ワガママボディブラスト(前)

 男なら『初音ミク』とふたりきりで暮らして、しかもことあるごとに体をくっつけてくる、なんて生活だったら、夢にまで見るとかいう奴も居るんじゃないか。なぜって、オレ自身がいっときはそんなふうに思ってたからなんだが――実際は、なにごとも状況次第、事情次第っていうやつなのを思い知る羽目になってる。
「ねーーえっ」
 オレの首に、背後から腕をからみつけるように回しながら、ヤツが言う。
「何見てるのー? また通販サイト?」
 床のフローリングに座り込んで家庭用端末の操作卓(コンソール)を叩いているオレの肩ごしに、ヤツは、オレの前の日立(ヒタチ)のモニタの表示を覗き込む。そばに頬が近づいて、柔らかくて温い感触には甘みがある。声はもっと甘い。発声にからみつくようなたるさがあるが、それが例の『初音ミク』の澄んだ声と同じ声色なので、それをむしろ独特のあどけなさみたいなものにしている。
 Tシャツからむきだしの、肉付きの良い脚の丸い膝を繰って、フローリングの上をさらに擦り寄り、これもむきだしのほっそりした腕をからめてくる。Tシャツは男物で、オレの服、というには語弊があって、ここの建物を前に所有していた企業の残していった廃品の中から見つけたもの。胸にはホサカ・ファクトリィの社標(ロゴ)。オレ達の普段買える服からは想像もつかないほど、びっくりするほど生地が良く、いくら洗ってもフワフワで、ヤツのお気に入りだった。丸ごと抱くと、柔らかい。
「私にもー、何か、いいモノ買ってよっ」ヤツはオレの方に顔を曲げて言う。
「今見てんのは、生活必需品だぜ。好きなものの物色じゃねーんだぞ」オレは日立(ヒタチ)からは目を離さないで言う。半分はつきあう気がないのと、もう半分は、そのヤツのカラダをできるだけ意識しないで済むように、だ。
 生活に余裕がないから、通販で生活用品を買うにも、こうやってモニタを睨んで厳選しなきゃならない。まして、ヤツのねだるものを買っている余裕なんてない。
 ……そんなカツカツの生活を、オレはこの”初音ミクのようなもの”と一緒に、この《千葉(チバシティ)》の片隅のボロアパート、ホサカ社が廃棄した建物、企業環境建築物(アーコロジー;ハイテク住居)になるはずだったらしい廃墟の片隅で過ごしてる。
 今の時代、世で有名な擬験(シムスティム;擬似体験娯楽)俳優や”あいどる”の姿なら、不正規にそれらとそっくりに作られた類似品、ロボットや自律アンドロイドなんかも、街を歩いているのは珍しくない。今ここにいるヤツも、その一体、ってことになるだろう。本物の『初音ミク』と、声はそっくりだし、背格好とかシルエットとかの特徴も大雑把には同じ。だが、オレに言わせりゃ、似てるのはそれくらいだ。
 本物の”あいどる”の初音ミクなら、オレも見たことがある。ライブに行ったこともあるし、実は喋ったこともある。本物は《札幌(サッポロ)》の音楽企業に所属する、超高級の高度AIで、ネットにも出現すれば、無数の義体(ボディ)も所有し、ファンや曲製作者ひとりひとりと喋ることができるくらいの電脳処理能力を持ってる。オレが喋った感想は、その本物の『初音ミク』はひどく人間離れ、俗離れしていて、何かどこかが人間には理解できない、とかだった。
 ここにいるヤツは、全然違う。何もかも違うが、まず体つきが違う。本物の『初音ミク』、よくイメージがネット内映像とかライブのホログラムとかで出るやつは、ほっそりして清純で、ほとんど性的なアピールを感じさせないってのだが、――ヤツは、はっきり言ってカラダが相当いやらしい。たぶん、肉の質量そのものは大差がないんだろうが、同じように細い腕や腰や足首とのめりはり、胸の突き出し方の曲線や、腰から下の肉のつき方にむっちりとした厚みがある。体つきも違うが、何より一番違うのは、頭が”真っピンク”だってことだ。勿論、特に頭の中身が。清純とか控えめとか儚さとかは無縁、俗離れどころか俗悪そのもの。なんでそんなヤツが、オレと一緒にこんな所に住んでるのかと言や、それは話が長くなりすぎるから──ここの作者の未完三大長編の一、とかいうやつらしい──とりあえず置いておく。
「ねーーえっ」
 ヤツがさらに腕を深く回して、カラダを密着させる。やわらかい感触が背中に当たる。困ったことに、こういうのはヤツにはよくあることだ。
「くっつくなって……って、おまい」突如、オレは気づいて言葉を切る。いつもと違うのは、その当たる胸の感触が何か、やけにこう、生々しい。
 オレは振り向いた。首に回ってるヤツの両手首を軽く掴んで、両腕を上げた状態の姿を、まじまじと見る。例の形よく突き出した胸の曲線が、そのボリュームに沿ってシャツの下にくっきりしていて、おまけに、薄手のTシャツの生地の下に、突起が浮かんでる。無意識にさらに下の方、シャツの裾の方に目を落とそうとして、すぐに気づいて、目をそらした。あんまり慌てたから、ぐきっとオレの首が鳴った。
「何をそんなにうろたえてんのぉ?」その首の音が聞こえでもしたように、オレに手をつかまれたまま、ヤツはその体を反らして言った。
「おまい……その下、まさか」オレは手を離して、目をそらした。
「まさか、なぁに?」ヤツはシャツの裾をつまんで、持ち上げかけた。「この下?」
「てか、着けろよ! 穿けよ!」オレはさらに顔をそらす。そうしながら、オレの頭のどっかは、Tシャツの丈を思い出そうとしている。それほど大きなサイズじゃなかったハズだ。今、裾を少し持ち上げたら──あと、今、立ち上がったら、いったいカラダのどこらへんまで隠れるんだ?
「なんでー? 私達、そんなの要らないじゃない」ヤツは長い髪を両手でかきあげて言う。腕を上げて胸を反らせて、Tシャツの下に何も着てないそのカラダを強調するように、──ってのは、たぶんこっちの考えすぎだが。
 ヤツはこう見えても、アンドロイドとしてはかなり高級品で、たぶん部分的にはオレ自身の義体よりも高級なボディじゃないかと思う。……で、アンドロイドなり、義体のたいがいは、生命維持のための体の新陳代謝が無く、肌から老廃物は出ないから、理屈としては『下着を着用する必要がない』ってのは、本当だ。
「それに、この格好もアナタとふたりきりだからなのっ」掴んでいる腕をからめてくる。足を床の上を動かして、裾がめくれる。むっちりした太股の、そのTシャツに隠れた奥が見えかけたみたいな気がする。
「けど、おまい、……郵便屋さんとか宅配便とか国営放送受信料取立てとかあと若妻の昼間を狙って現れるお米屋さんとか酒屋さんとか来たら、おまい」
「そんなの来ないじゃないー」オレの動転した台詞をさえぎって、ヤツはのんびり言う。この廃墟アパートは、環境建築物(アーコロジー)が原型だったおかげで、ネットワーク環境はすこぶる良く、その手の配送物、ネット通販なんかも全自動で配送されてくる。その手の訪問者が来る必要は基本的にはない。
「だって……それに、どのみち、もう替えが無いんだもん」ヤツは、それでも不機嫌なままのオレに対してふくれたように、両手をフローリングの床について言う。
 なんで下着の替えが尽きるまで黙って放ってるんだよ、と思ったが、ヤツが今言ったみたいに、オレと一緒なだけなら下着なんてたいして必要ないとか、本当に思ってるのか、それよりはむしろありそうなのは、ヤツが生活を何もかもオレ任せ、オレにねだるままにしてるせいで、何も考えてなかったせいだろう。その手の『初音ミク』の類似品には、家事用ロボットの姿のやつだったり、別の用途のアンドロイドでも家事機能がついてたりすることもあるんだが、このヤツにはそんな機能はない。ヤツがこの共同生活でやることは、何もせずにオレにねだるだけだ。
 だが、それにしたって、他の生活用品ならともかく、年頃の女の子(に少なくとも設定年齢上は見えるヤツ)が、着るもの、まして下着さえ自分じゃ頓着しないなんて、普通は思わないだろう?
 ……ともかく、オレは今まで見ていた日立(ヒタチ)のモニタを睨んだ。今映し出されている生活雑貨よりも、もちろんオレやヤツの物欲の対象の何やらよりも、何よりも最優先でソレを買わなけりゃならないぞ。



「よし、出かけるぞ。支度しろ」オレはモニタの電源だけ切って、立ち上がった。
「出かける!? 何に!? どこへ!?」いつも退屈そうなヤツの顔が、こういうときはぱっと明るくなる。
「そりゃ、買いに行くんだっつの。おまいの……なんだ……ソレを、下着をな」
「買ってくれるの!? やった!」
「ただし、その予算のかわりに、しばらく切り詰めるしかねェ」オレは銭入れから三菱銀行与信素子(ミツバン・クレディット・チップ)を引き出して見つめ、ため息をつく。「向こう何週間か、飯は合成多糖(アミロース)にオキアミタンパク合成食品だぞ」
「え〜〜〜〜!?」
「おまいのためだっつの」せめてもう少し前から、下着が尽きたことがわかっていれば、もう少しは予算のやりくりのしようがあったんだろうが。
「早く着替えて来いよ。……おい、ちょっと待て、ここで脱ぐな、やめろ」オレはばちんと指で目を覆った。
「……脱がないってばぁ」ヤツは途中までTシャツをたくし上げていた手を離した。ばさっとシャツが下に落ち、ぎりぎりまで見えかけていた腰周りをまた覆った。「アレ? もしかして、ホントに目の前で脱ぐと思った?」
「はよいけ」オレは部屋の出口、別の小部屋の扉を指差した。
「なに着てこうかなー……でも」が、そこでヤツは両手を頬に当てた。言ううちにも、顔がだんだん赤くなってきている。「いくらアナタに言われたからって、下着なしで外に出かけるなんて……刺激が強すぎるよぉ……」
 ……オレはその言葉に、硬直してヤツのその顔を見返した。今の一連の光景さえも忘れて、しばらくその場で黙り込んだ。
「……ちょっとまて、オイ、これから着てく分の下着さえ……ひょっとして一枚もねーのかよ!?」
「ホントにもう替えがないんだから……」ヤツは頬を赤らめたまま、胸を押さえ、もう片方の手でTシャツの裾を、前を隠すように引っ張る。その仕草で薄手のシャツが、その下にはっきりした身体の曲線をあらわにする。「でもなければ、いくらアナタの前だって、こんな格好するわけないじゃない……」
「うそこけ」オレは数分前までヤツが嬉々としてやっていたことを思い出して言った。
 それはともかくだ。一体ヤツをどうやって外出させりゃいい。
「どうもこうもねェ。……よし、オレのをどれか穿いて出かけろ!」
「アナタのを!? 男物を!? 穿いて外出!?」ヤツは両手を頬に当てて、目を見張った。「なにそのヘンタイプレイ!」
「おまいの露出外出の発想の方がよっぽどヘンタ……いや……どっちにせよ……駄目だそりゃ」オレは頭を抱えた。
 どうする。これじゃヤツと外出さえできない。下着が無いのにそれを買いに行くことさえできないぞ。
 せめてもう少し前、一枚もなくなるより前に気づいてりゃ、もうちょっとはマシだったんだ。さっきの三銀素子(ミツバン・チップ)へのため息と一緒の後悔が、今度はさらにふくれ上がる。ヤツの身の回りに、もっとオレが気を配ってやってりゃあ──
 ──いや、ヤツにかまってたらきりがない。ただでさえ普段からまとわりつかれて、オレの理性を保つのもそう楽じゃないんだ。なのにどうやってその中から、そんな常人の発想じゃ予想もできないことにまで気を配れっていうんだよ?



(続)