おどりこのふく


 男なら『初音ミク』の布地の少ないダンス衣装なんてものなら、ライブステージをかぶりつきでガン見したり、DIVAの筐体に何時間もかじりついたりする奴もいるんじゃあないのか。だが、なにごとも状況次第、事情次第っていうやつで――
 オレ達しか住んでないこのハイテクボロアパートで、冷房さえ落として節約しないと月末はオキアミ・ペーストの食事にさえありつけない、なんて話は、今までこのシリーズではさんざんしてきたし、もういいだろ? で、とにかくその日、オレは恨めしい好天気から身を隠して、オレ達の住んでる部屋の日陰の中にぐったり寝そべっていた。
 その仰向けのオレの視界に、”ヤツ”が入って来た。最初に目に入るのがローアングル、というのもよくあることだが、しかしさすがに今回、目に入ったそれには、オレは呻き声を上げるしかなかった。
「何なんだそのカッコはよ……」
「え、涼しそうだからー。ネットで買ったのー」
 こっちが一生懸命節約してるのに何買ってんだ、などと言うのさえも、オレは忘れていた。「てかよオイ、それって、”服”ですらないじゃねーか」
「えーちゃんとした服だよー。『初音ミク』型義体用の。きちんとそう書いて売ってたんだから」
 オレは首だけ起こして、呆れ半分、当惑半分でその姿を見た。……前にもよく似たことがあった、というか、”ミク型”ロボットや義体のために作られた衣装、妖精のように清楚なミク標準体型に合わせて作られた服は、露出度がある程度以上だと、このヤツが着ると毎回、割と大変なことになる。この、オレと住んでるミク型バイオロイドの一体、ミク標準よりも異常にやらしい肉付きの腰と胸と、それ以上に真っピンクな頭の中身をしたヤツには。
 その衣装のトップは、普通の水着のブラのそれのような、むしろシンプルなデザインのものだったが、ミク標準体型に合わせて作られているので、ヤツのわりと突き出た胸には思いっきり食い込んでいて、肉が前後上下左右あらゆる方向にはみ出ているので、直球のエロ水着にしか見えない。
 ボトムの方はそうでもなかった。そもそも、こちらには食い込むような構造さえも存在していなかったからだ。ちょうどPixiv百科事典にも同じ構造について書いてあるんだが、ごく細い輪っかをウェストのくびれに引っかけ、一枚の布を股に挟んで、両端をその輪っかの前とうしろに1回通しただけだ。しかも、今ヤツが通している布は、横幅が妙に狭い。布で隠れてる分を入れても、腰回りの肌の9割3分以上は見えている。ヤツのくびれた腰からむっちりした太腿にかけての肉付き、ときどき股の付け根の線とか臀肉の丸味とかが、薄い布がゆらめくたびに見え隠れする。
 てか、この事典の記述は本当にあってるのかよ。だとしても、むしろ、売ってる服が本当にそれを再現してていいのか。この手の衣装ってのは、下は別のを穿いてたり、あれだ、六尺褌みたいに股間には複数回布を通したりするもんじゃないのか。
「何、六尺ってー? でも、そんなに何重にもなってたらきっとムレるよー」ヤツが前に垂らした布を意味深に引っ張って、微妙に位置を直しながら言った。
「ムラっとくるよりむしろ萎えるような微妙すぎることを言うなよおまいは……」
 こんな恰好を屋内でされても(外でされるのはもっとまずいが)嬉しいとかいうより前に、呆れる他にない。涼しそうどころか、見ていてよけいにバテてくる。オレは再びぐったり寝そべったが、暑さがじっとりと床から体にしみこんできた。(床暖ってか床冷ってか、恒温フォームの温度調節も壊れてるって話も、前にしただろうか?)……その感触から逃れるために(ヤツから逃れるってわけじゃなく)オレはその場から立ち上がった。
「どこいくのぉ?」ヤツはこっちに上体を(胸を強調するように)乗りだして言った。
「屋上すぐ下のフロア。換気口の風が直接あたるとこに、だ」
「あー行く行くー」ヤツは喜んで、オレの前に立って浮き浮きと小走りに掛けていった。その半裸のようなヤツの後姿に対しても、何の気力も湧かないオレは、のろのろとあとに続いた。
 ――屋上まで続く急な階段、本来は非常階段なんだが、その狭い空間にひしめくように、オレ達は登っていった。……ヤツの方が上、オレの先に立っているが、何か異常にゆっくりと登ってゆく。ヤツのむっちりしたその腰を左右に、わざとらしく突き出すように揺らし、なめらかに肉の盛り上がりが動く。うしろに垂らしている方の布の下から、腰の豊満な丸みのライン、その肉丘の左右が、交互に見えては隠れる。
「……どしたのー?」ヤツが不意に振り向いて、オレの方をしばらく見てから言った。「なんか、ヘンな登り方してるよー」
「暑さでバテてんだよ」オレは苦しい声で言った。「心配せんでいいからはよ登れ」
 だが、これはかなりまずかった。その目の前の光景に対して反応した、オレの体のある部分のおかげで登りにくくなっている、それは確かだった。本当に足を動かすのに支障が出てきた。やむを得ない。オレは首を真横にぐきっと曲げて、見上げればすぐ先にあるものを、見ないようにしながら登ろうとした。
 が、うまく登れないのに、よそ見をしたのは余計にまずかった。オレは段に思い切りつまずいた。階段から転げ落ちそうな恐怖から、オレは手を伸ばして必死に何かにつかまろうとした。実は、それが一番まずかった。オレが引っ掴めるところにあったそれは――当然のことかもしれないんだが、ヤツの腰のうしろに長く垂れていた布だった。
 布は一気に、ずるりと思いっきり抜けた。すっぽ抜けた布は、バランスを崩したオレにとっては何の支えにもならなかったが、それとは関係なく(今の転落の恐怖で、足がもつれた原因の股間が完全に収まっていたこともあって)なんとか落ちずに済んでいた。
 オレの手の中には、一枚の長い布の全長があった。そして、オレの視界の中一杯にあるのは、その結果生じた光景、しかも、真後ろの斜め下からの眺めだった。――ヤツの股間を覆っていた、たった一枚の布が前からうしろまですっぽり抜けると、当然、あとはウェストの細い輪っか以外になかった。他には、下半身には一切何も着けていなかった。さっきまでくねってオレの目の前で動いていた豊満な肉付き、上を向いてきゅっと引き締まった曲線の全部、それだけでなく、布にぎりぎり隠れていた双臀の割れ目まで、今はもう何もかも丸出しだった。
 ヤツが首だけ振り向いて言った。「あ」
 ――それからまた何日か経った頃だ。また床で暑さにうだっていたオレの方に、ヤツが歩いてきた。その服装をローアングルから見て、オレはうんざりして言った。
「いや、その服装ってか、その恰好はもうやめれって……」
「ううん、前のとはちがうのー」ヤツは前とうしろの布を、腰の輪っかに挟んでいる所を指で示し、「こうやって、前とうしろに別々の2枚の布をつければ、引っ張っただけで全部無くなったりしないからー。あとムレないし」
 オレは、前後の布をそれぞれつまんでいるヤツの両手を見て、
「それって、『真下』に何もないんじゃねーか……?」
 と、不意に、ヤツは頬を赤らめて俯き、
「だって……あんなに強引に、思いっきり引っ張ってまで、無理やり下脱がすんだもの……」ヤツは片手を頬に、もう片方の手で前の方の布をほんの少しめくり、「でも、今度のは、もうそんなことしなくても、ちょっとめくるだけでイイから……」
「めくらねーし、イイこともしねーよ!」オレは諸々の光景を振り払って、ヤツに背を向けて座り込んだ。
「そーお」ヤツの残念そうな声が、背中で聞こえた。
 ――が、しばらくして、ヤツがしなだれかかってくる、その大半が露出した肌の感触が、オレの肩と背に伝わってきた。その声が、すぐ耳元で言った。
「でも、また事故のふりして、あれくらいやってもイイよ……」