ワガママベッドハッスリング (前)

 男なら、”初音ミク”が夜中に寝床にもぐりこんでくるなんてのだったら、それこそ夢にまで見るとかいう奴も居るんじゃないのか。オレもそうだというか、少なくとも一時はそうだったと思うんだが――何事も状況次第、事情次第ってやつだ。
 その状況と事情を思い出してみるに、あのときオレがもう少し疲れてなければ、もう少しヤツが控えめなら――まあ、そうでなくたって、オレにヤツを適当にあしらうほどの気力だけでもそのとき残っていれば、夢にまで見た嬉しいことにまではまぁならなくとも、少なくとも、最悪の事態だけは避けられたんじゃないか、と思う。
 その日は、もうかなり夜も遅くなっていて、オレは自分達の住処――ホサカ・ファクトリイ社が建てかけで廃棄した環境建築物(アーコロジー)の残骸――のひと部屋に帰ってくると、明かりもつけずに、すぐに自分のベッドに寝転がった。折りたたみ式の簡易ベッドで、実はここ《千葉(チバシティ)》の場末の廃物から拾った代物。この住居には、部屋の備え付けのホサカ製の多目的寝台もあるが、そっちは”ヤツ”の方に使わせてる。で、そのヤツの方だが、帰ってきたときに出迎えもしないのは珍しいとは思ったが、もうとっくに寝ているか何かだろう、オレは疑問を持つのも面倒なくらい疲れていた。
 ――だから、うとうとしかけていたときに、いつのまにヤツがオレのベッドの上、寝ていたオレの上にのしかかっているのに気づいたときは、とびあがりそうになった。勿論、できなかった。上のヤツの肌との間は密着寸前、ぎりぎりの距離だったので、飛び上がったら大変なことになりそうだった。ヤツはそのオレの慌てぶりが面白かったみたいで、真正面でそのオレを見下ろす顔が悪戯っぽく笑ったみたいだった。まあ、そりゃあ、面白いだろうよ。
 ヤツの体はオレに覆いかぶさるように、ベッドに四つんばいになり、目の前にある肌の線の柔らかみの感触や、体温さえ感じられそうなくらいすぐ近くにある。暗闇の中、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「ねぇ……」ヤツが薄暗がりの中、その触れそうな唇でささやいた。「まだ起きてるんでしょ……」
「何やってんだ! 何する気だよオイ」オレはそれを振り払うように叫んだ。
「何する気、って……?」ヤツは秘めたようにささやく声を続けた。「アナタが、好きなコト、していいのよ……?」
 こんな身動きもできない状態にしておいて、好きなようにも何もあるもんかよ。
「私に……したいコト、たくさんあるでしょ……?」
 部屋に入ってくるのは窓からのかすかな光しかない。ごくりと唾を飲み込む。着ているのは寝巻のどれかだったか、ヤツかそれともオレの服でも薄手の代物のどれかか? とにかくやたら薄い布の、しかも上半身しかないし、その布にせよ薄明かりにうっすら透けて、体の線は全部見えている。その布の下に、下着の線とかは見当たらない。
「ここしばらく、ずっと夜遅いんだもの……前みたいに、体の隅々まで愛撫して貰ってないんだからぁ……」ヤツは切なげに目を伏せてオレの首元に口を近づけ、「そろそろ、我慢できないコトがあるんじゃないのぉ……?」
「いや別に前から体の隅々まで愛撫だとかはしてねぇし!」
 このヤツは、”初音ミク”に似せて作られた量産ロボットや人間用義体と同型だが、有名な本物の《札幌》のAIアイドルの”ミク”の清純さや純真さとは無縁で、頭の中身が完全にピンク色だ。本物の初音ミクと共通してるのはおおまかなシルエットや服装だけ、と言いたいところだが、だいたいシルエットにしたところで元から体の線も、今のこの闇の中での体の動かし方もえらく誘惑じみて下劣だし、服装っても今は薄い布のしかも上半身しか着てないってなると――いったい本物のミクと共通点なんてあるかどうか、はなはだ疑わしい。そして、オレと同居しているそんなヤツが毎日仕掛けてくるのは、こういう迷惑千万な謎の色仕掛けイベントだ。
 一体どうしようかと思ったとき、仰向けのその状態から、不意に思い出したことがあった。
 まさにそのとき、ヤツが上体を動かすにしたがって、できそこないの簡易ベッドがぎしっと鳴った。樹脂の骨組みが悲鳴を上げたってこと──この時点で、もうまずいことになってることに、オレは気づいた。
「慌てちゃってるー」そのオレの狼狽を感じてか、ヤツが悪戯っぽく笑った。
 オレはベッドの脇へと目を走らせた。別にヤツの肢体から目をそらしたわけじゃ……ない。案の定、ベッドのシャフトが折れ曲がっているのが見えた。四つんばいのヤツが手をついて体重をかけている所が、ちょうどシャフトのジョイントになっていて、そこから折れそうになってる。
「……おい、ちょっと待てよ!」さらに慌てた声になった。
「なぁに、照れてるのぉ?」
「いや、そうじゃねえ、そこ、そこに手をやるな、手をどけろ……」
 が、ヤツの右手がオレの腹を伝い、下腹まで来た。その時点で、手がゆっくりと、撫で付けるように動いた。
「なんか、もう……力強くなってきてるよぉ……?」
 オレはそっちの方も慌てたが、それよりも、こっちの言う意味がヤツに伝わっていないことに焦った。 
「おい、やめろ! やめ、そこはダメだ!」
「そこはダメ、なんて、女の子みたいなコト……」ヤツは右手を這わせ続けた。
「そっちの手じゃねえ、もう片手だっての!」
 そのときヤツが体重をかけていた左手が、ベッドのフレームを一気に押し込んで、がきっと音がした。そこがベッドの折りたたみ構造になっていた。まっとうな作りのベッドなら、人が寝たまま部品を押したくらいで簡単に崩れるようにはできてないと思うんだが、そもそも、何かの試供品だったか不良品だったかのこのベッドには、最初から構造上の欠陥があって、オレはそれをだましだまし使っていたにすぎなかった。
 ベッドはそのシャフトが押し込まれるのと一緒に、真ん中から真っ二つに折れて――折りたたまれて――勢いよくオレ達ふたりを挟み込んだ。
「きゃあーーー!!??」
 オレ達はベッドに挟まれて全身くまなく互いに密着した。寝具マットがあるので痛くはないが、ものすごい圧力だ(その力は、テコの原理で自分たちの体重が全部跳ね返ってきてるわけだが)。オレの方はヤツと違って、悲鳴を上げようとしてもできなかった。顔面に思いっきりヤツの胸が押し付けられていたからだ(やっぱり薄布の下は何も着けてなかったのがわかった)。このままだと、声を出すどころか息さえできず、オレはともかくそこから顔をもがき出そうと、必死に顔を暴れさせた。
「んッ……」ヤツは何か小さく喘いだが、理由は考えている場合じゃない。
「がはっ!」オレは顔をうずめた絶妙な弾力の中から必死で脱出すると、「おまい、その、早く、その、左手、どけろっての!」
「――ああンッ!!」
 突如、ヤツは鋭い悲鳴を上げた。
「おい!? どした!?」オレはぎょっとして叫んだ。とがった部品が食い込んだとか、よほど強く部品に挟まれたとかか!?「大丈夫かよ! 体のどこだ! 言ってみろ!」
「私の……熱いトコ……押し当てられてる」が、ヤツは震える声で言った。「さっきの……力強いモノが、当たってるよぉ……間に、布一枚しかないのに……!」
 布一枚ってのはオレのトランクスを指すんだろうか。てことは今、ヤツの薄布のその熱いトコとやらの辺りははだけてるってことかもしれないが、断じてそっちを見下ろすどころか、考えもしないようにする。当たってるってのが本当なら、反応したらすぐわかっちまうぞ。というか、こんなことを考えた時点ですでに反応についてはまずい。
「布がちょっとズレただけで……もう……入っちゃう……」ヤツは薄明かりでも見えるほど紅潮した頬と、熱く湿ったような喘ぎ声で、「入っちゃうよぉ……!」
「入んねーよ! おいコラはよ手ェどけろっつーの」
 ヤツがそのオレの言葉の通りに左手と重心を何とかしようとしたのか、そうでなしに他の何かをするつもりだったのか、それさえわからない。ともかく、ヤツはオレに密着した体を、もがくように、というかよがって身悶えでもするように激しくくねらせた。互いに押し付けられているヤツの柔らかくて熱い部分とかオレの力強くて熱いモノだとかがさらに大変なことになったが、とにかくそれが逆効果で、それらの激しい無理な動きがすでに半壊していたベッドにとどめをさしたのは明らかだった。
 破滅の音がした。ばきばきとジョイントがもげると共に樹脂性のもろいフレーム自体がへし折れる音が一斉に襲い掛かってきたかと思うと、一気に世界がひっくり返った。オレ達はもつれあって、暗闇の中にまっさかさまに投げ出された。
 ――オレはかすんだ目をなんとか開けた。まさに、死ぬような気分だった。元々疲れていた体は、そこらじゅう打ったり部品でこすったり挟んだりのせいで、拷問でも受けたように打ちのめされている。しかも、上に重みがのしかかってる。というか、密着したままのヤツは崩壊の瞬間、恐怖でオレに胸を押し当て、じゃなかった、しがみついていたようだが、要するに身動きも受身もとれずにオレの落下の打ち身が数段ひどくなったのはそのせいだった。
 ヤツはオレに抱きついたまま、硬くつぶっていた目をうっすらと開けて、
「あ……」
 落下したヤツの体を、床との間でクッションのように受け止めているようなオレをじっと見下ろしてから、悲しげに半目を開けて、オレの頬を撫で、
「私を……かばってくれたの?」
「もうなんでもいいからはよそこどけ」オレはうめいた。


(続)