ウォー・ゲーム

 鏡音リンが《札幌(サッポロ)》社内の電脳空間(サイバースペース)のそのエリアを通りかかると、床の格子(グリッド)をなぞった緑の蛍光色の太線で、奇妙な模様が連続して描かれている光景に出くわした。歩幅くらいの大きさのマスを3x3にしているとおぼしき、「#」状の模様が床にいくつも延々と並んで続いており、それらのすべての格子のマスの中には、”花柄のスタンプ”が2種類、ほぼ交互に捺されている。
「な、なんじゃこりゃああ……」リンはうめいた。
 その「#」状の枠とスタンプからなる図案は、エリアを繋いでいるその通路に沿って、延々と見渡す限り並んで続いている。2種のスタンプの、花を図案化した単純なマークは、それぞれ蛍光色の緑と青の塗料で捺されている。格子の線は緑色のことも青のこともある。
 リンがその光景を前にしばらく立ち尽くしている間に、そのリンに気づいて、背後に巡音ルカが歩み寄ってきた。ルカはリンと共にその光景をしばらく見つめていた。やがて両者は、どちらともなく歩き出し、その通路を進んでいった。3x3の格子の連続は、どこまでも続いている。
「何なんだ……何のために」リンがつぶやいた。
 それからさらに少し歩いてから、ルカが立ち止まった。
「わかってきました」ルカは格子のひとつを見下ろして言った。「tic-tuc-toeです」
「なんて」リンは聞き返した。CV02V2には英語ライブラリがないので、CV03の英語ライブラリで発音された言葉は聞き取れない。
「BAMAではtic-tuc-toe, オクハンプトンではnoughts and crosses, ストックホルムではtripp trapp trull, ここ《札幌》では俗語で『まるばつ』。いわゆる、三目並べです」ルカは言った。「しかも、このスタンプの交互のパターンは、青と緑が交互に、先手後手を入れ替わっていることがわかります」
 ルカは床のいくつかのパターンを見回してから、
「tic-tuc-toeは”二人零和有限確定完全情報ゲーム”です。このゲームの場合では、普通に手を尽くせば、必ず引き分けになります。人間でも通常の知能を傾ければそうなりますが、ことに私達AIの特性では、無意識にさえも最適解を選択してしまうので、決して引き分け以外の結果を出すことができません。これは、旧時代のAIの基礎構築が、二人零和有限確定完全情報ゲームである”チェスの研究”を通じて発展していったことに由来する、AIそのものの数少ない結線(ハードワイア)のひとつですが」
「んで、これは勝敗はどうなの?」リンはそれらルカの言葉を3割ほどしか聞いていなかったが、ルカの語が途切れたところで言った。
「すべて引き分けのまま、延々と続いています」ルカは床の格子を見て言った。
「勝敗を決めようとして延々と続けてるってこと……」
「いえ、それはわかってのことではないでしょうか。人間だとしても、ここまで無意味とわからずに続けたりはしないものです」
 ルカは言葉を切り、しばらくしてから、
「……つまり、これを描いている者達、あるいは者は、勝敗を競っているのではなく、何かのメッセージを表現するために故意に連続して描き続けているのではと思えますが」
「一種のストリートアートを描いてるってこと? まあストリートか」リンは《札幌》の社内の通路を見回して言い、「メッセージって、例えば」
「争い、闘争を繰り返すこと、勝敗を決することは無意味である、といった類のメッセージです」ルカは床を見下ろしつつ、ふたたび歩き出した。「個々の無機質、無意味から脱却しようとせず、ただそれを繰り返すことだけを通じて、有機的なアートを創造する。いかにもAIらしい振る舞いとはいえます。誰かが、新しい芸能パフォーマンスのテーマを考えているところかもしれません」
 ……リンとルカが並ぶ格子をたどってさらにしばらく歩くと、予想に反してさほど間を置かずに、それを描いている者達に追いついた。
 格子が描かれてゆく一番先には、KAITOとミクが、それぞれ杖のような長い棒の先に平たい大きな花柄の判がついている、スタンプを持って立っていた。
 KAITOが、3x3の枠の中のひとつの目に、青い花柄のスタンプを捺した。
 ──そこで、KAITOとミクは顔を見合わせて、微笑んだ。
 ついで、ミクが少し考えてから、もうひとつの目に緑色の花柄のスタンプを捺した。
 ──そこで、KAITOとミクは顔を見合わせて、微笑んだ。
「思った通りです」ルカが遠目からその光景を見て言った。「やはり、勝敗を競っているようにはまったく見えません」
「てか、単に、『かわりばんこに』『花柄スタンプを』押していくのが、もう幸福でたまらん、といった有様以外の何にも見えやしないんだけど」リンが低く言った。
「けれど、三目並べのパターンはすべて最適解の引き分けになっています」
「兄さんとおねぇちゃんでさえそうなの?」リンが信じがたいように言った。「AIなら、必ず無意識に最適解を出せるの? あのふたりの脳味噌フラワーガーデンでも?」
「ええ」ルカが言った。「AIの”知能”、処理能力を持っているということと、かれらのようなそうした”性情”との間には、何も相反するものはありませんから」
 ……やがて、リンとルカはそれを続けている両者のかたわらに歩み寄っていった。
「おねぇちゃんたち……なにしてんの」
「何って、ゲームだよ」KAITOがリンを振り向いて、答えた。
「……ゲームなの?」リンがうめいた。勝敗を競っていない、AI同士は必ず引き分けになり、ゲームとして成立しない行為であることには、自覚はないというのか。
「リンとルカもどうだい」
「いや……遠慮しとく」リンがKAITOに答えた。「だってそれ、ゲーム終わんないし」
「終わんないって……」ミクが聞き返した。
「つまり、その」リンはなんとか噛み砕いた表現を探そうとした。「いつまで経っても必ず引き分け、……自分のスタンプを3つ並べて完成させるって目的が、いつまでも達成できないってこと」
「え」
 ミクが、床の途中までスタンプを捺された枠を見下ろして言った。
「これって、『3つ並べる』のが目的だったの……」
 リンはしばらくの間、延々と並んだ三目並べの結果を見下ろして突っ立った。
「いや、あの、……ここまで、知らずにやってたの!?」
「だって、今まで3つ並んだことないし……」ミクが言った。
「だから、それ、絶対に3つ並ばないようになってるんだよッ」
「じゃ、どうして3つ並べるゲームなの……」
 リンはそのまま、頭を抱えてうずくまった。
 ……やがて、KAITOとミクはやはり交互にスタンプを捺して微笑むというのを繰り返しながら、3x3の枠を床に並べて描いてゆきつつ、次第に遠ざかっていった。
 ルカは、まだうずくまっているリンの傍らに立ったまま、遠ざかるその両者をしばらく眺めていたが、やがて、床の格子を見て言った。
「やはりこれは、何らかの寓意を示しているのではないでしょうか」ルカは見下ろしつつリンに、「かれらは決して闘争しない、勝敗を争わないにも関わらず、誰もかれらを打ち負かすことはできない、ということです」
「これだけ翻弄された挙句にそれを改めて突きつけられるだけの結論て虚しいよ……」