ワガママボディモーション(前)


 男なら『初音ミク』の胸を、しかも生で、背後から思いっきり鷲づかみにできるっていうなら、もう他には何の犠牲を払ったっていいとかいう奴も居るんじゃないのか。だが今のオレは、そんな状況を堪能とかしたりするには、混乱しすぎてる。手の中の感触、その手を操るための頭、その頭の中でぐるぐる回っていること、それが全部、オレの中で別物になってるみたいで――
 一体、なんでこうなってる? こんな状況になる必要があったのか?
「やめてよぉ……強くしないでぇ……」
 ヤツが――『初音ミク』型義体のアンドロイドの、だが頭の外も中身も真っピンク色をしたヤツが、オレの腕の中で、身をくねらせながら言う。荒い息をするたびにヤツの体全体、ことにその胸が上下して、かすかなその動きさえも、手の中にあるものの感触に変わって伝わってくる。
「いや特に強くとかしてねぇし!」叫んではみたが、実際のところ、無意識にどうしていたかわからない。手が緊張でこわばって、いうことをきかなくなってるのは確かだからだ。
 なぜこんなことになってる。……今、オレ達がいるのは、プール施設の館内だ。ヤツの水着のブラがなくなっていて、そのかわりに手で覆ってるわけだが、なんでその手がオレの手になってるんだ……
 いい、こうなりゃ、さらにさかのぼってみるぞ。それは今年の夏まで辿るってことになるかもしれない。元々、ヤツからは、『暑いうちにどこかに泳ぎに行こう』とねだられていた。だけど、この《千葉(チバシティ)》の周りで簡単に泳ぎに行けるところ(今の時代に財閥(ザイバツ)の私有地じゃなくて、しかも、汚染がなくて安全に泳げるようなところ)、少なくともオレが簡単に連れて行けるような場所も思い当たらなければ、そんな時間もない。そうしているうちにシーズンオフ、というか、もう冬も近くなってきた。
 このままじゃ騒がれそうだし、今年は一度も行けなかったとか後々まで残念がられるだろうし、まあ、何より気の毒だ。正直言うと、本気で海とかに行きたいとかじゃなくて、どこかに出かけたいだけじゃないのか。そこで、屋内の温水プール施設を探した。まあ例によって泳ぎそっちのけでベタベタとしてきたり、ハプニングと称した、頭がピンクな悪戯を仕掛けてきたりするのが常だが、オレはここで一計を案じた。ヤツの友人(と、ヤツは少なくとも言ってる)の、炉心リン(『鏡音リン』型の、それも標準とは違った義体を使ってる娘の一人なので、一応こう呼んでおく)を誘わせた。一緒にプールで遊ばせておけば、手はかからないと思った。
 ところが、レジャー用の大型プール施設に来てみると、競泳用水着みたいなものを着てきた炉心リンは、ほんとに競泳の練習でもするように、館内の遠くにあるコース型プールまで泳ぎに行ってしまった。というか、ヤツを引き受けてくれる気が最初からないらしい。
 そんでもってプール館内で、泳ぐ前にヤツをいつもの具合で適当にあしらい始めていた頃に、コトは起こった。
 体が全体としては細いのは、他の『初音ミク』型の普通に流通してるバイオロイドや義体と同じなんだが、ヤツはそのボリュームの配分が、あざといほどに(均整がとれているかといえば、そうじゃない)みっちりと一部の肉付き、女性の曲線を強調するような型の義体になっている。で、今も、セパレーツの水着がギリギリというかキワキワの状態なのをオレの目の前で強調しようとでもいうような仕草をとった瞬間、案の定、こぼれた。つまり、何かのはずみでブラが弾け飛んだ。
 こういうのは普段から、ヤツの最初からの計画の場合もあれば、ヤツ自身も予期しない場合もあって、割合としてはだいたい半々てとこだ。今回は、後の方だったのかもしれない。ヤツがすっ頓狂に突っ立ったまま、露(あらわ)な自分の胸を見下ろしているだけだったからだ。ヤツはそのまましばらくの間、胸を覆ったりもしなかった。
 ヤツが自分でどうにかなんとかするのを、オレはぎりぎりまで待った。きっと充分に我慢したと思う。断じて、その間じっくり観察する目的だったわけじゃないぞ。ともかくオレは、その後もヤツがその状態のまま、固まったままなのを認めると、他の誰かに見られるよりも前に、ヤツの背後にとびついた。他にどうしようもないと思っての行動だったのは、断言したっていいんだ。自分の両の掌でその、露になったヤツの胸を隠そうと――けど、適切な力の加減なんてわからないというか、そんな加減に適切さなんてあるのか? ――つまり、思いっきり、鷲づかみにすることになった。
「そんな……ウソ……」
 ブラが飛んだことを言ったのかと思ったが違った。
「こんな外で……いきなり生で揉むなんて……大胆すぎるよぉ……」
「早く探せよ!」
 ブラが吹っ飛んだときに、どっちの方向に行ったかなんて、オレにそこまで確認する余裕があったわけがない(ヤツの胸しか見てなかったためじゃないぞ。さっき言ったタイミングを計るのに必死だったからってだけだ)。ともかく、どっちかといえばヤツの方が、自分の水着だし、見つける可能性は高いはずなんだ。
 とはいえ、こんな状態のオレ達両方とも、まともに探せるかどうかは疑わしかった。今のヤツの頭が(いつも通り)何で一杯になってるかは想像はつくし、オレも周りに目を走らせているが頭の中はそれどころじゃなく、たぶんヤツと思考状態は大差はない。――だが、それでもなんとか見つけて、今手がやってることを水着にやらせて、この状態を改善しないことにはどうしようもない。……だいたい、あの炉心リンが近くにいてくれりゃ、オレの方がこんなことをやらなくて済んだんだよ。
 そもそも寒くなってきた頃の季節なので、屋内プールといったってプールに来るような人自体が少なく、他の人の姿は広い館内にほとんど見えない。だから、どこか近くの水中に飛び込みでもすればいいのかもしれないが、どのプールまでにも結構距離があって、着くまでに誰か(特にプール監視員とか)に出くわすかもしれない。そうでなくったって、ここに誰かが来る前になんとかしなけりゃならない。
「やめて……乱暴にしちゃ嫌なのぉ……」ヤツは流し目を背後のオレに送り、「もっと……ゆっくり味わっていいから……優しくして……」
「余計な動きとか言動すんな! てかゆっくりじゃねぇだろ早よ探せ」
 真後ろから、ただでさえ上半身は何も着て無い、背中から細まったウェストまでの滑らかな曲線、その素肌が震えるのが伝わった。体が冷えてもおかしくないところだが、その肢体が熱をもってるのは、そばにある肌からも、もちろん掌からじかにも伝わってくる。勘弁してくれ。オレは自分の手がただの物、ただの布か何かなんだと、必死で思い込もうとして、その手の隅々までの感触を頭から弾き出そうとした。
 が、そこで、厄介なことに気づいた。手の中に、最初は確かに無かった、何か少し硬くなってる、わずかに尖った感触がある。つかの間、手をそこからずらそうかと思ったんだが、よく考えてみると、それじゃ元も子もない。だから平然としてりゃよかったんだろうが、動かそうかどうしようかっていうその躊躇が、オレの手の動きに先にあらわれたらしい。
「あ……そこは……!」
 ヤツは嫌がってかぶりを振るみたいに、上体をくねらせた。手の中にあるものが、生き物があえぐみたいに躍動した。
 『初音ミク』のファンには、オレなんかよりもずっと詳しい連中がいくらでもいると思うんだが、本来のミク型というのは、余分な肉付きが一切なく全身が妖精みたいに細い。そのミク型と体重や肉付きの絶対量に大差がなければ、少しぐらい移動させたり形を変えたりしたところで、見かけの印象は確かに変わるかもしれないが、実質の正味、ボリュームはたかが知れているはずなんだ。が、今この手の中に感じているものの正味は、――オレは手が小さい方じゃないが、なんか、その掌に充分に余ってるような気がしてきた。思っていたよりずっと、何というか、凄かった。
 それが頭によぎったのがまずかった。
「おおうふぅ……」
 オレは意味不明なうめき声を立てて、ぎこちなく腰を引いた。
「……どうしたのぉ……?」ヤツは熱い湿った息遣いの中から、中断された前戯をねだるみたいな声を出した。
「いや、なんでもねぇ、なんでもねぇから、何も気にせずにはよ探せ」
 非常にまずいことになった。オレの方に起こったことだ。その、オレのとある部分、つまり水着の前のある部分が、真横から見られたらまずい状態になってきてる。今のヤツの置かれてる状態よりずっとまずいかもしれない。いや、しょうがないだろ? こんなことしていて、誰だってそうならない方がおかしいだろ? 今の今まで我慢できてたのが(動転が先に立ってたせいだが)不思議なくらいだ。
 なんとか鎮まってくれればいいが、この状況じゃそれは絶望的だ。ソレを押さえるか、目立たないように隠すかしたかったが、両手がふさがってる。一体どうすればいい。オレはソレの方をなんとかする対策を必死で考えようとしたが、気をとられることが他にも多すぎたせいか(そして、そっちは気をとられるほどソレの状態の方は悪化するばかりだ)結局、――できることはたったひとつしか思いつかなかった。



(続)