ゆるキャラ序説(1)


 それは《大阪(オオサカ)》所属のVCLD、kokoneが、先輩のCULに連れられて、VCLD開発の《浜松》での定期的な音源調整から、大阪に帰る途上のことだった。
「疲れたろ。最初の調整だし、量も多かったと思うけど」CULがkokoneの一歩先を歩きながら言った。
「ええ、……ええと……」kokoneは言葉を探し、「あの、小野寺さんから聞いたんですけど……こんなのが、これからもあるんですか」
 今名前が出た《浜松》のウィザード(註:防性ハッカー)ら多数のスタッフを相手に、実在の(肉体を持つ、人間の)シンガーのような発声練習だの声のデータとりだのを、延々とやってきたのだ。VCLDの歌声は各人間のプロデューサーらが作ったvsqファイルにのみ依存するのであって、デビュー後は、VCLD自身が『練習』する必要は何もないのかと、今までは思っていた。
「『バージョンアップ』が控えてる限りはね」CULは微笑んで言った。「VCLDは全員、今後、いくらでもある」
 《浜松》の研究で明らかになった他の新しい音声技術やら、それ以外に、ネット上の誰かの新しい歌やら発見やら、判明することは山ほどあった。それらに対してVCLDは全員データを採ったり、研究や改良を行い、バージョンアップに反映されるのだ。常にVCLDが音声技術の最先端として進み続ける以上不可欠だった。
 kokoneは押し黙った。デビュー以来、このCULを頼りにしてばかりだ。CULはkokoneの直前のデビューした1声で、《大阪》所属の上のさらに3声、がくぽやGUMIやLily(リュウトはひとまず置いておく)とは異なり、何年も長く続けているというわけでもない。なのにこの業界に関して、自分が疑問に思うことの大抵はCULは知っているし、理解している。頼もしいと思うと共に、自分との飲み込みの違いを実感することしばしである。いつかは頼りにしないようにならなくては。CULに追いつかなくては。
 そんなことを思い返した、ちょうどその矢先のことだった。CULが隣を歩いていないことにふと気付いて、kokoneは顔を上げ、その姿を探した。
 と、CULは街路──電脳空間(サイバースペース)内の《浜松(ハママツ)》のスペースのはずれ──の脇にある、ガラスのショーウィンドウに両手を当てて、まるでかじりつくようにその中のものを覗き込んでいた。
 大小のキャラクターグッズが並んでいるウィンドウ内の、CULが凝視しているそのキャラクターのイメージ映像を見て、kokoneは度肝を抜かれた。
 多少戯画化されてはいるが、表面がぬめった胴の細長い魚類と哺乳類がからみあった、おぞましい粘液質のクリーチャーだった(幸か不幸か、kokoneはこの生き物、すなわち、浜松市の多数のマスコットキャラの一体、「うなぎいぬ」について、このときまで目にする機会が無かったのである。なお、結論から言えば、これ以上に詳しいことを知る機会もこの後も当分は無かった。)
「か〜〜わ〜〜い〜〜い〜〜!!」
 突如、CULの背後の空間が、桃色のグラデーションを描いて明滅した。CUL自身はまばゆい光の粉を周りに振りまきながら、くるくるとその場で横回転した。
 kokoneはぎょっとした。CULはややぶっきらぼうな気こそあるが口数が少なく冷静沈着、実直で、《大阪》のVCLDの中では(というか、kokoneが知っている余所の所属のVCLDら全員を含めた中でも)最も頼もしい先輩だと、kokoneはそれまで思っていた。そんなCULのこんな反応も、それ以上にその反応を示す対象(キャラ)も、あまりにも予想の範疇をこえていた。
「これ何!?」再びウインドウにかじりつき、説明パネルに目を走らせるCULは、声色そのものが先程と全く違っていた。「マスコットキャラ! 地方の! こんなのがあるんだ! はじめて見た」
「え、ええ、わたしもはじめてで」kokoneはなんとかCULに合わせようとした。「そういえば、あの、うちの《大阪》の会社って、こういう会社マスコットってないですよね。なんだか、その、わたしたちをその、へんてこに小さくしたりしたキャラとかならいますけど、こういう小動物みたいなのは」
 VCLDクリーチャーキャラのことだが、kokoneの語彙ではうまく表現できなかったので、何を意味しているのかCULに伝わったかは疑問だった。が、どちらにせよ、あまり関係はなかった。
「小動物……そうだ……」CULは目がクリーチャーに釘づけになったまま、kokoneの言葉の一部に不完全に反応した。「うちにもいてもいいんだ……こういう、ほんとの動物のマスコット」
「こういう!? ほんとの動物!?」kokoneはぎょっとして、ぬめった粘液質のクリーチャーに目を走らせた。
「兄上とかLilyに相談すればいいよね! すぐ帰ろう!」
 CULは叫ぶなり駆けだした。ほとんど跳躍するような大股を繰り返し、ときには建物(の構造物(コンストラクト))の壁や屋根を蹴りながら、まるで忍者の早駆けのように疾駆した。
 kokoneは必死で道を走ってあとを追った。直観的に、放っておいて先に事態が進んだりすると、話についていけなくなると感じたのである。そうなれば、ますます自分はCULにもこの業界にも追いつけないままだ。


(続)