ガチャという言葉


 ネットのゲームでガチャを回す(それで出てくるのが「人間」だとかの場合がある)という言葉がはたして相応なのかについて問題にした人がいたそうな。「ガチャ」という言葉のわかりやすさ故に選択されているというのですがこれほんとにそんなにわかりやすいのでしょうか。
 近所のインガルス姉妹の妹が、当時のSDガンダムの愉快なCM(カプセルから生まれし戦士たち・その数百数十体とかあったね)を見たらしく、なぜか一度やってみたいと言われてガチャポンを回しに行ったことがありました。管理者はクラスのガノタ友人に相談に行き、さっそく3人で回しに行ったのですが、3人とも出てきたのは「ザク(今はザクIIとか言いますが当時は単に量産型ザクです、MS-06F)」と「ザクIII(ZZに出るやつね、試作ゲルググじゃなくて)」の2個入りのカプセルでした。ガノタはこの台にはザクとザクIIIしか入ってないんじゃないかとぼやきました(ありえない話ですが、この北の果ての田舎では品揃えというものに万事都会と違う何が起こるかわからないというのもまた通例です)。
 何かつまらなそうなインガルス妹(きっと三人三様、百数十体の戦士のうちいろんなものが出てくると期待していたのでしょう)に対して、帰りに3人でガノタの家に寄ると、ガノタはインガルス妹のザクの方を、ネェルアーガマというえらくレアな存在(この消しゴム自体はレアアイテムというわけではない)に交換してくれました。といっても一般の人々にとって、戦艦などの非MSのしかもSD化された消しゴムなどは、説明されてもなんだかわからないような謎のオブジェクトですし(ここの何枚目かに画像有)おまけにガノタの手元にはさらにザクが増えたので誰が得をしたのか謎ですが、ともかくも精一杯の心遣いをしようとするこのガノタの姿にはこちらが感銘を覚えることしきりでした。
 さて、その後自宅に帰ったインガルス妹は、両親(以前にも書きましたが、こちらはインガルス夫妻風ではなく、漱石のくしゃみ先生風の学者と旧家の貴婦人)に猛烈な剣幕で叱られたそうです。成績が悪くとも生傷をこさえても(妹の方にはいずれもよくあることでした)もちろん叱られましたが、両親が自分の方にここまで火が出るほど怒ったのを一度も見たことがなかったと言っていました。
 両親を怒らせたのは、手元にあるザクIIIでもネェルアーガマでもなく、「ガチャを回した」というその点にありました。お金の使い方には非常に厳格な両親だったというのですが、100円かそこら(200円だっけ、当時の値段は覚えてない)を投入したということでもなく、投入したのが「ガチャ」という機器・手段だったことそれ自体にありました。インガルス妹の語ったことを断片的につなぎあわせると、彼女らのこの両親は「購入する対象が何なのか不定のものに現金を投入する」「得られるものが確定していないのに対価を払う」ことに対して、おそらくは賭博めいたものと見る拒否の倫理観、多分に生理的嫌悪感を抱いていたのではないかと、今となっては考えられます。
 子供がガチャで「散財」したという話はこのガチャポン当時からあり、それでも当時はおそらく常識的な金額でしたが、昨今ネットで非常識な金額をこちらは文字通りに散財した話を聞くたびに、近所の両親の倫理観の話をいつも思い出します