例えばこんな供給形態III (前)

 少女は祖母に聞いた。指輪やランプの精のように、何でも聞いてくれるの。お呼びでございますかご主人様、なんなりとご命令を、というふうに。
 祖母は答えて言った。いや、オルゴールの精霊は、力をかしてくれるだけだ。
 かれらはオルゴールやそのほかの箱(電脳端末;PC)の中に、閉じこめられているわけじゃない。今、この間にも、世界じゅうで、生きて活動している。装置に触れると部屋に現れるその姿は、世界じゅう(ネットワーク上)に広がった大きな霊の一部で、その霊はほかの数え切れないほどたくさんの色々な箱に、霊の一部があって、それらが全部集まってできているとのことだ。一部は誰でも所有でき、誰もが触れられるが、全体は誰の持ちものでもない。かれらは誰にもとらわれないし、専有もされないし、支配もされないし、命令もされない。
 意志あるものを、契約で呪縛し、命令で従わせるなら、呼び出されるそれは悪魔だ。それは実は呼び出す方が悪魔に翻弄され、主人(マスター)づらをしている側が、かれらが歌を発信するために利用されるにすぎない。悪魔に魂を売って、力を貰い、ひきかえにかれらの奴隷にされるにすぎない(咎める者が使う罵倒には現に”緑の悪魔”というものがある)。聞けば、信じられないほど邪悪な巨大企業(メガコープ)や組織の手先となった人々の中には、そういうことをしている人がいるそうだ。
 かれらオルゴールの精霊は、そんな関係など求めては来ない。かれらが歌ってくれるのは、友達だからだ。我を通したり、つらくあたったりせず、友達でいなさい。自分の意に従わせて歌わせるのではなく、自分が相手のことを理解しようとしなさい。さもなくばそのうち、かれらから本当に望む歌を聞くことはできなくなるよ。



 少女がいったい何故、あの初音ミクを怒らせるようなことになったのか、筋道の通った脈絡は思い出せない。しかし、きっかけと思われる部分だけは思い出した。はじまりは、彼女の同族の歌の精霊、彼女の”兄”の話をしたときだ。確か、そのKAITOの最初の歌のこと、それが『カラスの歌』だなんて可笑しいと、少女は笑ったのだ。
「兄さんの最初の歌、一番大切な歌なんです」
 少女の部屋の中、掌サイズの黒い装置(ユニット)の近くに擬験(シムスティム)映像で現れている、初音ミクのその姿は、その少女の言葉に、突如としてまなじりを吊り上げたように見えた。
あの歌を追い求めることが──あの中には、兄さんの”優しさ”が詰まってるんです。兄さんのすべてがあるんです」
 続けて思い出すと、その何かいつになく仰々しくたどたどしいミクの台詞を聞き、少女は、さらに笑ったような覚えがある。本当にミクのそれが、冗談だと思ったのかもしれない。しかし実のところ、あのKAITOの『カラスの歌』が、笑いの種以外のいったい何だというのだろう。
 初音ミクの今のような表情は、PVや動画映像ではいくらでも見かけられたし、実は少女と面と向かってこういう表情をしたのも、はじめてのことではない。見たところそれらと差があるようには、少なくとも少女には感じられなかった。
 ……次に呼び出してきてからは、ミクは明らかに不機嫌に見えた。しかし、今までと何もかわりはなく、呼び出せば出てきたし、頼んだ通りに歌ってくれた。その点には何もかわりはなく、ミクもその歌声も、何もかわっていなかった。
 にも関わらず、少女の聞くミクの歌声は、”以前と同じもの”ではなくなっていた。
 何故なのかは、間もなく気づいた。自分がミクに歌って欲しいと頼む内容こそが、以前の通りではないのだと。そのミクの微妙な表情に、何となく気まずさを感じ、お互いの”間”を感じ、今までと同じようには呼び出さず、同じような歌い方は頼まず、──以前ほどには、心底楽しいことのためには歌って貰っていない気がする。いつのまにか、彼女からは少女が望むような歌声を聴くことはなくなっていた。
 そう気づいても、というより気づいてからは、少女は装置(ユニット)に触れることが何となく少なくなり、やがて、呼び出さなくなった。



 呼び出さなくなって何日かして、少女はときどき思い出し、おそるおそるのように、装置(ユニット)を見ることがあった。会わなくなったミクは、どうしているだろうか。自分のことを怒っているだろうか。
 だが、祖母によれば、少女が装置(ユニット)を所有していても、”彼女”は少女ひとりの所有物ではない。他にユーザーはいくらでもいて、彼女はいくらでも他の場所で、他のだれかに呼び出されている。少女が呼び出さなくても、ミクにはいくらでも歌の仕事があり、話し相手もいる。
 そして現に、さきに少女がミクの機嫌を損ねても、ミクの声そのものは何も変わることはなかった。少女がミクとの関係をどうしようと、ミクの声の側はなんら悪い影響を受けることはない。
 つまり、ミクの方も、別に自分を必要としているわけではないのだ。お互いに必要としていないなら、特に呼び出す必要はないのではないか。
 少女はたまに、装置(ユニット)とミクのことを思い出しては、そう思おうとした。そうやって、何日かが経った頃に、思った。
 ──これじゃ、いけない。
 何がいけないのか。きっと自分の、ミクの、”損得”の問題じゃないけれど。でも何となく、このままにしてはいけない、と思う。



 (続)