スピンドルの墓標 (前)

 こんな辺鄙な宇宙のかなた、高軌道上の植民島(スペースコロニー)の残骸、紡錘体(スピンドル)の尖端に、いったい何を求めてきたんですか。たとえネットワーク上から接触してきたのだとしても、こんなところに誰かが訪れるのは、滅多にないことですよ。
 いえ、あなたが誰かは知っていますよ。わたしは常時、既知宇宙(ネットワーク)に接続していますし、そうしている者に、あなたの名を──電脳空間(サイバースペース)を覆う歌い手、極東の仮想(ヴァーチャル)”あいどる”として最も有名なあなたを──知らない者なんて、誰もいませんよ。
 だからこそ、そんなあなたが、どうしてこんな所を訪れたのかってことなんです。
 一代で財閥(ザイバツ)級の帝国を築いた、わたしの兄さんのことはともかく、その兄さんの末路のこと、この軌道上の、ラグランジュL5のうらぶれた片隅、宇宙の墓場に眠っていることも。まして、その兄さんの墓標を守っている、このわたしのことも。人々にはそう知られてはいないはずなんですけど。
 いったい、誰から聞いたんですか? ──あなたの音楽プロデューサー? そんな人が、どうしてまた。なるほど、もとはBAMA(北米東岸)《スプロール》のウィザード(電脳技術者)ですか。
 でも、そのわたしの兄さんの俗世間の立身と没落に、歌い手が興味があるとは思えませんし。兄さんの末路がどういうものだったか、なぜこの場所だったのか。あなたが、それを知って、いったいどうします? 歌にしたいんですか? 
 でも、あなたって、”あいどる”ですよね。歌として大衆にそれを発信する動機は、興味本位の喧しいジャーナリズムのそれと、何か差があるんでしょうか? ないなら、わたしとしては、ちょっと協力する気にはなれないかなと。
 違うの? ──あなたにも、”兄ならぬ兄”がいて? 自分が、彼にとっての”妹”になれているのか。それが不安だと。たくさんの歌の題材の中から、ここに来ることを選んだのは、その理由もあると。
 ……そんなあなたに、わたしの話が役に立つとは、あまり思えないんですけど。でも、──まあ、芸能のジャーナリズムじゃなくて、そういうことなら、わたしたちのことを、少し話してみましょうか。
 その前に、”わたし”は何なのかって? 『人間』なのかって? わたしの兄さんが最期まで、わたしが『人間』であることを望んでいたとすれば、そうだと思いたいんですけど、今となってはそうなのか、ちょっとわかりません。わたし自身にとっては、わりとどちらでもいいことなんです。なぜなのかは、きっと、おわりまで聞けばわかるかと。



 ええ、兄さんは、亡くなった”妹”を作ろうとしていたんですね。自分の手で。
 兄さんはもともとは、高軌道一族(ハイランダー)でもなんでもなくて。ただの地上の技術者のひとりでした。幼い頃からずっと体が弱かったので、ひたすらソフトウェアの研究開発に、血道を上げていたらしいですけど。それをはじめた時にはすでに、財をなせるくらいのプログラムの数々を開発していました。
 そんな兄さんが、”妹”を作ろうとして、最初に作ったのは『対話プログラム』です。
 今なら、高級品のホサカ・コンピュータなんかの入力仲介(インタフェイス)は、コマンドや操作のかわりに、会話で入力できるようになってますよね。あとは、会話そのものが目的のプログラムも。お爺さんお婆さんの話し相手用だとか、普通に会話する分には人間そっくりのものが。ええっと、独身の男の人のための”夢の娘たち(ドリームガールズ)”投影システムだとかご存知ですか? そう、そんな中でも、”あいどる”に似せてあるものなんかもあって。ちょうど、あなたにそっくりに作られてるものとかも、わたし知ってますけど。知らない? まあ、その話は置いておいて。
 兄さんは、そういうシステムの妹を、”彼女”を作ろうとしました。”彼女”の実際の硬電脳副記憶に残っていた記録とかの、本物の彼女のデータはもちろん。あとは、兄さんや周りの人の覚えている、”彼女”の言葉、声、姿、細かい癖まで、すべてを入力して。それをすべて処理して、対話で彼女を再現できるだけのソフトウェアを、兄さんはいちから開発しました。開発過程でできた技術も、当時としては画期的で、兄さんはそれで最初に会社を大きくしたんですが。その収益もつぎこんで開発を続けて、完全に”彼女”を対話で再現するプログラムを完成させたんですね。
 それが、わたしでした。わたしの最初の形だったんです。



 ──けれど、そのわたしは、兄さんの目からは、”彼女”、兄さんが覚えている妹とは、まるで似ても似つかないものだったらしいです。
 覚えている通りのものをそのまま再現したわけだから、覚えているものと違うわけがないのに。でも実際に会話してみると、どうしても兄さんには、その妹のようには思えなかったらしくて。
 兄さんはその後、理由を探しましたけど、結局は、わたしが『対話プログラム』にすぎないという点に理由がある、と結論づけたみたいです。
 対話プログラムとか”夢の娘たち”とかを、本気で家族みたいに思うお爺さんとか男の人とか、確かにいますよ。でも、どうしても人間との違いが気になるって人もいるわけで。対話プログラムは、単に入力に対して『対話』を返すだけです。どんなに高度な対話、柔軟な反応であっても、その奥で人格や精神そのものが活動してるわけじゃありません。対話の部分の機能しかないわけですから。
 旧時代の大昔は、『チューリング・テスト』といって、会話の応答だけ人間に似ていればそれが知性だと定義されていましたけど、それは旧時代の言葉でもすでに”弱い人工知性”とか呼ばれていたもので、会話なんてものは表面でしかなくて、人間どころか人格とも、精神とも自我とも、ほど遠いものです。
 わたし? そのときから精神や自我はあったのかって? わかりません。ただ、その時点から通して、すべての記憶は引き継いでいますから。兄さんと会話した内容だとか、全部覚えていますし。その頃から、自分の何かが変わっていったかっていうと、よく覚えていませんし。
 ともかくも、兄さんは、当時のそのわたしに尋ねました。
 人間になりたいか、と。
 わたしは、兄さんの望む”妹”になれるなら、そうなりたい、と答えました。
 ──別に、そう答えるように、兄さんの望み通りのことを答えるように、プログラムされていたわけじゃないですよ。わたしは”彼女”の記憶を入力されていましたから、きっと本物の”彼女”でもそう答えた、というだけのことだと思いますけど。



 そこで次に兄さんは、わたしを『擬似人格構造物』にしようとしました。
 ひとの”人格”をまるごと、メモリーのデータベースに保存して、再現するものですね。表面上の、話しかけてきた人に対しての対話の機能だけじゃなくて。全部の記憶も、意識無意識の考えも、感情も欲望も、白日夢も、快不快の感覚も、その人の”人格”、精神活動で起こりえることを、全部再現したものです。
 今なら、ヤクザ・ボスとかが知恵をかりるために持ってる、亡くなった歴代のボスの記憶がメモリに焼き付けられている、ファームウェアROM構造物なんかがありますね。しかも、ヤクザ・ボスの漆塗りの幽霊箱(ゴーストボックス)なんかをセピア色のモノクロ写真だとすれば、兄さんの開発したものはホログラム、下手をすれば擬験(シムスティム;全感覚擬似体験)くらい再現度や臨場感に差があるものでしたよ。そのシステムの開発経過で作ったソフトウェアで、兄さんの会社はさらに大きくなって、わたしの開発には、その収益がさらにつぎこまれたんです。
 かなりの時間と費用をかけて、”彼女”の残っている電脳記録と兄さんの記憶にある人格のすべてを反映させた、擬似人格構造物が完成しました。わたしが、それになったわけです。
 ──けれど、そのわたしは”彼女”とは、兄さんの妹とは、やっぱり似ても似つかないものだったらしいですよ。
 擬似人格構造物は、人格内部の活動をすべて再現しているわけですけど、やっぱり『再現』しているにすぎないわけで。例えば、ヤクザ・ボスのROM構造物だって、普通に生活したり会話したりする分には、人間とほとんど区別できません。けれど、長い時間を共に過ごすと、少しずつ、だんだん違うことがわかってきます。擬似人格構造物は確かに”人格”、”精神”は持っていますけど、再現するためのその一定の人格から、大きく変化することはできません。そして、一定の人格を再現するだけですから、自分自身で何かを作り出すこと、本当にクリエイティブなことはできないんです。それは、普通の生活や会話なんかでも、少しずつわかってきます。少しの差なんですけど、兄さんにとっては、求めている妹とは似ても似つかない、と言うに充分だったということらしいです。
 人間の精神活動は、”特定の人格”の再現じゃなくて、精神そのものが常に少しずつ書き換わっているんですよ。さらに言うと、人間で言う意識や自我の本体は、むしろその移り変わる莫大な情報であって、『人格』なんてものは、その表面部分にすぎないってことらしいですね。



 そこで、兄さんがどうしたかといえば。考え抜いた末に、とうとう、わたしを真の『AI』にしようとしたんですよ。霊核(ゴースト)を、情報生命を持つ自我システムに。そう、あなたと同様に、人間と同じスイス市民権が認められるほどの高位AIに。
 兄さんは最初は”妹”の『対話』のインタフェイスを造りました。次には、その対話反応の奥にある、『人格』を造りました。そして遂には、その人格のさらに奥にある、情報生命としての本体、『霊魂・霊核』の部分を造り始めたんです。



(続)