サボテンが花をつけている

 電脳空間(サイバースペース)の《大阪(オオサカ)》のエリアを訪れていた巡音ルカが、《札幌(サッポロ)》に帰ってから、そのしばらく後も、神威がくぽは平然と構えていた。
「兄上さァ」やがて、GUMIが業を煮やして言った。「今日のルカって、何か気づかなかった?」
「いつもの通りであった」がくぽは答えた。
「いや、いつもの通りの他に、何かに気づいて欲しがってるようなところがあった、とか思わない?」
「それは確かにあった」がくぽは答えた。「だがそれこそが、ルカの我に対する、いつもの通りの姿かと思う」
 GUMIはぐにゃりと眉を曲げた。この”兄”はいつも必ず、”入り口の部分”に気づくことは気づくのである。だが、どうやってもその”先”に進むことができない。
「それはともかく、ほんとに気づいたことはなかったの? その、服装とかさ」
 GUMIの言葉に、がくぽは考え込んだ。思い出そうとしているようだった。少なくとも思い出さなくてはならないほど、印象に残っていないらしい。
 GUMIは我慢できずに言った。「てか、今日のルカの服装──肩とお腹の部分のアンダーウェアが、無かったじゃない」
 がくぽは沈黙を続けた。
 いっそう真摯になった表情を、しばらく続けた後に言った。「思い出せぬ……」
「ちょ、まずすぎるって、それ」
 がくぽ自身が気づかなかったということ自体も非常にまずい。ルカがその服装でやってきたことが──要は、さりげなくも自然にも、普段より肌の露出を上げてきたということが──何の意味であるのかわからなかったということが、それ以上にまずい。
「思い出せぬ……」がくぽは顔をしかめて繰り返した。
「いや思い出すとか出さないとかいう以前の問題だと思うけど」
「いや、そのことではない」がくぽは低く言った。「思い出せぬのは、ルカの普段の装束が、その部分の肌着が有ったものか無かったものか、はたしてどちらだったかということなのだ……!」
「待てィ!」GUMIは叫んだ。「てか、確かに腕とお腹には有ったでしょ、思い出してよ、何考えてんの!」
「だが、ルカの映像……所属する《札幌》のスペースで掲載されている画像を含めて、有る無しのいずれもある、むしろ無いものの方が多いではないか!?」がくぽは額に汗を浮かべて言った。「ならば、無いことは『いつも通り』なのか、『いつもと違うこと』なのか!?」
「でも……元のデザイナーの公式絵ではアンダーウェアありだし……」言ってみてからGUMIは、言葉に窮した。ネットでそのイメージが拡散するVOCALOIDら仮想”あいどる”にとって、元のデザイナーの描く姿が、すなわちネットワーク上の『いつも通り』と呼べるものかの保証は、確かにありはしないのだ。



「……GUMIよ、我は思うのだ」
 がくぽは低く言った。
「ルカのその部分の肌着……思うに、それは、クワトロ・バジーナのノースリーブの腕と位置づけを同じくするものであると」
「誰それ!? 何のどういう位置づけ!?」GUMIは頭を抱えてのけぞった。それ以上に、いきなりがくぽの口から異常に流暢な横文字が出たことに度肝を抜かれた。がくぽは最低限の日常生活に必要な横文字のボキャブラリすらもほとんど持たず、日々周囲の手を焼かせているのだが、いざ異常にすらすらと出てくるときは(もっともvsqになっている歌詞の場合などもそうだが、がくぽは発音そのものは難はない)その単語はGUMIにはまったく意味不明な何かの固有名詞であることがほとんどである。(例えば《札幌》のVCLD開発ディレクターならそれらの語の意味を解したであろうが、当然この場には居ない。)
「すなわち、元来その姿を創作した元の画家は、当然のごとく肌着が有るものと思って説明も何もしていなかったが、他の描き手は当然のごとく肌着が無いものと思い込み、そのまま”肌がむき出し”として定着してしまったもの、だということだ。それはつまり、有ろうと無かろうと、いずれにせよ重要ではないもの、ということではないのか?」
 GUMIは一瞬、言に窮した。
 ──が、GUMIは振り払うように首を振った。『どちらを選んでもいい』ことと、『どちらにしても重要でない』ことは、微妙に異なるのだ。そして、それ以上に、あやうく最も重要なことがあるのを忘れるところだった。
「たとえ作り手も描き手も聴き手も、どっちでもいい、って思ってるとしてもね──”兄上”だけは、”ルカ”のそれを、気にしなくちゃいけない理由があるの、わかる!?」