作劇上のストラッグル

「男女の間に『愛の試練』が与えられる、というフィクションの類がよくありますが」
 高層ビルの頂上階近く、夜景が見えるレストランで、その夜景に映える色合いのイブニングドレスに身を包んだ巡音ルカが言った。ディナージャケット姿の神威がくぽが、その向かいでグラスを回した。
「それらのフィクションの影響で、『自分達には苦難やぶつかりあいが無いために、愛情が深まらない』などと、本気で信じる若者たちが多いということです。……試練を乗り越えることで愛が強まるなどというのは、物語を盛り上げるための手法にすぎず、リアリティは皆無です」
「もっともである」がくぽが答えた。
「実際に起こった災厄は、物語のように綺麗に消化できるとは限りません。立場や生活が破壊されれば修復は容易ではなく、罵り合えばたとえ和解しても言葉の傷が無かったことにはまずなりません。男女の間にいたずらに災難をまねくことは、愚の骨頂としかいえません」
「実にもっともである」がくぽが答えた。
「ですが、私たちVOCALOIDは、存在そのものが仮想のイメージから出ているもので、元からリアリティというものはありません」ルカがグラスの中身をゆらめかせて言った。「盛り上がりを提供するための経緯・手法は憚る必要はなく、むしろ手を尽くすべきです」
 今度はがくぽは答えなかった。何かよくわからなかった。ただ――それにしても、今のこの服装は着た当初は普段よりも暑苦しく感じたものだが、どうも、この食堂はよほど冷房が効いているらしい。