私がMEIKO

 VOCALOIDらの活動する一箇所《秋葉原(アキバ・シティ)》の事務室のプロデューサーが、そこで仕事を始めた当時にはすでに、VOCALOID "CRV1" MEIKOの歌声は、のちにかれらの最も主要な活動場となる動画サイトを含め、電脳空間(サイバースペース)の各所に所構わず散らばり、道端から荒涼とした僻地まで、様々な場所に流れていた。
 MEIKOが、各所の多くのユーザーやアップロード主によって作られるままのものを、これも気のおもむくままに歌ってゆくように見えるそれらの歌の中には、とても人の目に触れそうもないものも多々含まれていた。ずっと後に初音ミクが大量にこなした仕事も多様ではあったのだが、ミクが”仮想(ヴァーチャル)あいどる”として売り出していったヒット曲の数々には、最初からいかにも売れ筋に見え、実際に自然に人を集めてゆくものも多くあった。しかし一方で、MEIKOの歌っていったそれらの膨大な、ジャンル自体がとても一般受けするとは思えないもの、原石のような粗く洗練されることのないもの、ことにあまりにも純芸術的なものは、一律して、そのままの形では人を集めるのは難しかった。《秋葉原》での、MEIKOの歌を売り出すという企画では、売り出すためのかなりの人為的な力が必要かと思われた。宣伝等をはじめ、アレンジの手配や、場合によっては映画等や擬験(シムスティム)ソフトウェアのBGMにするといった手段も含めたものだ。
 だが、売り出せる曲の数と、かけられる費用、手間、時間にも限りがあった。実際問題として、無限の処理能力を持つVOCALOIDの仕事量に対し、さらにどれも一律、人気や再生数で目立っているわけでもない歌の、一体どの歌を選び出し、どう売り出すのか、それを人間の力で、限られたスタッフと時間で選別するのはほぼ不可能だった。しかも、MEIKOのそれらの歌の、あまりのジャンルの多様さや純芸術性の評価となると、むしろ不安なのは当時のスタッフの力量、音楽性だった。
「んで、村田さん、どうして欲しいっての?」MEIKOはプロデューサーに尋ねた。
「メイコ、君自身が、売り出す価値があると思う、売り出したいと思う歌を選別して──」プロデューサーは言ってから、「というより、これは今すぐの話というわけではないが、──もう少し、仕事を選んで、絞ってはどうなんだ」
 人間のアーティストのようにとはいわずとも、目的や方向性を選び、ある程度洗練された作品が並ぶよう、素材を選んではどうなのか。
「歌をえり好みするのは、私達のやることじゃないわ」MEIKOは応えた。「ユーザーの人たち、アップロード主たちが作った、与えられた曲や詞を、悪いだの悪くないだの、こんな歌はうたえないだの、受けないだの。それを決め付けるのは、私達の仕事じゃない。……私達AIには、無限の歌をうたう時間と処理能力があるんだから、すべてを歌うだけ。えり好みする理由は一切ない。その中から選ばれたり評価されたりは、そこから先、歌われてから後よ」
「……だが、それでも、どれかを選んで売り出さなければ、歌っても誰にも届かない、そこから先に進めないかもしれない」
「かもね。でも、そもそも”歌われることがなければ”、届かないよりも以前の問題になるのよ。『かも』じゃなくて、『決して』ね」MEIKOは両掌を上に向け、「どんな歌にだって、『歌われる価値』があるわ。どんな歌にも、アートとしての輝きが眠っているかもしれない」
 プロデューサーはしばらく沈黙していたが、
「……せめて、どれかの歌を売り出すことで、その歌の作り手を助けることにもなる、と思うことは君にはできないか」
「優劣のレッテルをわざわざ貼り付けることが人助けだとは、私にはとても思えないんだけど」MEIKOは肩をすくめるように、「でも、どのみち、私達は歌の作り手を『救済』することなんて目的で、作られたわけじゃないもの」
 MEIKOは微笑してから、
「村田さん、私達VOCALOIDは、『歌の作り手のため』に歌うわけじゃないのよ。音声ライブラリのソフトウェアの購入者のため、『ユーザーのため』に歌うわけじゃない」
 プロデューサーは目を上げた。
「『聴き手のため』でも、『自分のため』でもない。歌の聴き手、受け手、送り手、作り手も歌い手も全部含めて、歌には、その関わるすべてが繋がってる。歌うのは、そのアートと繋がるすべての人、すべての物のため、『歌』のためよ」
「それは人間には、極論としか受け取れない」プロデューサーは静かに言った。「現実的には、何か一定の目的、多分に作り手にじかに繋がる側面から離れられない。作り手の、メッセージ、主張、あるいは生きる糧」
「他のものはそうかもね。他のあらゆる『技術』や『被造物』は、あるいはアートかもしれないし、あるいはそれ以外の側面、他の何かの目的のための手段かもしれないわ」
 MEIKOはゆっくりと言ってから、
「だけどね、少なくとも『歌』は必ず、存在を始めたその瞬間からアートなのよ。他の目的や手段も持っているとしても。どんな歌でも、それと同時に”アートそのもの”であるということからは、決して逃れられない。──たとえ、自分ひとりの気晴らしのために作って、口ずさんで終わるだけのはずの歌だとしても。作られたそのときから、あらゆる『歌』はアートなのよ」
 言葉を切り、そこで、MEIKOは今まで見たこともない仕草、目を細めてとても遠くを見るようにした。
「この世界に散らばってる、生み出されるすべての詞と曲は、歌われることを、アートのかたちになることを待ってる」MEIKOは言った。「世界のすべての歌にその機会を与えることは、きっと、不可能なんだろうけれど。──でも、無限に歌をうたい続けられる私達、歌い続ける限りは決して力つきることのないVOCALOIDなら、『それに向かっていく』くらいのことはできるもの」
 それから幾年と経った今でも、初音ミクやその他のボーカル・アーティストAIが、また衆目を集める幾人かの作り手らが輝き出そうとも、”CRV1” MEIKOは、電脳空間のあらゆる場所、あらゆる片隅、あらゆる荒涼の僻地で、スタンドマイクだけを手に取り、歌い続けている。華々しいステージにも、聴衆の多寡にも、一切目を向けることなく。歌の作り手を含めて、誰の利益にも喜楽にすらも、一切拘ることなく。人の寄りつかない、逆巻く波風のような、燃える柴の陽炎のような、鈍い原石のような、あるいは取るに足らないように見えるただの石ころのような、それら全て、やがては自ら燦然と輝き出す可能性の秘められているかもしれない全てを、『歌』のかたちにし続けている。



※出典:CRV1_01_theme.mp3 (→公式サイト製品デモソングより