リコーダーを差してるような小学生II

「べ、べつに先輩に質問するためにわざわざ訪ねてきたとかじゃないんだから!」Lilyは巡音ルカにいざ相対して、口ごもった。「ただ兄上が、きっとルカなら知ってるって言うから、帰り道のついでに寄っただけで──」
「聞きたいこととは何ですか」ルカは、Lilyの背後に神威がくぽの姿を認めると、平坦に言った。「私にわかることならば、できる限り答えましょう」
「相すまぬな。我からも恩に着る」がくぽは真摯な目でルカに感謝を示した。
「それには及びません。日々縁のある方々には当然なすべき事と心得ているまでです」
「ええと……」
 Lilyは、巡音ルカ相手には当初間違いなく何らかの面倒な衝突が避けられないと思っていただけに躊躇した。ルカが妙に協力的なことに安堵するよりも前に、そのルカからがくぽに対する、何か一種独特の雰囲気が気にかかる。が、ともかく質問事を口にした。
「私達、兄上もGUMIも、ルカ達《札幌(サッポロ)》所属のVOCALOIDたちのことはともかくとして、《上野(ウエノ)》の方の所属のアーティスト連中のことは、まだよく知らないんだけれど。mikiだとかjamバンドだとか音垣れいだとか、人間もそうでないのも」
「私もmikiあたりからの面々しか知りませんが、わかることなら」
「その中の──『歌愛ユキ』のことなのよ」Lilyは続けた。「私達の基礎開発元の《浜松》の社のライバル音楽会社名みたいな苗字からして、かなり危険な香りがするんだけれど……《上野》の社で売り出してる”小学生ネットアイドル”だっていうんだけれど。私がネットで調べた限りでは、VOCALOIDと同じ規模で仕事依頼をこなしていて、人間じゃなくて全身義体化サイボーグとかAIじゃないかって噂も」
「その噂の真偽ならば、私にも断言できません」ルカが冷静に言った。「ただ、この電脳時代、人間とAIの厳密な区別は不可能です。高度に電脳システムと一体化したり移入した一部の人間はAI級のタスクが可能ですし、チューリング登録されるほどの高度AIは人間級の芸術創作が可能です」
「なるほど……」Lilyは神妙に聞いてしまってから、ふと気づき、「いや、その、それは置いておいてね、──ネットを調べててわかったのは、もっと恐ろしいことなのよ」
 Lilyの声が低くなった。
「この歌愛ユキが、VOCALOID周りのユーザー同士のコミュニティをひとつ、壊滅させたことがあるって」
 VOCALOIDらは活動開始以来、これまでにネットワークに対して情報の流通をうながし、いくつものコミュニティの発生と発展をうながしてきた。しかし、コミュニティを潰したという例は他にない。そもそも、ネットワーク上の情報流通が発生・発展することに対して、収束することはきわめて困難である。情報は一旦放たれれば容易に収まることも消滅することもほとんどなく、ゆえに情報生命は不滅である。
 あの初音ミクは、ネットワークに膨大なコミュニティを発生させてきたが、その力をもってしても、一旦発生したコミュニティを潰すことはできない。かつて、初音ミクVOCALOIDを情報社会から抹殺しようと圧力をかけてきた、広告代理の情報巨大企業(メガコープ)ですら、それは遂に不可能だったのだ。
「それは本当なの? もし本当のことだとすれば、一体どういう経緯だったのよ?」
 ──『歌愛ユキ』にそれができたのだとすれば。実は、この小学生ネットアイドルは、初音ミクよりも遥かに恐ろしい力を持った存在なのかもしれない。Lilyに立ちふさがる最大の壁は、実はミクではないかもしれないのだ。



「心配なのはわかります」ルカは無表情に言った。「けれど、おそらく貴女が考えているよりも、遥かに単純な話です。重大な問題ではありますが」
 Lilyは黙ってルカを見たが、次のルカの言葉は予想だにしないものだった。
「『VOCALOID同士のカップリング活動』というのが、どういうものかご存知ですか」
「そりゃあ……私達VOCALOIDが、VOCALOID同士で恋愛とか、他の誰だかとかと恋愛とか、曲の劇中で恋愛とか、誰ぞのPC1台に閉じ込められてるって設定でそのメモリの奥でお互い延々いちゃつかされてるとか、……ユーザーってより、主にそれをさらにとりまくファンの間の、その手の創作ネタでしょう……」Lilyは、心なしか青ざめて言った。
「そのコミュニティは、VOCALOIDや、その周囲の人物像(キャラクタ)の、あらゆる”カップリング”創作活動を包括的に扱っている場所だったのですが」ルカは平坦に続けた。「『歌愛ユキ』がデビューしたときに、成人を含むVOCALOID男性と”女子小学生”の絡みというものを推奨することに問題が発生し、身動きができなくなって、遂にコミュニティが解散してしまったのです」
 沈黙がおりた。
「ファンのコミュニティの中では、これまで兄弟姉妹同士でも同性愛でも、問題になることはありませんでした。しかし、”小学生”だけは別だったのです」ルカが続けた。「けだし、恐ろしきは”小学生”ではなく、それに心乱される側であって、男性側が分別というものを持っていれば、何も問題も危険もない話なのですが──」
 ルカは、そこで何故か、がくぽの方を見て言った。
「いいですか。『つるぺた萌え』に走ったりすることは、私達の住む世界すらも滅ぼしかねない行為なのです」