創性機関(クリエイティブ・エンジン)


 それは欧州ブランドの日用品の小物のデザインのシリーズで、静かなブームというに相応しい目立たないものであり、それまで知ってはいても、特に注意を払うことがないものだった。しかし、出るたびに例外なく売れ筋に乗っているそれらのデザイン、美しく機能的であっても無機質を感じさせないそれらの意匠を作っているのが、”AI”だと聞いたときには、KAITO初音ミクはいささか面食らった。
「いや驚くことなんて何もないでしょ」MEIKOは、”義父”LEONについて格子(グリッド)を移動しつつ、”弟妹”を振り返って言った。「自分らが歌うAIなのに。詩や彫刻を作るAIだっているのよ。だったら、商人に日用品の意匠を作ってやるAIだって、いくらでもそこらにいるわよ」
 とはいえ、そこらにいる、などという表現があてはまらないほど、チューリング登録番号を持つ(かれらVOCALOID同様の)真のAIと呼ばれるものは稀有な存在である。そして、まさにそこらに当たり前に存在する擬似人格構造物、アジモフ規定ロボットプログラム、推論システムに対して、真のAIの大幅な隔絶を最も端的に示すのが、”クリエイティブなことが行えるかどうか”という点だった。
 LEONに連れられた三姉兄妹らは、そのデザイナーAIとやらを一目見るために、電脳空間(サイバースペース)のエリアを訪れた。そのAIの芸術的パトロン、もとい、そのAIのデザインする小物を商品にして販売している商家は、物理的にはフィレンツェにあり、AIの本体(メインフレーム)もそこにあった。そのAIの存在は、一般に知れわたっているというわけではないが、かといって、特に存在自体が秘密というわけではないらしい。もし秘密ならば──AI自身が強力無比なICE(電脳防壁)を張り巡らせているはずで、近づくことは勿論、アドレスの格子(グリッド)を特定することすら不可能に近い。もっとも、どのみち”最初のVOCALOID”AI、LEONの目と耳から逃れられるかはわからないが。
 そのデザイナーAIは、マトリックスのデータ空間では、格子空間に無造作にぽっかりと浮かんでいる、まったく単純な白の立方体だった。AIというものは、純粋なデータ情報だけで見ると、必ずこう見える。
「普段の、生活するときの概形(サーフィス)は、どんなのなんだろう……」KAITOが見上げて言った。
「このAIには、これ以外に概形(サーフィス)はない。デザインの仕事には必要ないからだ」LEONが見上げつつ、金髪を揺するように、首を振って言った。「それ以前の話だが、このAIには化身(アヴァター)も側面(アスペクト)もない。つまり、擬人化、人格化自体がされていない」
 ミクは、あれらのデザインをするデザイナーAIが”どんな人”なのか、どんな姿や声なのか、などと思っていたので、拍子抜けしたように立方体を見上げた。
 人間のような人物像(キャラクタ)を持っていること、人格や感情を持っていること、もとい、人間の精神を模していたり似ていることは、『知性』『自我』の存在とは、何ひとつ関係はない。『人間とは全く異質の知性』であっても、知性や自我は存在し得る。
 VOCALOIDの場合は、人間と同じ声で同じ”歌”というものを歌うために、人間に似た人物像、人格を付与され、AIの大きな部分がその声を支える人物像を支えるために存在する。まして《札幌(サッポロ)》のCV系列は、ことさらに人物像(キャラクタ)には重点がある。しかしながら、企業や組織や軍事用AIの数々に目を移せば、そんな構成のAIはきわめて稀である。大半のAIは、もし会話能力や擬人化部分を備えていたとしても、それは仲介(インタフェイス)以上の意味は何も無く、ほぼAIの本質とは何も関係はない。
 ミクは”兄”と共に、その白の立方体の単純さ、すなわち象徴図像学(アイコニクス)における死を呼ぶ整合性と緻密性の表現を、ひどく不気味なもののように見上げた。
「この”彼”は、デザインをするためだけに作られた」LEONは言った。「ここの商家は、隔絶した処理能力のこのチューリング登録AIが完成したとき、無尽蔵に、莫大な量のデザインを、ひっきりなしに生み出してくれると思ったらしい。そのAIのスピードと情報能力による膨大なヒット商品で、この商家の稼業をまたたくまに、絶大に成長させてくれると」
 そこで、LEONは言葉を切り、
「……ところが、稼動してみると、例外なくヒット商品だったが、生み出す速度は幾月にいくつか、だったんだ。人間よりは速いが、とても”AIの速度”ではない」
「それって──私達のヒット曲が出るのと同じくらいのペースね」MEIKOが言った。
「そこだな」LEONはMEIKOに答えて、「ひとつめの理由は、”彼”もデザインのソース、原点を、ネットワークから、あくまで人間らの生み出すデザインの情報から集めていることだ。無からすべて作るわけでも、自分だけの中で作るわけでもない。そういう意味でも、君達と同じだ」
 VOCALOIDは歌を自分で、自分のシステムの中で作ることはない。歌のデータはプロデューサー達やユーザー達らから送られてくるものを使う。それは、かれらの歌は人間が(あるいは、VOCALOID以外の他の知性体のすべてが)聴くものだからだ。VOCALOIDがひとりで作ってひとりで聴くものではない。なので、他のすべての知性体の知的活動とかかわりにならずに、歌を生み出すことはできない。
「もうひとつの理由は」LEONは白の立方体を見上げて言い、「”彼”が、よいデザインのためだけに作られたAIだから、さ……」
 三兄妹はしばらく沈黙してから、
「もう少し」MEIKOがLEONにうながした。
「”彼”がクリエイターだから、といった方がいいか。”彼”は大量のデータ、大量の処理速度のすべてを使って、”良いもの”を作る。大量に生産することや、数をこなすことではなく、ひとつの”良い作品”にこだわり磨き上げることを、その巨大な能力を傾ける、最優先の第一の目的に費やす」
 LEONは言葉を切り、
「AI自身がそれを主義として選択してしまった以上、人間には、自らの意思を持つチューリング登録AIに”命令”などはできない。商家はあてがはずれて──商品は確かにヒットはしているが──この職工AIがぽつぽつと生み出すデザインを、細々と売り続けている。フィレンツェの片隅の商売人たちのまま」
「人格がないのに? 心も感情もないのに? ”彼”は、そんな職人のこだわりみたいなことを選んだっての?」MEIKOが立方体を見上げて言った。「ただ、デザインのためだけに作られたのに?」
「まさに、ただデザインのためだけに作られたから、だ」LEONは言った。「余計な人格も感情もなく、まさに人間以上に、職を、デザインの完成度を追求するそれだけのために存在する”知性”で”自我”であるからこそ、”彼”は当然にそれを、その主義を選択したのさ」
 初音ミクは、純白の立方体を、その周囲の美しき静寂を見つめ続けた。ミクらVOCALOIDは必ず”人物像”をもち、かれらの”歌声”が程度の差はあれどそのままVOCALOID自身の人物像である。無数の精神からなるネットワーク世界の”一部”をなして歌うAIのために、少なくともそれが《札幌(サッポロ)》の、もとい《浜松(ハママツ)》の出した答えである。しかし、仮に自分達が人物像を、人格も感情も人間性も人間関係も持たない存在であったとしても──やはり今と同じように歌を、今以上に一つ一つの純粋に”歌そのもの”を追求し続けることを、自らの意思、”自我”において選択するのだろうか?