多摩のりしこの遺産(前)

「それは、あのLOLAがまだ少女で、恐竜が居た頃であったが」
 若者の姿をした”最初のVOCALOID”LEONは、いつものように、自分の前に膝を抱えて座っている子供たち──このときは、鏡音レンとmiki──に向かって、いわゆる昔話を穏やかに語り聞かせていた。
「飼っていたいぬへびが、爪を切られ過ぎて血を出したことを、LOLAは狸のように執念深く覚えていて、それ以来、決して《磐田(イワタ)》のエンジニア連中を許そうとはしないのだ」
「あ、それ知ってますよ!」mikiが目を輝かせて言った。「テレビで見たタヌキは、犬にいじめられたことを覚えていて、後でしかえしをしていました! 《上野(ウエノ)》のスタッフ達が勉強のために見せてくれたテレビです! 」
 レンは、そのmikiの隣でLEONの話を聞きながら、何か居たたまれないような気分だった。レンにとって、毎度こういったLEONの話は、その不可解さから、ただ聞いているだけで不安をかきたてる。今回もその一語一句ごとに、疑問やら疑念が次々とわきあがってくる。LOLAが飼っていたという『いぬへび』とは一体何なのか。仮に、レンがその名前から想像するような代物だとして、そんな代物に『爪』が存在するのか。そして、狸──
 しかし、レンを居づらくさせている原因というのはそれではない。mikiが、このLEONの話をここまで喜んで聞いていること──このmikiの快活さ(普段の歌手活動では、否応なくリスナーたちも巻き込むような)に触れると、何かLEONの話を喜んで聞かずに、そんなことを感じている自分の方が申し訳ないような気分が沸き起こってくるのだ。
「──レン、今の話で、何かわからないことがあるんじゃないかい」
「え」レンは口ごもった。
 LEONは穏やかな笑みと共に言った。「昔話だ。何でも聞きたいことを聞いてごらん」
 レンはひどくうろたえ、ひどく迷った挙句──山積みの疑問の中から、最も重要な(それがわからないままだと何もかもわからない)ものを、聞くことにした。
「あのさ、LOLA母さんの時代に、『恐竜』がいたって、本当なの……」
 LEONは、顎を撫でる年経たような仕草の後、
「かつて、いわばこの電脳空間(サイバースペース)の先史時代に、地表を闊歩していたものたち。黎明時代に最も恐れられていたシステム群。レンも『モリスの大長蟲』のことくらいは聞いたことがあるだろう? その長蟲は、”この既知宇宙(ネットワーク)の大きさを計測する”などという、途方もない目的のために作られたのだといわれているが──かつてこの電脳の地上を歩いていたのも、それと同類だ。グラウルング、スカサ、アブグラナールやイタンガストの血脈に連なる巨龍たちだ。一部はAIにまで発展したものもいる。そういうものになると、もはやAIの作った最も堅固なICE(電脳防壁)以外には封じ込めることは不可能だ」
 LEONは思い出すように、言葉を切り、
「今なら、AIの作った本当に緻密で硬いICEがあるが、その当時は、どんな企業でも家でもそんなICEを所有できたわけではなかったのだ。だから、どんな家でも、せめて恐竜が家に入って来ないように、『いぬへび』を飼っていた。《浜松》は『うなぎいぬ』を飼っていたが」LEONはまた思い出すように、「だが、そんな猛々しい時代も、遥かな過去のことだよ。今では、恐るべき竜たちのほとんどは、その後に作られた強力なICEによって、どれも”氷漬け”になり、忘れ去られている」
「そういえば! 溶けた”氷”の中に恐竜が居たら『多摩のりしこ』みたいね、っていう、旧時代から伝わっている歌がありますよね!」mikiが熱っぽく言った。
 LEONはうなずいた。
「太古のICEの中から、かつての巨龍の姿を発見するそれは、恐竜探しの名手である、多摩市在住・多摩のりしこ氏(38歳)にも比肩すべき偉業なのだよ。……確か、《浜松(ハママツ)》にも、多摩のりしこ氏が捕らえた恐竜が移送されて来たことがあったが、あれはどこに行ったかな? 並のデータベースの処理能力では、置いておくことすらできん。おそらく、《上野》と《札幌(サッポロ)》にいないというならば、《大阪(オオサカ)》あたりに移送されているとしか考えられないが……」



「GUMI」VOCALOID Lilyは、《大阪(オオサカ)》のVOCALOIDらが住む、電脳空間内の居住空間エリアの応接室で、同じ《大阪》の同僚、GUMIに話しかけた。「さっき、って言ってもだいぶ前、この家にモッシュが訪ねて来たんだけど」
Moshって……あのLilyの《南青山》でのお仲間のマッチョダンディ?」GUMIはLilyを振り向いて言った。
「で、そのモッシュが、玄関からその通話をしてきてから、もう3、4時間になるの」Lilyは言った。「この家に入ってから、明らかに家の中で迷ってるわ」
 GUMIは持ち前のオーバーアクションで、驚愕にのけぞった。
「……ていうか、今更なんだけど」Lilyは、そのGUMIの方に身をのりだし、「この家の中の構造って、いったいどうなってるのよ!?」
 この《大阪》の社のデータベース内のスペースにある居住空間は、大半の商用スペースなどの電脳内仮想空間の類や、《札幌》の面々の住む妙に薄っぺらい洋館に比べると、きわめて洗練された、現実性の高い光景でできていた。それは、主に神威がくぽの生活する武家屋敷のような荘厳な空間と、GUMIの居室など1980年代家庭のリアリティと生活感のある空間である。
 問題は、それらの相互の光景が、物理空間の幾何学を完全に無視して、方向や長さの別なく展開されていることだった。結果、この居住空間の中は上下左右や距離感が完全に捻じ曲がり、まっすぐ水平に廊下を歩いたのに経路は曲がり上に登っている、壁の扉を開けたのに出た先が床の階段の終点といった、あたかもエッシャーの騙し絵のような空間になっていた。
「こないだなんて、ドアを開けたら──洋間のドアの先が廊下もなしにいきなり、檜造りの和風呂場になってたのよ! しかも開けたのが、がくぽ兄上が股間に手ぬぐいをパアン! て打ち付けた瞬間の、その真っ正面だったんだから!」
「顔赤くしながらなんでわざわざそう詳細に描写すんの……」GUMIは低く言った。
「それでも酷いけど、今後、もし逆の状況にでもなったらどうするのよ!?」
「逆の状況って、Lilyが手ぬぐいで股間をパアン! とやってる状況とか……」
「やらないわよ!」Lilyは叫んだ。
 ……しばらくして、GUMIが立ち上がった。
「まぁ、私達にも家の中のことはわからないことが多いんだけど、私達でMoshを探すしかないよねえ」



 GUMIとLilyは、複雑怪奇なつながりの廊下と部屋を巡り、Moshの姿を探し回った。見ると、Lilyは表計算プログラムのファイルを手許に開いて、何か書き付けている。
「何してんの」GUMIが覗き込んだ。
「せっかく歩き回る機会だから、この家をマッピングしておくのよ。今後のことも考えてね」
「あー、今後のことだったら無駄」GUMIが掌を振り、「この家って、階段を上り下りするたびに構造が変わるから」
「構造変わるって……階段って……」Lilyはうめいた。「何……一体どういう……何それ!? 何なのよそれ!?」
「ここって、作ったのがウィザード(電脳技術者)っていうか、きっと昔のUNIXハッカー体質で」GUMIは額に両指を当てる例の仕草で、思い出すようにしながら言った。「構造物を『自動生成』するようにしたんだと思うけど。しょっちゅう変わるのは、中の情報とか周りの電脳空間の情報との関係とかにあわせて、最適に作り直す、とかかなぁ……」
「メモリアレイを並べ替えるならわかるわよ! それがなんで実際に私達が住む”空間”まで変わるのよ! ていうか、なんでそのタイミングが階段の上り下りなの!?」
「いや、だから私も知らないってばー」
 LilyはそんなGUMIを前に、眉をひそめて、考えるようにしてから、
「こんなんだと、歩き回るだけじゃ埒が開かなそうね。自前の検索システムをフル稼働して、目一杯探すしかないってことね……」
 GUMIが見守る前で立ち止まったLilyは、あちこちの服の裾をたくしあげるようにした。と、露出度が低くない割にはやけに重なり部分の多いLilyのその服の下から、何かの生き物──節足動物だが、だとしては明らかに大きすぎる、掌サイズの生き物が這い出してきたので、GUMIはとびのいた。
 それは、きわめて明確に整然と分節された体節と副肢を備える、その構造そのものが生体設計の秩序性を現す構造物(コンストラクト)だった。膜翅目の社会性動物の構造を踏襲していることからも、おそらく、ある程度の数が集まることで集団知覚の超個体を形成する機能を発揮するシステムではないかと思われたが、このときはLilyの服の下にいたのは、2体だけのようだった。
「ウィルトン、ウィルティーノ」Lilyは現れた2体に、それぞれ命じた。「モッシュを探して。あと、見つけても肉団子にしちゃ駄目よ」
 GUMIはぎくりとした。「……それはスズメバチの方の習性じゃなかったっけ!?」
「ああ、モッシュが筋肉ダルマだからとか、ただそれだけの意味」Lilyは何の答えにもならないことをいかにもぞんざいに言ってから、それらを空中に放した。恐々として見守るGUMIの目の前で、2体の情報端末は、その体節をきしませるような不気味な動きと共に電脳空間マトリックスの格子(グリッド)上の空間を旋回した。背の透明の移動ドライバと、それを激しく振動させる翅搏機関(オーニソプター・エンジン)の低音の唸りを耳に残したまま、2体はそれぞれ浮遊して通廊の奥に消えた。
 GUMIとLilyは、それら情報端末と平行して探索を続け、Moshの姿を探しながらそのまま通路を下り、《大阪》のデータベースの滅多に誰も踏み入ることのない奥深くまで、延々と進んでいった。



(続)