銘より価値のあるもの


 ストラッドのヴィオラが46億円


 なるほど。
 ストラッドでもヴァイオリンだとせいぜい1億〜数億で、数十億というと今までもデル=ジェズくらいのものだったという上での話。


 ストラッドのヴィオラやチェロはヴァイオリンに比べるとものすごく少なくなります。ストラッドのヴァイオリンは1000台ほど現存しているといわれ、完全な状態で確認されているのは600と数十台で同時代のクレモナの他職人とは桁外れに膨大ですが、一方ヴィオラは完全な状態のものは12台、チェロは70台ほどにすぎません。
 少ない理由は色々あります。当時のクレモナの職人たちは多くが安楽師相手に大量に生産して投げ売っていたので(それでも老ストラディヴァリは貴族相手も多かった方ですが)大型のヴィオラやチェロは作り手としては手間や神経を使う割にあわないこと。大型であればあるほど保存が難しいこと。そして、実は重要なのが、ノウハウが異なるので、名職人といえども良いものとして残っているとは限らないことです。実はチェロでは、ストラッドは「ハズレ」の割合が少なくないため、最高のものとは見られていない(マテオ・ゴフリラー作等を求めるソリストも多い)のは公然の秘密結社ジャスティス。


 ハズレではないと証明するのは、楽器本体の経歴以外にはありません。ヨー・ヨー・マの弾く『ダヴィドフ』が当代の逸品だと認められているのは、ストラディヴァリ作だからではありません。最初の使用者のダヴィドフと、前の使用者のジャクリーヌ・デュ・プレが、それを既に証明しているからです。


 そこで件のヴィオラの経歴ですが、その名の元になったマクドナルド卿は、ストラッドのチェロでは非常に有名な『マーラー』も所持していたことでよく知られています(ある小説に、「『マーラー』がパブロ・カザルス愛用のストラディヴァリのチェロ」とか書かれていたのはまったくの作り話。カザルスも使っていたのはゴフリラーです)。ヴィオラマクドナルド』についてはマクドナルド卿の前にも後にも相当な人の手を渡り歩いており、錚々たる面々、その多くは貴族です。ここまで渡り歩き、バックアップを受け、性能が評価され続けて、ようやく「ハズレ」という可能性がほぼなくなるわけです。競売側も「状態が良い楽器は希少」と言っていますが、このような状態自体が非常に貴重なのです。


 46億という価値は、ストラッドという名前に対してついているのではなく、実質、この年月が積み重ねた「信頼」に対してついているのです。
 (これは、ストラッドその他が最新のハイテク量産品に比べて何がそこまで「良い」のか、という問いへの、直接的な解答のひとつでもあります。)