至福の時


 読み始め


 うもー!
 ドラゴンランスは自分の中のRPG風FTの出発点です。これ以前に触れたものはゲームブックとかPC(8ビット機ね)のRPGとかいくらでもあるし(というか自分は新和D&D赤箱〜青箱の方がこれより先だったのですが)これ以後にもっと大きな影響を受けたもの(LotRとかムアコックとかライバーとかヴァンスとかゼラズニイとか。LotRでなく『ロード』とか略す人はお引き取りくだしあ)などいくらでもあるのですが、これに触れた時に自分がアームストロングが月に降りたときのような一歩を踏み出した、というのは動きません。


 ドラゴンランス(『戦記』『伝説』の旧シリーズ含め)は、洗練された傑作ではありませんし、完成度が高い作品とすら到底言えません。行動理念に問題のある人物らをつぶさに表現するばかりにちぐはぐな脚本は、欠陥があるというより欠点しかないようなもの。後からこれを読んだ人が魅力をさっぱり理解できなかったという話はいくらでも聞くし、正直、魅力を説明しろと言われれば途方に暮れる他にない。
 しかし、一定世代が、ガンダムシリーズの続編戦略や理不尽な展開にぶつくさと言いながらも離れられないように、一定世代にとってドラゴンランスはすでに血肉となっており、捨て去ることは決してできないものなのです。
 (以下、北米でドラゴンランスが一定世代でのガンダムのように普及している、というためもあって、ガンダムを用いた例えが頻出しますが悪しからず)


 『伝説』以後の時代の続編とか、他作者の外伝とかも悪くはなかったのですが、『サマフレ』『魂の戦争』は、あの頃の時代(『戦記』『伝説』の黄金時代)はもう戻って来ない、と常に感じながら読んでいる部分がどこかにありました。ガンダムの派生作品が何度も1stと一年戦争にばかり戻ることは糾弾の声もありますが(ブログ主は前も述べたように1st世代からは数年ずれており、Z世代にも直撃とは言えません)どうしても1stにばかり戻りたがる1st世代の心境は今になってわかる気がします。この『秘史』は、『戦記』等時代の抜けていたエピソードを原作者が『戦記』から22年を経て描き、あの時代に戻ってきたと実感させる筆致は至福。
 この第一作は『戦記』2巻と3巻の間にあったトルバルディン探索行を題材としているもので、原作3巻の頭で簡単に触れられているだけでした。『戦記』を読んでいた当時の先輩らが、和訳は原文をさらに端折ることまで行っていると言って、訳を担当していた関西の某ゲーム集団(当時はろどーす島戦記とかで飛ぶ鳥を落とす勢いでした)のいいかげんな仕事ぶりをずいぶん非難していましたが、真偽のほどは定かではありません。実の所、この部分は小説の”原作”であるAD&Dシナリオ(DL3: Dragons of Hope)の他にも90年代のPCゲームのShadow Sorcererなどでも触れられていますがこれらの説明は割愛。


 ともあれ、最初の方を読んでいると大昔の『戦記』2巻の記憶を少しずつ甦らせなくてはならない。これひょっとすると至福の時を充分に味わい尽くすならば『戦記』1、2巻を、というか戦記全体を読み直したりしてからの方がいいんだろうか? でもとてもじゃないがそんな時間なんてないし、とか思いながら読み進む。
 と、表題にいきなり「フェラーガス」なんて単語が出てきます。フェラーガスって何だっけ。そう、『伝説』の過去の時代に出てきた剣闘士(キャラモンの戦友で戦死)だ。それが何でこの箇所に? と思いながらさらに読み進んだところで急速に思い出しました。正しい歴史では(レイストリン達(正確にはタッスル達ですが割愛)が歴史を改変しなければ)、過去の時代にあったドワーフゲイト戦争の際の「フィスタンダンティラスの将軍」は、キャラモンではなくフェラーガス(そして、同行した僧侶はクリサニアでなくデヌビス)だったのです。でもこれ、アスティヌスの歴史書の中にたった数言出てきただけじゃなかったか?


 日本では大抵のガノタガンダム本編のセリフを一語一句完全に暗誦できますし、多くの派生作品はそれを前提として作られています。ひょっとすると、これもドラゴンランスの記述を一語一句暗誦できるファンが読むのが前提で作られてるんじゃないだろうか? それを思うとますます、『戦記』どころか『伝説』も全部読み返さないとまずいような気がしてくる。しかしやっぱりそのまま読み進んでしまう。しかし先程と違って、その理由は時間がないと思うからではありません。先を読み進むのが止まらなくなっているからです……