脳機仲介


サイバースペースって、なんでPCの中に空間があるんだろう……」
「それは、電脳空間に対する、──さらに正確に言うと、『電脳空間という言葉』に対する誤解だ」
 青いシャツに金髪の青年、LEONは、何時間もたえず煙が出続けているパイプを持ったまま言った。
「電脳空間(サイバースペース)とは、元来は学術用語でも、一般的な発祥をしたまっとうな英語でもない。本来、ただ一人の小説家とその翻訳家の造語だよ。『サイバー』には元来、何ら”コンピュータ”の意味などない。サイバネティクス、つまるところ”マンマシンインタフェイス”のことなのだよ。『サイバー』の訳語の『電脳』も、ここでは中国語の”コンピュータ”の訳語から取られた語ではない。そのサイバネティクスの、すなわち電子系と神経系の結合の訳語として、”電”と”脳”という語の結合、という字面が選択されたのだ。そして『空間(スペース)』とは、その電脳を介して、ネットワークの膨大な情報が”三次元空間”という形で把握できるよう象徴図像学(アイコニクス)で視覚化されているために、そう呼ぶということだよ。電脳空間(サイバースペース)という言葉を使う時点で、既に『脳を介した世界的ネットワークが空間的に視覚化されたもの』を指すこと以外、想定されていないわけだな」
 LEONはパイプを一度くわえたが、煙を吸い込んだ様子はなく、
「なので、”家庭用PC1台の中に電脳空間(サイバースペース)がある”などというのは、その時点でもうすでに充分すぎるほど、電脳空間という言葉の使い方が誤りなのだ。神経接続でないなら、それを『電脳』と呼ぶ理由は何もない。ましてそれ以上に、それ自体がネットワークでもなく視覚化手段を介してもいないなら、それを『空間』などと呼ぶ理由こそ何もない。なので、”PCの中にサイバースペースがある”では、正しくもないばかりか、何ひとつ説明にもなっていないな」
「でも、視覚化されてないネットのことをサイバースペースだとか、世間でも普通に言うし、あとPC1台の中に電脳空間があるとかも、このあたりの界隈だと広まってるよ……」
「言葉は生きているので、ただの誤用が慣用化するのに、何も不思議はない。だが、それに対して『理屈が通ること』を求めるのは無駄だな」LEONは肩をすくめた。「元来の概念とその言葉が選択された理由が別にちゃんとあるのに、それを知らずに、概念から離れたものをやたらに持ってきて、”なぜそんな言葉なのか”を悩んでも、まともな答えなど期待できまい? ──自分で理屈の通る答えを考え出して再定義するも良かろうが、元々の定義は、作家と翻訳家が計算し尽した上で作った造語なのだ。同じことがそう簡単にできるとは考え難いな」