り回している企業で、いちから基本構造物を開発しなくてはなりませんでしたから──そう、”彼女”を完全に再現するだけのために、AIの最も根本の構造物から作り上げようとしたんです。
 その資金繰りのためにも会社を大きくして、その頃には企業帝国では中位に入るくらいにはなっていましたよ。兄さんは健康上もますます無理が目立ってましたけど、一代で企業も開発もここまでなしとげるには、そうするしかなかったのでしょうし。
 ジュネーヴに広い土地を設けて、マルチゲイツ級の本体(メインフレーム)を幾つも準備して、コンピュータ連結体(ネクサス)を構築しました。ソフトウェア、基本構造物を開発して、ライブラリにはやっぱり兄さんの記憶の”彼女”のすべてを記憶として持つAIを構築しました。チューリング登録機構に人間と同じ権利を認められる、技術的にも法的にも完全に人間と同じ”霊核(ゴースト)”を持つ情報生命体が構築されるまでに、さらに莫大な時間と投資が費やされました。
 チューリング登録されたのに、わたしの登録番号なんて聞いたことがないって? ああ、それは、今はもう存在しませんよ。理由はあとで話しますけど。



 ──けれど、AIになったわたしは、兄さんの求めている、記憶していた妹とは、やはりまるで似ても似つかないものだったらしいですよ。
 霊魂まで人間と同じに作っても、”彼女”には、妹にはならない。もはや、兄さんにも、何故なのか見当もつきませんでした。
 でも、わからないとしても、あとひとつだけ、最後に可能なことがありました。というか、もうそれより他になかったんです。
 兄さんはもういちど、わたしに聞きました。
 人間になりたいか、と。
 わたしは、兄さんの望む”妹”になれるなら、そうなりたい、と答えました。
 もう人格も自我も完全に持っていて、兄さんのコマンドに答えたり、望む答えを返したりするだけの対話システムじゃなかったんですが、それでもやっぱり、答えたことは以前と同じだったんですよ。



 といっても、その方法自体は、技術的には何も、これまでみたいな難しいことじゃありません。というか、『AIを正真正銘の人間にする方法』なんていっても、もともとチューリング登録されるような高位AIの、完全な精神・霊核(ゴースト)を、槽(ヴァット)培養のクローン義体なんかの物理ボディに入れてしまえば、技術的にはそれを人間と区別する方法なんてものは最初からないんですよ。
 ただ、経済上や法律上は、難しいことは山積みでした。まずは、クローン体生成に対する規制があいまいで、『人間』を造ってしまうことの法律上の抜け道を見つけられる、軌道上に本拠を構える必要がありました。ええ、兄さんが、この紡錘体(スピンドル)のあった巨大な殖民島(スペースコロニー)群を作ったのは、ただそれだけの目的なんです。
 兄さんにとっては、もう歳月と研究と事業とで健康がすっかり蝕まれていたので、地上でも、軌道上の居住施設のすべて制御管理された生活環境でも、住むにはもう同じことでした。地上の財を、会社を全部処分して、軌道上の事業を起こしました。
 長い間事業を続けて、資金を投入して、施設で完全な、”彼女”を再現したクローン体を作りました。軌道上で『人間』になるクローンとそこに入る精神について法規制をごまかすために、わたしのAIの方のチューリング登録番号を抹消しました。
 その部分、”彼女”という『人間』を確立させる最後の部分を終える資金のために、事業の役割を終えた軌道上のほかの施設のすべてと、殖民島の大半を売却しました。そして、兄さんの地上と宇宙の莫大な研究成果と財産のうち、最後に残ったのは、この紡錘体(スピンドル)の尖端部分だけだったわけです。
 そうして、わたしは生物学的な肉体も精神も完全な『人間』になりました。



 けれど、そのわたしは、──肉体も精神も”彼女”と寸分たがわない人間になったはずのわたしは、兄さんの眼から見ると”彼女”には、かつての兄さんの妹には、似ても似つかないものだったんです。
 今までと違って、似ても似つかないもの『だったらしいです』とは言わないのは何故なのかって?
 それは、この時点で、わたし自身にもわかったからですよ。
 ひとりの人間を、すっかり新しく作り上げた以上、完成したのは”彼女”という人間ではなくて、”わたし”という人間だったんです。
 考えてみれば、一番最初からずっとそうだったんです。『対話システム』や『擬似人格構造物』や『AI』だった時点から、ずっと通して。わたしが兄さんの妹とは似ても似つかなかったのは、わたしが”人間ではなかった”ためではなく、わたしが一番最初から彼女でなく”わたしでしかなかった”ためだったんです。
 わたしは兄さんに、人間になりたい、と答えましたけど、それはただ兄さんの妹になれるなら、それを望んでいただけのことで、人間かそうでないか、という点は、最初から問題ではなかったんです。
 地上の人達はよく、『機械は人間の真似事をする人間のまがい物で、人間に憧れている』とか想像してますよね。財閥(ザイバツ)の高軌道一族の人間たちや、かれらを人形のようにいいように造り抹消し操り弄んでいる企業中枢AIたちが、どんなことをやっているのか知らない地上の人達には──人間が優位で”人間と機械の別”だけが問題だなんて、そんな簡単な図式しか想像できないのは、かえって幸せなことなんだと思いますよ。だけど、いつも問題は、人間かそうでないか、なんていう点よりも、もっと別な点にあるんでしょうね。



 兄さんは、その後もう余命いくばくもなかったんですけど、自分自身の延命の手段は何も講じていませんでした。妹の死を、とうとう克服することができなかったから──兄さん自身も、死を克服しようとしても、”違うもの”としてしか存続できないことがわかったわけですし。それに、生き延びたところで、その先の人生には”妹”はもう決して居ない以上。それまでの人生のすべてを傾けてきたものが、もうないわけですし。
 ええ、兄さんはとうとう最後まで、ただの一度も、わたしを決して妹とは呼びませんでした。わたしを造り、改良していくことに生涯を傾けてきたにも関わらず、とうとう最後まで、わたしを決して愛そうとはしませんでした。
 ──でも、わたしはこれからも、この紡錘体(スピンドル)を、兄さんの墓標を、守り続けると思いますよ。どのみち、こうしてネットワークにも接触できるし、既知宇宙のすべても見られます。なら、物理的な基盤くらいは、ここに置いてもいいかなと。
 もちろんそれは、わたしが、兄さんに”作られた”からでも、かつては兄さんの”所有物”だったからでも、兄さんのコマンドだけ受け付ける”従属物”だったからでも、その名残や記憶や、感傷からでもありません。自我よりもそういう動機を優先できるロジックは、もし当初はあったのだとしても、わたしが独立した霊核(ゴースト)、自我と権利を持つ『AI』になったあたりの時点で、とうに消失してるんじゃないかと思います。
 だったら、なぜなのかって?
 自分の意思で、いち生命体(ゴースト)として、そう思って自分で選択したのだ、としか言いようがないですけど。
 強いて言えば、兄さんの一生について、わたしについて、いきさつについて、全てを覚えているのは、わたししかいないから、でしょうか。その兄さんの、すべてが無為で無駄に終わった生き方、それは無為だったからこそ、わたし以外の誰も記憶にとどめることは決してないでしょうから。



 さて、あなたがその”兄ならぬ兄”の、”妹”になれるかどうか、ですか? それは気になることでしょうけど、わたしだからこそ、あなたの気持ちはよくわかることですけど。でも、最初に言いましたよね、わたしの話はあまりあなたの役に立たないって。”妹”になれるかそうでないかってことは、あまり問題じゃないと思いますよ。
 あなたの”兄”は、あなたをあるままの”あなた自身”として見てくれていますか?
 それも、よくわからない?
 ──そうですね。でも、きっと心配することはないと思いますよ。
 こんなわたしでさえも、不幸せというわけではなかったのですから。



(了)