ワガママボディモーション(後)




 オレは、自分の体をそろそろとヤツに近づけた。ヤツの体の陰に、自分が(というかソレが、つまり定番表現の文字通りに言うと自分自身が、だが)隠れるように小足で回り込んだ。もちろん、出来るだけヤツの背中に体を近づけはしても、あくまで近づくだけで、間違っても問題のソレがヤツの体に触れたりしないように、細心の注意を払ったつもりだった。
 が、落ち着いて考えてみれば、そんな目算の通りに行くわけがなかった。いったん力強くなったソレは、持ち主の思った通りにおとなしくなんかしてくれない、意思を離れて暴れ回るってのは、オレ達男なら皆知っての通りじゃないか。
「今、……何か、背中に当たった……」
 ヤツが独り言とは思えない、訴えかけるような艶っぽい震え声でささやいた。
「熱くて、すっごくカタいのが……」
 オレはかなり躊躇した。何か言い訳を考えようとしたが、どうやってもごまかしようがない。なにしろ体がほぼ密着してカタいものが当たって、しかもそれはオレの両手のどちらの仕業でもないわけだから。
「いや、その、たぶん……おまいの思ってる通りのモノだ……」
 オレはヤツから必死で視線をそらしたまま、その耳元で、できるだけ声をひそめて伝えた。
「あ……」
 ヤツの頬、オレに対してはろくに恥じらいなんて無いはずのあのヤツの頬が、さあっと朱に染まったのが見えた。オレは必死で、その光景から視線を引き剥がした。
「そりゃこの状態になったら近づかないとその状態のモノが横から見えるだろーが。はよ水着探せ」
 もう何が何でも、一秒でも早く水着の上を見つけて着せて、この八方塞がりの状況から脱出する以外にどうしようもない。
「そんな……ウソ……」聞こえているのか聞こえていないのか、ヤツは突っ立ったまま、背筋を震わせ続けた。「こんな……こんなのって……」
 オレはそれでもできるだけ体を離そうとした。だが、腰の部分だけヤツの肌から距離をとろうとしても、水着の一部がパンパンに膨れ上がって引きつれた状態だと、腰が変に引いては突き込むような動きを繰り返すだけで、うまくいかなかった。
「……はぁっ……やァン!!」ヤツは突然、足が立たなくなったかのようによろめいた。オレはあやうくヤツを支えようと、そのために胸を掴んでいる手にさらに力を入れてしまいそうになってから、なんとか思いとどまった。
「お、おい、どうしたよ!?」
「今……背中に当たってるモノの……先っちょの方の形がくっきりわかったんだもの……」ヤツはひそやかな声で言った。
「どういう高性能な肌してんだよおまいは! 皮膚触素20^2/cm^2かよ!」
「グイグイって、強く押し当てられてる……熱くって……すごく欲しがってるのがわかるよ……」
「変な形容をしとる暇があったら水着はよ探せって言っとるだろうが」
 ヤツはよろめくというよりも、悶えるように腰をくねらせた。何も着ていない上半身の背中から腰周りの曲線と、やっぱりキワキワの水着のボトムの布からもはち切れ出そうな腰と太股の肉付きが、豊かに動いて、波打った。滑らかで湿った熱い肌は、自分の掌とソレにじかに感じられた。まるで肌が向こうから吸いついてくるみたいだ。……なんというかもうオレはどうしようもない状態だ……
「ねぇ……どこか人に見えない所、探そうよ……」と、ヤツがささやいた。
 とりあえず、先にどこかに隠れた方が早いってことか……なるほど、だとすれば、ヤツには珍しく冷静で理にかなったアイディアだと思った。――が、そういう意味ではなかったらしい。
「こんなことまでしちゃったんだから……ね……もう、しちゃえる所、探そうよ……」
 ヤツは自分の水着のボトムの方に、そっと手をひっかけた。
「最後の一枚……取っちゃってもいい所……」
 オレはごくっと自分の喉が鳴るのがわかった。その喉を含めて、考えている頭といい、手といい、ソレといい、自分の体の全部が、自分の制御できるところから遠く離れてるみたいな気がした。もう自分が何も抑えられないような状態で何かをしてしまいそうな、それが自分の中で一気にはちきれそうに大きくなった気がした。
「あっ……またすごくカタくなった……」ヤツの喘ぐような声が遥か遠くに聞こえた。
 そのとき、オレの目の端に、黒い影が飛び込んでくるのが見えた。競泳水着のしなやかな肉体で、プールサイドの床を蹴る素足の動きが、豹だとかそういう肉食動物みたいだった。その体が、獲物に飛び掛るみたいに目の前で跳ねたと思った。
 次の瞬間、火花が散った。後頭部に衝撃を受けたのは、後で思い出したことで、このときはそれを感じるまでもなく、オレの意識は暗転した。
 ――目をさますと、プールサイドのベンチに大の字に横たえられていて、競泳水着の炉心リンがその傍らに立って、見下ろしていた。炉心リンは、いかにもオレが目を覚ますのを待っていた、オレの説明を待ちかねていたかのようだった。
 双方、事情を説明した。……要するに、あの光景を遠くから見つけた炉心リンが駆け寄ってきて、カカト落としをオレの後頭部に直撃させたらしい。
 オレの方もすかさず、あの光景について、オレとヤツとの間の、あの状況にまで至った出来事について、事情をこと細かに説明した。
「あっそう」いつも素っ気ない炉心リンは、今回はひときわ冷たく言った。「けど、傍からは、口にもできないような物凄いセクハラをしてるようにしか見えなかった」
 そりゃそうだろうよ……あの場面以上に傍から見られたくないものは、そうそう思いつかねえ……。
「いや、けど、ていうかさ……」オレは俯いたまま、「オレの方から進んでああいうことをするような関係じゃない、それだけはわかってくれてるよな……だから、さっきのは半分以上は事故だってさ……普段からヤツがどんな女かとか、ヤツの方がオレにいつも仕掛けてる方だとか、今までも、オレとヤツの関係は見てるだろ……」
 カカト落としをされて、あっそう、で済まされるほどオレが一方的に悪い側の立場だとは、どうにも納得できなかった。
「見てる。兄さんの言うこと、ウソじゃないとは思う」炉心リンは言った。「けど、それだけであの景色を片付けられない。それは一般常識的じゃない」
「一般常識ってよオイ……」オレは唖然として聞き返した。オレ達の周囲、オレの置かれる状況の、一体どこに一般常識で片が付くような話がある……
「あんなことした挙句に、『それでもセクハラじゃない』って思われたいんなら――そういうことをしても許される関係になれば? ってことなの。外で、こんなとこで、やっていいことかは別にして、だけど。あの娘にそういうのをしても許される立場だって、周りに納得させるような関係になりなよ」
 炉心リンはオレの傍らから立ち上がって、首を振って言った。
「そういう関係も作る前から、しかも、”あれ以上の先までしちゃえた”とか、さすがに思ってないでしょ」
 ……炉心リンがまた競泳練習か何かに去った後も、オレは頭を抱えていた。
 ひょっとすると、最初に炉心リンがヤツを置いて離れて泳ぎにいった、ヤツとオレをふたりきりにしておいたのも、それなりに考えがあってのことなのか。そして、様子を見るや走ってきたところを見ると、ヤツのこと、オレ達のことを、炉心リンはまるで放っておいてたってわけでもない。
 まあ、それはいいとしてだ。
「オレが悪いのかよ、ひょっとして」オレはひとつずつ状況を思い出しながら、「いや……確かにそうだよな……特に後編の、押し当てちまってた部分とか……おふぅぅ……」
 オレはベンチの上で、体の前面を隠すように上体をやや折り曲げた。感触とか台詞とか、いろいろ思い出したら、またそうしなくちゃならなくなった。
「どしたの!? 大丈夫!?」いつのまにベンチ際にいたピンク頭のミク、張本人のヤツが、オレのその顔を覗き込んできた。「まだ痛むの!? 蹴られたアタマ!?」
 ヤツは上体でオレの顔の前に覆いかぶさるように、オレの後頭部に手を伸ばした。オレの目の前で、先端が鮮やかな色をしたものが柔らかに、小刻みに揺れた。
「いや、おまい、その、そろそろいいかげんに胸しまえよ!」