事に及ぶ下準備
鏡音レンは控室のテーブルの上にあったノートを何気なく覗き込んだ。何かが書きつけられているのか、同僚たちの誰かの新曲やPVのアイディアだろうかと思ったからだった。
そこには、まるで活字を印刷でもしたようにきっちりと整然とした文字が書きつけられていた。確かにそれは散漫な箇条書きで、歌詞か何かのアイディアの時点での羅列のように見えた。が、
・生のままいっちゃうのなんて嫌、つけてと私は言うのに
・生の肌触りを味わうのでないと意味がないと彼は言う
・(歴史的に、つけることには快不快だけでなく殺菌し感染を予防するという意義もあったという点)
レンの指が、まるで薄いゴムの手触りだか装着感だかを想像するように、ぎこちなく動いた。
レンはそのまま震える手で、おそるおそるページをめくってみたが、同様の言葉が以降のページにもびっしりと書かれている。
レンは一気にノートを丸ごとひっくり返し、表紙をあらためた。
そこには手書きで、しかしノートの中身と同様、まるでプリンターから打ち出されたような精緻な筆跡で、
『マグロの食べ方 〜 ワサビとタレをつけるかつけないか 〜 巡音ルカ』
と書かれていた。
「リン……あのさ……これ……」
レンはノートを手に、相方の方をおそるおそる振り向いた。
「アーアーきこえないきこえない」
鏡音リンは、レンの方を振り向こうとすらせずに、まるで頭を抱えるようにも見える仕草で、両手で耳のインカムを固くふさいで目を閉じた。