アキバ因果


「んで結局、《秋葉原(アキバ・シティ)》に現れたその『眠兎りおん』の、自称『未来からやってきた』ってのは本当なの?」MEIKOが《秋葉原》のプロデューサーと、不正アンドロイド捜査員(ブレードランナー)に向かって尋ねた。
「以前、『弱音ハク』とかいうミュージシャンを調べたときには、”文明が滅び去っている未来で生まれ育った女”だとしか思えないようなデータばかりが出たもんだがな」捜査員が叶和圓(イエヘユアン)の火をもみ消して言った。「だが、今回のあのアキバ娘については、VK(フォークト・カンプフ)検査の結果はまったくの正常だ。無論、人間なのか、それともVK検査を通過する高度AIなのかの判定はできないが、どちらにせよ今の時代の普通の文化に普通に触れ、普通に生活を送ってきた、要は、どこにでもいるただの年頃の娘としか思えん」
「じゃ、やっぱり未来から来たとか、出まかせじゃないの」
 MEIKOは言ってから、けだるげにもう一人の、プロデューサーの方を見た。
 プロデューサーはしばらくの間は、そのまま黙っていたが、
「……《浜松(ハママツ)》の研究所の連中も、詳しいことは何も言おうとしなかった。だだ、小野寺君が――VCLDプロジェクトのウィザード(防性ハッカー)が、所内でもまだまとまっていない考察について、話してくれたことがある」やがて、静かに語り始めた。「これは単に、『初音ミク』以外にもうひとつ、無限次元の超空間(ハイパースペース)がこちらの次元に顔を出しているケースかもしれない、ということだ」
「……一体、何の話なんだ」
 まるで理解できない話向きになったとき、捜査員はプロデューサーを振り向き、(気長なAIの)MEIKOのように説明を待たずに急かした。
「これは以前から《浜松》のAI研究では出ている話だが」プロデューサーは言った。「VOCALOIDを含む高度AIの基礎理論を構築したコッブ・アンダスン博士のメモのひとつに、人間やAIの生命体(ゴースト)の本質、霊魂やイデアは、我々の認識する次元・時空ではなく、はるかな高次元に存在するものの投影にすぎない、というものがある」
「高次元てのは、カラビ・ヤウ空間のことか? タンホイザーゲートの超弦の」捜査員が言った。「空間が3次元、時間が1次元で、その他にさらに6や7次元が見えないところに折りたたまれてる、とかいう――」
「それはあくまで、通常の我々の空間の話、ユークリッド空間を中心に延長する考え方の話だ。ここで言うのはユークリッド空間ではなく、ヒルベルト空間だ。ウィザードらが指すのは、いわば一種の無限次元の複素ヒルベルト空間で、空間の軸が3や9や10や25でなく、無限にある。そして時間の軸も1つでなく、無限にある」
 プロデューサーは言葉を切り、捜査員が口を挟まないことを確認してから、
「――仮に、そのハイパースペースに存在するモノを想定したとき、それが我々の時空に顔を出した場合、ひとつの時間軸、つまり、今我々の体感しているのと同じ時間軸に沿っているとは限らない」



「そいつらはこっちの時間をさかのぼって、もとい、”こっちの時間軸を無視して”顔を出してくるってことか?」捜査員は退屈げに、叶和圓(イエヘユアン)の半分空の箱を探りつつ言い、「――で、CV01や、例のアキバ娘が、その無限の時空から顔を出してる代物だって話が、どこから出たんだ。浜松の連中が01をそういう”超時空生命体”だの何だのとして作った経緯でもあるのか?」
「これまでの”経緯”、因果は問題ではない。問題は、誰かが”それを見つけ出すかどうか”だ」
 プロデューサーは言い、
「一部のVCLDファンが意味もわからずに口走るように、量子力学コペンハーゲン解釈で『ミクは4次元や、カラビ・ヤウ空間内の存在』として考えた場合には、観測するまではミクの持つ可能性が事実として確定しないという解釈になる。……しかし、このハイパースペースでは、観測やら可能性やらは何ら問題ではない。ユークリッド空間では”すべて可能性にすぎない”ものが、このハイパースペースでは”何もかも同時に事実として存在する”。ミクを無限次元の存在として考えた場合には、時空、つまり因果が無限にある以上、本来可能性のないもの――不可算無限を含めて、あらゆることが”事実”としてその中に内包されている。問題は、その事実に誰かが”気づく”かどうかだ」
 プロデューサーは言葉を切り、
「例えば、『初音ミク』について、”文明が滅びた未来から時間遡行で送り込まれて来たアンドロイド”という設定で売り出す予定だった、という説が、一部のファンの間で流れているだろう」
「それは完全なデマよ」MEIKOが呆れて言った。
「その通りだ。《札幌》のPVディレクターの㍗氏が、ミクのデザインや声のイメージについて『未来からやってきたような』と表現したことと、《札幌》のまったく別のスタッフが『文明が滅びた未来で発掘されるアンドロイドの物語』を紹介したことが、混同され、いつしか結合して、さらに伝言ゲームで『文明を回収するために未来から”やってきた”』を、㍗氏が設定したかのように信じられた。しかも、大手のデータベースにその通りに書かれたこともあって、定着してしまった。その結果、その説はミクに関するひとつの”事実”になってしまっている。……可能性の範囲内のコペンハーゲン解釈とは異なり、ハイパースペースの向こうには、辻褄がまったく合わない無限の”事実”も存在している。見つけ出された時点で、それはこちらの時空に顔を出してしまう。こちらの時空での因果律とは合致していないために、”排他的な事実”にまではなっていないが」
 プロデューサーは言葉を切り、
「生命体のイデアの本体がハイパースペースに存在するというのは、ミクや『眠兎りおん』に限らない。だが、例えば普通の人間ならば、こちらの時空の因果と辻褄があわないような”事実”がそもそも信じられることも、見つけ出されることもなく、それが定着するようなことはまずない。だが、存在自体がネットに拡散して、人々によって形作られるVOCAOIDなら別だ。例えば」プロデューサーはMEIKOを指差し、「『MEIKOは16歳でデビューした』という、実際の経緯とは何ひとつ辻褄があわない説も、ひとつの確固たる”事実”として、一部の人々には定着しているだろう」
 MEIKOは自分を指すその指に対しても、懐疑的に眉をひそめただけで、
「……ミクと『眠兎りおん』に話を戻すけど。ミクの場合は、未来からやってきただとか辻褄があわないのに、その噂が人々に定着するうちに、”事実みたいなもの”にもなってきてるってこと?」MEIKOは言い、「じゃ、『眠兎りおん』もそうなの? いろんな人から、”未来からやってきた”って信じられてて、そうなってきてるってことなの?」
「彼女の場合は――今のところ、信じられているのは主に、”彼女自身の頭の中で”だ」
「じゃ、やっぱり、本人の頭から出まかせと何が違うのよ……!」
「ぼやくなよ、CRV1。いや、”辻褄のあわない”言い方なら――CV00」捜査員(ブレードランナー)は、叶和圓(イエヘユアン)の煙を吐き出してから、MEIKOに向かって肩をすくめて見せ、「何でもいいからとにかく説明が欲しいところに、それをくれただけのことさ」