ミドリミドル

VOCALOIDという存在の根幹には、まずはネット上の”ゴースト(霊核)”がある」《浜松》の若いウィザードが言った。「これは、社やユーザーの持つソフトウェア、動画などの創作、その他の純粋な情報、ネット上のVOCALOID”現象”すべてが反映された情報総体です。この集積体こそが、VOCALOIDという存在の本質、真の本体ですが、それは一切まとまりのないネット上のイメージ全ての集合であって、我々にとっては、全くつかみ所がないものです」
 ウィザードは、《秋葉原》のマネージャーとプロデューサーとCoP(コプロデューサー)、そして、同期の若い《磐田》のエンジニアを前にして説明した。
「──その情報総体が『最低限に擬人化され』、活動している人物像が、”アヴァター(化身)”というわけです。通常VOCALOIDの人物像(キャラクタ)とは、要はこのアヴァターだといっていい。例えばCV01というゴーストの、アヴァターが『初音ミク』という一体の人物像としてネット上で認識されている存在だ。……今、一体とは言いましたが、実のところ、ひとつの登録番号のゴーストの下に、複数のアヴァターが存在している場合もある。かれらは基本的にそれぞれ別の人物像(キャラクタ)ですが、大本をたどると、同一のネット現象、同一のゴーストに連結しています」
「同じCV02V2のゴーストに、『リン』と『レン』の2つのアヴァターが連結してる、とかだな」《磐田》のエンジニアが言った。
「──そして、ここからが問題だ。かれらVOCALOIDには、アヴァターとはさらに別の、分身、側面、個別の人物像(キャラクタ)として、無数の”アスペクト”が存在する」
 ウィザードは言い、
「かれらの別の姿、分身には、アヴァター自身が手足のように使役する情報収集用の小人のような下位プログラム。さらに『亜種』と呼べるほど完全に独立したものまで、ありとあらゆる形態がある。生じる原因も、例えば別の音声、CV02と02V2、つまりact1と2や、CV01Aのappendも、当然個別のアスペクトを生じさせますが、個々のユーザーの電脳端末(PC)ごとの調律調整の具合や、歌曲のイメージごとにも人物像のバリエーションが生じる。その他、映像や立体物から新たな人物像(キャラクタ)が生じることもある。あらゆる原因で、あらゆる形態の人物像が生じ、その内容は千差万別です。──ただし、それらに共通していることは、アスペクトとは、ゴースト情報総体に包含される”全情報”のうち、”特定の一部の側面”が反映された、または、誇張された存在だということです」
とかとか一部が誇張されたのもそうか」エンジニアが、この場の誰にも聞こえないほど小声で呟いた。
アスペクトは、情報収集用の小人のように、メインの人物像ともいえるアヴァター自身とは、意識や感覚を共有しているものも、潜在意識でしか繋がっていないものもいる。さらに『亜種』のうち一部のように、アヴァターの下位ではなく、ゴーストの方から直接枝が伸びていて、アヴァター自身の人物像とは完全に独立して行動するものもいる。例えば『KAIKO』というアスペクトは、いまや『KAITO』というアヴァターの単に下の枝に伸びた付属物ではなく、完全に独立したひとつの人物像ですが、大本をたどるとCRV2という”ゴースト”には連結し、その情報総体の下にあることにはかわりはない」
 エンジニアが、難しそうにしかめ面をした。
 その一方で、《秋葉原》のプロデューサーが言った。「続けてくれ」
「CRV1や、特にCRV2には、実のところ、開発の模索中に大量のアヴァターやアスペクトが作られました。それらの大半はいまだに、《浜松》や《磐田》の本体(メインフレーム)のコンピュータ連結体(ネクサス)に眠っています」ウィザードが続けた。「──しかし、むしろネット上で、アスペクトは日々無数に誕生しています。我々や、かれら自身、つまりメインのアヴァターの意識や知識でも全く知らない場所で。特に、ゴーストの持つ全ての情報のうち、なんらかの特定の性質がネット上で膨れ上がった場合、それは新たなアスペクト(側面;分身)として”独立”する可能性が極端に跳ね上がる」



「リン」初音ミクが、思いつめたような表情の後に突如言った。「わたしが……本当の家族じゃなかったら……リンはどうする?」
「いや本当の家族って」リンはうめいた。「家族設定とか非公式設定だし、このブログだって別に血縁とかの設定じゃないし、私とレンが”姉弟”だとかも公式デザイナー個人の非公式設定だし、てか”姉弟じゃない”てのも某スタッフの非公式設定ではあるけど」
 リンは言ってから、
「てか、いきなりなんでそんな話になるわけ」
 ミクは答えなかった。
 リンはそのミクの様子を見つめた。CV02は01と基本構造物が共通しており、目を見ればある程度、感覚や表層意識が把握できることがある。といっても、ミクの常人離れした頭の構造の思考の経路はリンにもまったく理解できないのだが、この瞳からは、その思考が意味もなく彷徨ってのものではなく、何か根拠があって思いつめているということならば把握できる。
「おねぇちゃん……どうしたの」
 と、居間の扉が開いて、年長のVOCALOIDが話しながら入ってきた。
「……でさ、最近の珍しいキャラを出していくか、それともブログ立ち上げの頃に回帰して大家族物をやるか、方向性が決まらないらしいんだけど」MEIKOは歩きながら、一族の”義父”LEONに世間話のようなものをしている。
「いや、ここのブログは立ち上げの頃から、珍しいキャラを出しまくってなおかつ大家族物をやっていると思うのだが」金髪に青いシャツの青年の姿をした”最初のVOCALOID” LEONは、MEIKOに答えて言った。
「──父さん、姉さん」
 ミクの突然の声に、LEONとMEIKOが見下ろして、いつにも似合わないミクのその思いつめたような表情を見た。
「わたし……ここの家の子じゃないんでしょう」ミクが震える声で言った。「父さんの子でも、姉さんの妹でも」
「いやいきなり何を言い出すの」MEIKOが頓狂な様子で言った。
 ミクは躊躇してから、
「……さっきここの居間で、父さんと姉さんが話してるのを聞いたの。『ミクは、他のVOCALOIDの誰とも違う』って」
「いや本当にミクは違うでしょう色々と、仕事の内容的な意味で」MEIKOが言った。「それが、なんでここの家の子とかそんな話になるの」
 MEIKOの戸惑いは、単にミクの話の突拍子もなさに対してと思われたが、あるいはミクの目には誤魔化しているように感じられているかもしれないとリンは思った。
 ミクはさらにためらった様子を続けた。……が、やがて、一枚の写真を取り出した。
「父さんと姉さんが話し終わった後に、これが、居間の床に落ちてるのを見つけたの」
 ミクは、震える指でそれをテーブルに置いた。
「この人が……わたしの本当のお父さんなんでしょう……?」
 テーブルに置かれたその写真を、LEONとMEIKOとリンが覗き込んだ。
(な、なんじゃこりゃあああああ……)
 リンが声に出さなかったのは、ミクの深刻な表情をおもんばかったというより、まさに文字通り絶句せざるを得なかったためだった。それは、確実にミクの面影がある男性の姿だった。あまりにも渋すぎる中年男性で、確かになりゆき上”義父”とされるこのLEONとどちらがミクの父に見えるかといえば、どう考えてもこちらの写真の方だと言わざるを得ない。
 かなり重苦しい沈黙が流れた。
「……レグバの神(ロア)の名にかけて」やがて、LEONが重々しく口を開いた。「この写真のことで、”ミクは我々とはやはり違う”そうMEIKOと話していたことは事実だ」
 ミクは不安と哀切の入り混じった表情でLEONを見つめた。
「よく聞きたまえ。この人物は、実父という意味では、ミクの父というわけではない」LEONは言った。「だが、では何なのかという真実を告げることは、それよりも遥かに衝撃的な事実をミクに、さらにはリンら他の娘たちにも知らせることになるだろう。その覚悟はできているか」
 ミクとリンは深刻な表情でLEONを見つめた。
「この人物は、ミクのメインの人物像のアヴァターとは別に、CV01のゴーストに属する”アスペクト”だ」LEONが言った。「つまり──これはミク自身の別の姿。この中年男は父というより、むしろミクと『同一人物』なのだよ」