もののふの矜持たる物よりも

 神威がくぽが、部屋に飾るような小奇麗な風景画を選ぶというので、巡音ルカに一緒に店に来るよう頼み込んできたとき、まずルカはその場でがくぽに言った。
「自分の所に置くものなら、自分で選べば良いでしょう」ルカはいつもの淡々とした口調で、「貴方自身の良いと思ったもの、綺麗だと思ったものを選ぶ、ただそれで良いだけの話です」
「左様では在るが……」しかし、がくぽは口ごもり、そのまま黙り込んだ。
 ルカにも、考え方としてはわからないでもない。以前、がくぽがVOCALOIDら皆の活動する芸能スタジオの控え室に飾ると言って絵画を持ってきたときは、それはがくぽが愛好する勇壮な映像作品を創作した偉大な映像監督の姿だとか何とかいう、すなわち、何やら禿頭の老人をでかでかと描いた巨大な肖像画だったのだ。本気で小奇麗な風景画を選ぼうとしても、この不器用な武人VOCALOIDにはどうやってもそんなものしか思い浮かばない、ということも、このがくぽならあるかもしれない。
 だからといって、そんなことは自分でやってみて、自分で選ぶのを覚えるなり、買い物の失敗でも何でもしてみるがいい、とでも、素っ気無く返しておくべきことだったのだ。──実際、ルカはそのときは、がくぽに半分そういうことを返答しかけていたと、自分では確かに思う。
 ……にもかかわらず、気がついてみると、なぜか引き受けて同行してしまっていた。なぜなのかは、ルカ自身にもわからなかった。これしきの買い物ひとつにあまりにも戸惑っている”武人VOCALOID”のその姿が、滑稽を通り越して気の毒だったこともあるかもしれない。その時にルカも特に用事がなく時間が空いていたためもあるかもしれない。そういった理由は、後から考えればいくらでも思いつく。しかし、それらが決定的な理由とは、ルカ自身にも思えなかった。
 店に着くと、悩んでいるという割には何となく欲しいものはわかっていたのか、がくぽはほとんどまっすぐ、大小の”海の風景画”が陳列してある箇所に向かった。
「どちらが良いだろうか」
 卓上に乗るサイズの額縁、海の風景画を二つルカの方に向けて見せて、がくぽは言った。
「貴方が良いと思った方です」ルカは平坦に答えた。
 がくぽは、どういうわけかそこで、何かを思い出そうとしきりに悩んででもいるかような、不自然な沈黙を挟んだ。それから、再びルカに尋ねた。
「ルカならば、どちらが良いと思う……」
「なぜ私が選ぶのです」ルカは言った。無表情ながらも、今度ばかりは口調にはわずかにとがめる色があった。「がくぽ自身のものだから、自分で良いと思った方。むしろ、なぜ選べないのですか」
 ルカは最初と似たようなことを言っているだけだったが、がくぽは質問そのものに戸惑うような様子を続けるだけだった。
 しばらく両者の無言が続いた後、しかしルカは、その海の絵のうち片方を選んだ。
 ──店を出て、両者はその建物の屋上に出た。これまでの一連のがくぽのぎこちない様子を振り払い外気を吸うかのように、ルカは外の風景を見下ろすように踏み出した。
「……ルカ」
 ためらいを含んだがくぽの声がしたので、ルカは素っ気無く振り返った。がくぽは、先ほど購入した絵の包みを、ルカに差し出していた。
「……受け取ってくれ」
 ルカは無表情にそのがくぽを見つめた。
「その、……記念にと」がくぽは口ごもりながら言った。「我らふたりの、……その、『十乗殿堂入り曲』が、昨日、『十曲目』になったのだ。……記念しておかねばならぬと」
 ルカは無表情でがくぽを見つめ続けた。
「すべては、ルカのおかげだと思う……」がくぽは静かに言った。「我が、……我らが、ここまでやってこられたのは」
「12曲目です」ルカは言った。
「……何と?」がくぽはうめくように言った。
「昨日それを達成したのは、私達のデュオ曲では12曲目です。10続きではありません」
「そう……であったか?」がくぽは自信なげに言った。「海の美しさを歌ったあの歌は……故に、その海の絵をと思うたが……」
「海を歌っていたのは8曲目です」ルカは言った。
「そう……であったか……」がくぽは消え入りそうな声で言った。
 ルカは、そのうろたえるがくぽの様子の一方で、その手の包みを眺めた。
 ──がくぽは、これをルカに贈るために、わざわざルカを連れ出した。さきにルカに選ばせたのも、実は”ルカの好むもの”を選ばせるためだった、ということらしい。
「我には……ルカに対して何を贈ってよいかなど、皆目見当もつかなかった故……」
 がくぽは包みを見つめているルカの様子に、言い訳するように言った。柄にもなくルカを計画にはめたことに対して、気の利いた男ならば涼しい顔でもしていればいいところだが、がくぽは正直に打ち明けてしまうのが、実に情けなかった。
 ルカは包みを見つめ続けた。……がくぽのこの一連の計画に、まったく気づかなかった。最初から行動のすべてが不自然ではあったのだが、普段から、神威がくぽの行動は何もかもが珍妙なので、今回、あれだけおかしな様子が続いていても、それに何か特別の理由があるなどとは、ルカは逆に思いもよらなかったのだ。
「このひどい茶番の筋書きを考えたのは誰ですか」ルカは平坦に言った。当然、がくぽが自力でこんな計画を立てられるわけがない。「GUMIですか、Lilyですか」
「GUMIだ」がくぽはまじめくさって言った。そんなことさえ、ルカに対しては正直に答える以外のことは思いもよらないらしい。
 ルカは深くため息をついた。
「──なぜ、自力ではできもしないこと、自分の器以上のことをやろうとするのです」
 ルカはがくぽに正対して、冷たく言っていた。
「ここまで滑稽な茶番になることになるとわかっていながら、なぜ無理やり実行したのです。貴方には、武士の体面というものを保つ気は無いのですか」
 一連のがくぽの、なにひとつさまにならない行動、ルカを店に誘い、選ばせ、ルカに渡すまでの計画の遂行、計画が露呈した後の行動。さらには、それ以前のGUMIに相談して一計を吹き込まれるあたりの光景も、ルカにはありありと想像できる。どれをとっても、常日頃がくぽが目指していると公言する、誇りある武人の体(てい)を重んじた行動とは到底思えはしない。
 がくぽはそのルカを見つめて、悲しげに立ち尽くしていた。
 ルカはそのがくぽの目に、苛立ちを感じた。……今、自分がなぜ、こんなことをここまで強くとがめているのか。なぜ冷静なはずの自分が、がくぽに対する不満をそこまで露にしているのか。そんなことをしたいわけがない自分が、なぜがくぽをここまで責めなくてはならないのか。その自分の不可解さが、苛立たしいと思った。
 しかし、ややあって、がくぽは重苦しく言った。
「己の器をこえることであっても、しなければならぬことがある、と思うたからだ。……体面を保つことよりも、大切なものが……」
「大切なものとは何ですか」ルカは平坦に言った。「12曲目のタイミングで10曲目の記念に8曲目の内容に関するものを選ぶことがそこまで大切ですか」
「そうではない……うまくは……うまくは言えぬのだ……」
 がくぽはうめくように言った。
「だが、確かなのは……どう言ってよいかわからぬが……大切なものとは、……ルカだ。ルカが大切だということを……このように、確かに示すことだ……」
 不意の屋上の風に、両者の服の裾、豊かな髪が、はためくように乱れた。
 ”神威がくぽ”の何から何まで全ては、ルカの日々信条とする、そして自分の身の周りのすべてもそうあれかしと望む、理論整然とした理屈の通った事柄とは、かけ離れていた。それどころか、ルカががくぽと最初に会った時に感じた颯爽とした姿からも、かけ離れていた。がくぽを拒絶する、見限る、歩み去るには充分すぎた。──実際、ルカはそのときは半分そういうことを行いかけていたと、自分では確かに思う。
 ……にもかかわらず、なぜかルカはがくぽに歩み寄っていた。ゆるやかな身のこなしで、がくぽの両手を握ると、そのまま予想もさせないようなよどみのない仕草で、その胸によりかかった。
「ルカ──何を」
 がくぽはルカが胸にもたせかけた頭の、その頭上から言った。
「──貴方には、とてもかないません」
 本心のはずがない、思ってもいないことだと、自分では思うことを言っていた。その唇にはほとんど誰にも見せることのない微笑が浮かんでいたが、おそらく、このときの神威がくぽにも見えることはなかった。