例えばこんな供給形態VI


「あたし知ってるよ」教室の真ん中近くに集まった少女たちのうち、取り囲まれた中心にいるひとりが言った。「『初音ミク』は、その歌を作った”マスター”のPCの中に入ってるのよ。そのマスターだけのものなんだから。『初音ミク』が歌ってるのを見て、男の人だとかのファンの人たちが、みんながミクを好きだっていうけど、本当はミクは”マスターのもの”なのよ。なのにみんな、それを横から勝手に、好きだって言ってるだけなんだから。……あたしのうちの隣のお姉さんも、マスターなんだから」
 教室の少女たちは食い入るように、話している最初の少女を見つめている。憧れの”あいどる”、『初音ミク』の話ならどんな些細なことでも聞き漏らすまいとする少女らである。そんな彼女らでも、ミクの名を単に聞いたことのあるだけの他の一般の人々と同様、『初音ミク』に対して持つイメージは、仮想(ヴァーチャル)”あいどる”、天駆けるスタアとしてのものだった。”マスター”がどうこうという話、つまり、そんなミクが購入者に服従させられる奴隷ロボットだとか、PCに押し込められた所有物だとかいう話は、誰ひとりとして聞いたことがなかった。この最初の少女が、毎回しようとする話を除けば。
「本当に、メーカーがそう言ったの? ミクを売り出してる《札幌(サッポロ)》のメーカーが?」一番近くで眉をひそめて聞いていたもう一人の少女が、強気な声色で言った。
「言ってた……のは、見たことないけど、……絶対、そうだもん。マスターの、お姉さんのPCに入ってて、思った通りに歌ってくれるんだから」
「なんでメーカーが言ってもいないのにそうなのよ? そのメーカーは『初音ミク』を、”アイドル”って言って売り出してるんでしょう? なのに、それが”誰かだけに独占されてる所有物”なんだとか、そんなバカなこと言うわけないでしょう?」強気な少女は言った。「だいたい、あんたんとこのお姉さんって、ほんとに”マスター”の側なの? 本当に、ミクは何でもお姉さんの思った通りにするの? そのお姉さんはミクにどんな声でも思った通りに調整できる、歌わせられるんでしょうね?」
 強気な少女はなじるように言った。
「あと、そのお姉さんのミクを、本当に誰かが横から好きだとか言ってるの? それって、どの歌のことなの? どこの動画サイトでどれくらい流行ってるの?」
「……え?」
「あんたんとこのお姉さんて、なんかひとつ、有名な歌でも作ったのがあるの? あるんなら言ってみなさいよ」
 沈黙が流れた。取り囲んだ少女たち(や、そこから少し離れて盗み聞きしていた少年たち)も、水を打ったように静まり返っている。
「あんたもそのお姉さんも、もともとは誰か”他人が作った有名な歌”を聴いて、”それを歌うミク”を好きになったってだけでしょう? それって、他の人がマスター、他の人の所有物なミクを、”横から勝手に好いてるだけ”じゃないの。あんた達だって、今言ってた他の男の人とだとかファンの人だとかの側と、何が違うのよ」



 その光景を、教室の隅の席で、また別の少女が黙って見つめていた。服装の上品さもそうだが、その姿はその座席の位置同様に、教室の中ではやや浮いている。机の下で握っている掌の中に、黒く、緑で縁取られた薄板状の装置(ユニット)がある。
 やがて、その少女は教室の光景から目をそらし、装置に目を落とした。
 瞬時に、少女のかたわらに若い女性の姿が出現した。どことなく『初音ミク』を思わせるが、分厚いビロード質感の黒主体の服装も、セミロングのシングルテールアップの髪型も、ネット上でよく見られるミクの姿とは異なり、年齢も2、3歳上に見える。
「安心していいですよ。わたしは誰の前にもいつでも出てきますし、誰もが会いたいと思えば会えますよ」今この場ではその少女の目にしか映らない擬験(シムスティム)映像入力の『ミク』は、少女に笑みかけて言った。「それ以外の何かである必要――わたしが、誰かの所有物だったり、そうでなかったりする必要だとか。わたしと会う誰かが、何か他の人より特殊な何かだったり、そうでなかったりする必要がありますか?」