クリスマスターキーの冒険

 昔近所でよく遊んでいたその姉妹は、一言で言えばメアリイとローラのインガルス姉妹、と形容するのが最も手っ取り早いのですが、そんな形容がわかる読者は少ないと思われるので、ぱっと見のビジュアルだけならかがみとつかさあたりで把握しても構わない。姉は容姿能力ともに万事何事にもそつがなく、そういう少女に対して然るべき扱いをしてくる周囲の人々とは一定の距離を置いており、そんな立ち位置をたやすく獲得しつつもそこから動くすべを見つけられない自分に対しても苛立ちと諦観が半々に入っている。一方、妹は無邪気を通り越して奔放に片足を突っ込んでいる典型的な末っ子体質で、脈絡のないドジっ子炸裂を繰り返す。
 その父母の方は、特にインガルス夫妻風というわけではなく、父親はやや飄々とした、漱石のクシャミ先生風の学者。そして母親は驚くほど綺麗で上品な女性で、非常に古風な良い育ち(姉に言わせれば、父や、家族や、ひいてはこの札幌郊外の田舎町全体に対して不釣り合いなほどに)であったようですが、この母親が温厚でとてもいい人であることは、かれら一家や近所含め周囲の一致するところでした。
 これはその姉の方が、その年の暮れ頃に語ってくれた話なのですが、妹が突然、「クリスマスに七面鳥の丸焼きを食べてみたい」と言い出したらしい。どうやら海外童話の絵本や海外ドラマなどによく出てくる場面に影響されたらしい。(ちなみにこの妹、十数年後には大学のフィールドワークで欧米を飛び回ることになります。)
 姉は七面鳥の丸焼きの味なんてどんなだか知りませんが、ともかく愕然として言葉もありません。そこで説明にやってきたのは、アメリカに留学していたことのある父親だったそうです。七面鳥は、英米アメリカでは感謝祭)では食べられるが、独特の臭みもあり、食感(脂の乗り方など)がまったく日本人好みではないこと。七面鳥は鶏に比べて肉が大量に取れるが、大量に肉ばかり食べるわけではない日本人には量よりも食感の要求で鶏が食べられるようになったこと。その他もろもろ、七面鳥が輸入されたにも関わらず、日本人があえて七面鳥でなく鶏を食べるようになったかの事情の数々。
 さて、ここまで話が終わった、そのタイミングででした。その時になって母親が、「七面鳥の肉の切り身か何かを用意しましょうか」と言い出したとのことです。
 ここで、妹は別に『七面鳥の肉そのもの』が食べたかったのではなく、『童話で描かれている光景』がどういうものか(どういう気分か)単に体験してみたかった、というだけ。丸焼きでない七面鳥には何のメリットもないし、父の言葉をちゃんと聞いていたので、むしろそれ以外はデメリットばかりということを既に理解している。母にもこれと同じことを理解させようと、妹自身と姉と父はなんとか試みました。『遠慮しているわけではない』、もう本当に要らないと。特に、七面鳥の肉の味を実際に知っている父が普段からは考えられないほど言葉を尽くしていたとのことです。(なお、これはずっと後になって父親本人から直接聞いた話なのですが、留学していた頃となりの農場で七面鳥を飼っており、見知らぬ人間が近づくと顔をどす黒く変色させて襲ってきたのが半ばトラウマになっているとのことでした。)ことに父親はせっかくの子供達のクリスマスを大事にしてやりたかった、美味しいものだけを食べさせたかったからなのでしょう。しかし、かれらのそれらの言葉の間じゅう、母親の方はといえば「でも、一口か二口分くらいなら」「でも、家族皆の分の丸焼きは大変だけど切り身とかなら」「でも、妹ちゃんのぶんくらいだけなら」といった言葉をずっと挟み続けていたそうです。
 そしてクリスマスには、妹の分だけは料理の大半が無く、かわりに七面鳥の腿だけの肉、しかし充分すぎるほど巨大なものが目の前にでん、と出されたとのことでした。その場で妹が、そしてかれら一家がどうしたのか、姉は語ろうとしませんでした。ただ、そもそも童話がどうのとかいうつまらない動機でいたずらに人騒がせなことを発言した妹の軽率さだけを、ひどく苛立たしげに責めているばかりだったのです。