奴との戯れ言はやめろ

「あのねー、リン」電脳空間(サイバースペース)の《札幌(サッポロ)》のスタジオエリアに収録に来たGUMIが言った。
「こないだ兄上が寝言でね、『ララァ、私を導いてくれ……』って言うのが聞こえたんだけど」
 鏡音リンは怪訝げな目でGUMIをしばらく見つめ返した。
「……誰それ」
「いや、わかんない」GUMIは低い声で言った。「兄上が普段親密にしてる人なら、私もだいたい知ってるはずなんだけど、その名前は聞いたことないよ」
「導いてくれとか──まだ誰か居るっての、森之宮先生の他に」リンが考え込んだ。
「誰それ」
「アンタさ今、がくぽが親密にしてる人ならだいたい知ってるって」リンはGUMIにうんざりして呻いてから、「……けど、よりによってあのがくぽが、寝言で知らない女の名前を言うとか……しかもそれ、なんかさ、口調そのものも違いすぎるのも変すぎ」
「うん、だから、わざわざリンにまで相談するんだけどね」GUMIが小声で、「何か非常にまずいことになる前に」
「そりゃ確かに非常にまずげ。ルカとかに知れたら……」
 リンがそこまで言いかけたときに、
「──今、『がくぽが寝言で知らない女の名前を言った』等と聞こえましたが」
 背後からの声に、リンとGUMIは飛び上がった。
 巡音ルカは、無表情でそこに立っていた。リンとGUMIは無意識に数歩あとじさった後は、そのルカを凝視したまま、しばらくの間立ち尽くしていた。
「寝言だといいましたね」ルカが平坦に言った。「『がくぽの寝言』などというものを、一体誰が何処で聞いたというのですか」
「えっと、あの……私が、家で昼寝してる兄上からね」GUMIが口ごもりながら言った。
 ルカは無表情で黙っていた。
 しばらく沈黙が流れた。
「がくぽのその寝言に出てきたのは、いったい何者だと言いましたか」ルカが平坦だが唐突に言った。
「いやだから私も知らないよ。『知らない女の名前』って今ルカも自分で言ったじゃない」GUMIがたじろぎつつ、ルカに答えて言った。
 リンがごくりと唾を飲み込んだ。
「ルカ、落ち着いて」額と背に冷や汗を感じながら、リンは言った。「いつものルカらしくないよ」
「私はいつも通り落ち着いています」ルカが無表情で平坦に言った。
 リンとGUMIはまた一歩あとじさった。
「……どうするよ」GUMIがルカを凝視したまま、リンにささやいた。
「どうするって、何ができるってのさ私らに」リンが同様にささやいた。
 と、
「説明しよう!」
 そこで近くから唐突に声がして、リンとGUMIは同時に振り向いた。
「㍗さん!」
 一体いつ傍に来たのか、いつのまにやらすぐ近くの格子(グリッド)に居たのは《札幌》の社の主要スタッフのひとり、VOCALOIDプロジェクトのディレクターだった。
「がくぽ君のその台詞は、とあるアニメシリーズの有名な台詞で、重度のマニアがほとんど定型句として常用するひとつなんだね! つまり、がくぽ君はめぐぽちゃん(註:この呼称は誤りです)にさえ隠しているガノタが、寝言でバレたということだね! しかも『寝言でララァの名を呼ぶ』は定番中の定番ネタのひとつだけど本当に自分も寝言で言ってしまうあたりはまさしく体の芯までしみこんだガノタ筋金入りだね!」
 リンとGUMIとルカは無表情で立ち尽くした。いつものことだが、少なくともリンとGUMIには、ディレクターのこの話(特に、出てきている単語の個々)が一体何のことだかわからない。
 と、ディレクターは急に静かになり、その動きが止まった。
「しかし……ちょっと待ってくれよ。ということはだね……」
 ディレクターは先ほどの高揚した様子からは信じられないほど真摯な表情で考え込んだ。リンとGUMIは二者同時に、ぐきっという擬音でも立つかのような様で片方だけの眉を上げ、怪訝そうにその様を見つめた。
「──何を話しておるのだ、皆揃うて」
 突然の声に振り向くと、まさに当の神威がくぽが歩み入ってきたところだった。
 リンとGUMIはぎょっとして、即座にルカの表情(まだ無表情だった)を見てから、ついでがくぽの方に目を移した。それからまたルカに目を戻し、リンとGUMIは延々とルカとがくぽに交互に目を移し続けた。
 しかし、そこでディレクターが突如、手を思い切り水平に振りかざして叫んだ。「これは実に凄い、最高だよ!」
 リンとGUMIは飛び上がった。
VOCALOIDは日々、”限りなく人間に近い”システムを目指して開発されている!」ディレクターは、がくぽに手を向けて言った。「そして、《大阪》の開発チームは、隠れガノタ台詞を寝言で言うほど人間に近いVOCALOIDを作り上げた! しかし!」
 ディレクターは振り向いて、ルカの方にぐいと腕を振りかざした。
「《札幌》の開発チームは、寝言に出てきたアニメの女キャラに嫉妬するほど人間に近いVOCALOIDを作り上げたんだ! まさしく最高じゃないか!!」
 ルカは無表情でそのディレクターを見つめた。
 と、不意にそのルカの背後に、炎が吹き上がるように八卦陣状のプログラム・オブジェクトが浮き上がり、赤熱と共に見る間に立体状に厚みを増した。ルカはその八卦炉の中央から、禍々しい刀身形状の長剣、グラットンソードを引き抜いた。──続くルカの絶叫は、ルカのCV03の外語ライブラリで発音されていたために、AIに日本語ライブラリしか持たないリンとGUMIには日本語の”空耳”としてしか聞き取れなかった。
酷っでぇミツルギ!! ヲタは地道に働こうなァーーッ!!
 ルカの背後の八卦炉と突き出されたグラットンソードから噴出した九龍の神火は、ディレクターとがくぽの二者に渦を巻いて襲い掛かったかと思うと、周囲一帯のマトリックスに(リンとGUMIも巻き込んで)炸裂した。
 後に、がくぽはこの上さらに、ディレクターやリンやGUMIからひどく責められることになったのだが、無論のことがくぽ本人には一切心当たりのないことだった。



※なんぞこれ