デメリットシャンプー


 鏡音リンが浴槽から上がり、洗い場に近づくと、つい先日までは見慣れなかった、数リットルあるとおぼしき、エメラルドグリーンのプラスチック製のボトルが、ひときわ目をひいた。この量と色のイメージから何となく、しかしどこか確信をもって、すぐ上の”姉”、初音ミクのものだろうと、リンは思った。いまさらながら、あの身体そのもののボリュームを遥かにしのぐ(下手すると重量もしのぐようにも見える)ミクの髪を思い出しつつ考えた。あの髪の量からして、このボトルから、一回洗うごとにどれだけの量を使うものやら。
 リンは手を止めたまま、そのボトルを見つめ続けた。これは合成洗髪料の一種らしいが、合成石鹸の類の、ことによく見られるけばけばしい色彩のものは、(実際はたいして根拠がないことも多いものの)ネット上での評判でも、たえず生理的な拒否感の声が聞かれるところである。その上、ミクがあの髪に大量に使うとなると──ミクの、世でのどこか無機質合成的イメージには合致しない部分がないでもないのだが、あの大量の髪に、大量に漬け込み、大量に洗いだれ流すイメージには、リンは想像してみるだけで、口の中に薬剤の味が広がっていくような気がした。
 うんざりしてボトルから目を離し、自分の体を洗おうとしたところで、リンは不意に気づいたことがあって、ふたたび目を戻した。
 リンは、半ば怖いもの見たさで、ボトルの中身を手に少し出してみた。どろりとした、青緑色のシャンプーの液体が、掌にこぼれた。
 この色、ボトルの色も、シャンプーの液体そのものの色も、──ミクの髪の色にそっくりだ。
「……いや、そんな」いくら合成洗髪料が身体に、髪に、さまざまな”影響”を及ぼすのではないかとか、巷で噂されているとしても。「……まさかとは思うけど」
「なにが?」
 リンは思わずとびあがって、背後を振り返った。
「湯冷めするわよ……」ミクはいつ風呂に入ってきたのか、背後からリンを覗き込んだ。
 リンは背後のミクの、体の線──に今回ばかりは目をとめることはなく、その下ろした髪のボリュームと色合いをまじまじと眺め、シャンプーのボトルの色と、ちらちらと見比べた。
「大きいボトルが売ってるのを見つけたの……」ミクは、そのリンの視線、特にボトルの方を見るのを勘違いしたのか、「これで、もう気にせずに、たくさん使って洗えるから。……だいぶ余裕があるから、リンもこれからはそのシャンプーを使ったら?」
「いや、その」リンは口ごもり、「今まで使い慣れてたのが別にあるし、その、合成洗髪料には、ええと理由は特にないんだけど、ちょっと抵抗があるっていうか」
「安全だと思うけど……」ミクは美しい首から肩の線をあらわして、こくりと首をかしげて言った。「ええと、GUMIもSONiKAも、ナナもFL-chanも、これ使ってるって」
 即座に、鏡音リンのAIの電脳、硬電脳の副記憶領域に、いま名前が挙げられた面々の姿のサムネールがぱらぱらとデッキから抜き出されたカードのように抽出され、彼女らの”髪の色”がクローズアップされて一列に並んだ。
「……決定的だこりゃ」リンはうめいた。