例えばこんな供給形態IV

 自分が”初音ミク”にずいぶんと似ている、と学校の友達に言われるまで、混生みくるは、その”あいどる”のことは、ほとんど気にしたこともなかった。名前なら少しは似ているし、容姿も似ている所も無いでもないけれど、──その友達は、ネット上でその”あいどる”の歌う、動画のひとつを指差して言った──何よりも、”声”が似ている、特にこの曲の舌ったらずのところなんか、そっくりだと。
 ”初音ミク”とはいったい何なのか。ネットで有名な”仮想(ヴァーチャル)あいどる”だということと、友達が教えてくれたほんの少しの曲やPVしか知らなかった。なんでも、初音ミクとは、《札幌(サッポロ)》のとある音響会社に所属しているAI”あいどる”で、本人の肉体、確固たる実体、そういうものは存在しないそうだ。
 では何なのか。ファンの幾つかの創作の中では、市販のパッケージの購入者のPC1台に閉じ込められたプログラムで、その購入者を『ご主人様』だとか『マスター』だとか呼び、何でも言うことを聞く、といった存在として描かれているけれど、電脳空間(サイバースペース)を覆う”あいどる”の本質がそんな所には無いことは、みくるの素人目にさえ明らかだ。実際、そのパッケージを実際に購入して歌を作る人達の話によれば、その下位(サブ)プログラムを介して触れる《札幌》の初音ミクのAIは、それらの創作での姿のように、主のために頑張りますとか言ったり、いい歌を歌わせて下さいとか懇願してきたり、曲を与えないと寂しがったり、そういうことは一切ないらしい。vsqファイルを作れば、ミクは良い歌も悪い歌もそのファイルの通りにただ歌い、何も作らなければ、購入者はネット上で、別の誰かの歌を歌っているミクを、ただ座して見る羽目になるだけ。つまり、歌の良し悪しも、歌を作るのを投げ出して放置しているのも、全部が”人間の側のせい”なのだと、完全に思い知らせてくれる存在だそうだ。
 実際にAIのそれら”本当の姿”に触れた者達に言わせると、初音ミクを含め、その同族のVOCALOIDらのAIらは、全くつかみどころがなく、人間とはおよそかけ離れている連中らしい。いかにも、そうなのだろう。AIというものは──いや、きっと有名人、”あいどる”スタア達なんてものは、みくるたち常人とはかけ離れた感覚を持ち、想像もできないかけ離れた世界に住んでいるものに違いない。



 だから、そういう話題から初音ミクの姿を理解するのを諦めて、みくるは、ネットに流れている曲やPVやイメージ画の中に、その姿を探してみた。つかみどころがないという言葉が指すのと全く同じかわからないけれど、何かそんな気はした。清純な姿があれば官能的・扇情的な姿もあり、明朗・快活な姿があれば陰鬱な姿もあり──あまりに多すぎて、みくるには全部は見られはしないし、覚えてもいられないと思った。
 だが、そんな初音ミクのイメージの中のいくつかに、兄や友達が言う自分にそっくりなところ、ウブなところ、フワフワしたところ、天然なところ、そう思わせるイメージを表現したものが次々と見つかるたびに、どきりとした。みくるはそれらのひとつひとつを、ひそかに記憶にとどめるのだった。
 なんでも、初音ミクにも”兄”がいるという話を共通してよく見かけ、しかも、みくるのあのろくでもない兄と名前まで同じなんとかナオトとかいう人の声をしているとかいうのだが、細かい話は曲やPVによってもだいぶ違う。兄妹関係、もとい、それ以上の深い関係といわれていることもあり、それを知った晩には、みくるはなぜか、気になって眠れなくなった。だが、それも先のPC1台内に押し込められているだかの設定と同様に、あくまで曲や話によって違う一例でしかないのだ──
 あるとき、みくるは自室のモニタから離れて、しばらくぼうっとしてから、自分の鏡の前で、有名な曲のPVのポーズをとってみる。擬験(シムスティム;全感覚擬似体験情報)を収録するようなまなざしで──AIアンドロイドの”あいどる”が、ツァイス・イコンの義眼(サイバーアイ)に仕込まれたカメラで、周囲の光景や体感を収録するかのような──それがどんなまなざしなのかは本当は知らないけれど、とにかく、そんな気分で見てみる。初音ミクのヒット曲のフレーズが、よく似た声、よく似た舌足らずな発声で、口をついて出る。そんな自分の姿は、何か普通人からかけ離れたもの、違う世界に住むもの、そういうモノになったかのような錯覚を覚えた。



 友達とも兄とも一緒じゃなく、ひとりで街に出るなんて、いったいいつ以来のことだろう。いまどきの時代、ネットワークで情報も現物も手に入る音源映像のソフトウェアを、わざわざ街まで出て探すときは、むしろ”友達や兄と一緒に”出かけること自体の方が目的だったのかもしれないと、今になって気づく。そして今は、”ひとりで”出かける自体が目的で、街に出ている。
 ひとり街路を歩くうち、街の喧騒、広告の膨大な光芒と音響、人々の行き交い、そういうものの中から、今までは自分の興味のあるものだけ目に入っていた気がするけれど。もし仮に、この光景の中で擬験(シムスティム)を収録する”あいどる”なら、どうするだろう。ここにあるすべての音と光、すべての情報を、全身で受け止め、それを既知宇宙(ネットワーク)のおびただしい人々に発信するのだ。一旦そう思ってしまうと、みくるには、今までぼんやりとしか見ようとしていなかったこまごまとした光景のすべてが目に入り、そのディティールが認識され、同じ光景が、すっかり変わって見えた気がした。
 ガラスのショーウィンドウのかたわらを通り抜けながら、みくるはそこに反射した自分の姿を垣間見る。ウィンドウの中の商品を見るのではなく、それらの商品が”背景”で、自分がそれらを背負ってガラスのスクリーンに投影された”あいどる”の姿であるかのように。ありとあらゆるショーウィンドウの中に並ぶ、数え切れない人々の作った商品、作品、情報、そのすべてをバックに背負い、歌やPVを既知宇宙(ネットワーク)に発信し、解放する、そんな者の姿、──



 ──不意にガラスのウィンドウがとぎれ、つかのま我に返ったそのときに、みくるは、その人物と鉢合わせした。同じくらいの目の高さ、ほんの僅かな距離に、ありえないような薄紅の瞳が。
 それは、モニタの中で見る初音ミクそのものだった。物理空間ではありえない細い手足首と胴、ありえないような服装の質感、ありえない髪のボリュームも、モニタや擬験(シムスティム)の仮想空間内で見る姿そのものだった。……ただし、初音ミクの服や髪や瞳で”緑”だった部分が、その少女では何から何まで全部”ピンク色”だった。
 みくるは目の前の者を見つめたまま、ただその場に突っ立った。
「おぅい、寄り道すんなよ」そんな呆れたような男の声が背後で響き、ピンク色の少女は振り向いた。
「なによぅ、別にいいじゃないの」ピンク色の少女は路地の遠くに届くような強い声で応じてから、わずかに頬を膨らませた。声も初音ミクそっくりだった。発声は、みくるとはまるで異なり、甘ったるさを増した声なのだが、声質そのものはみくるよりも遥かに初音ミクにそっくりだった。年恰好はみくると同じくらいだったが、(その服装のせいで目だつためもあったが)体つき、胸や腰の曲線はかなり目立ち、それ以上にその仕草のひとつひとつが声質とあいまって、驚くほど蠱惑的に見えた。
 みくるとはほとんど共通点がなかったが、それでも少女は確実に初音ミクだった。その蠱惑的な姿は、今までネットでみくるの目に入っていたが、初音ミクのイメージとしてあえて摂取しようとはしなかった、数々の初音ミクの姿の一側面(アスペクト)だった。
 向こうの側は、みくるの姿に対し、みくるのその反応も含めて、ただ単に一瞥しただけで──結局のところ、みくるの姿を初音ミクに似ていたなどとは、少しも思わなかったに違いない。
「おまいの興味に全部つきあったり、もの買ったりしてられねんだからよ……」何か聞き覚えのある背後の男の声は、うんざりした色を帯び、「ホラ、行くぜ」
「あぁん、待ってよぉ、アカイト!」少女はしなやかに身を翻した。
 みくるは、店のガラス壁が途切れて細い路地になっている、その奥の方を見た。ぼやき続けているその男は、これもネット上で見るミクの”兄”そっくりで、ただし髪や服装のポイントが、すべて青色でなく”真っ赤”だった。その真っ赤な兄の腕に、ピンクのミクがすがりついたまま、その両者の後姿は路地を遠ざかっていた。



 みくるはその場で、ウィンドウによりかかった。”初音ミク”とその”兄”に、みくるとはまるで違う形で、そして、みくる以上に似ている姿。かれらが何なのか、衣装や化粧を真似ている”あいどる”のファンなのか、別の理由で似ている何かなのか。それはみくるにはわからないし、今後もきっと知る機会は無いだろうけれど。かわりに、何となく心に浮かんできたことがあった。
 ──きっと、たくさんいるのだ。みくるのようにほんの少しだけミクに似ている、あるいは先のピンクの少女のように大いにミクに似ている、そんな誰かは、きっとこの空の下、既知宇宙(ネットワーク)じゅうに、たくさんいるんじゃないだろうか。
 そして、初音ミクとかVOCALOIDだとかには、本体、実体、本当の姿というものが無いというけれど。ひょっとすると、ミクの本体というものがあるとすれば、そういう”初音ミクの一部”を持っているものたちのみんなが集まって、できているのかもしれない。”あいどる”のイメージとは、自分以外のネット上のだれか、自分でない自分になりたい、そういうみんなの無意識が集まって、できているに違いない。