ディレイラマ木人拳(1)

 あの『ソワカちゃん』のシリーズに自分が出演する、しかも他ならぬクーヤン役として、という仕事の話が舞い込んできたそのときは、鏡音レンの心は否応もなく浮き立った。なにしろ、《札幌(サッポロ)》のVOCALOIDらの担当してきた仕事の中でも人気シリーズのひとつであるし、何よりも──レン自身が、先輩や同僚としてのみならず、何かと気にかかる存在である”姉”ミクと最主要キャラとして共演できる、しかも相方役としてなのだ。『ソワカちゃん』シリーズの主要キャラである小坊主クーヤンは、最初期は特に歌がなかったためイメージだけだったのだが、このとき、レンのボーカルの歌のほかに、急遽作内でもレンが演じる、という話が来たのだった。
 ──が、最初に断っておくところ、レンにとってもひどく残念なことなのだが、その背景はともかくとして、今回のこの物語自体は『ソワカちゃん』の内容そのものとは全く関係がない。
 ともあれ、問題となるのはその演じる姿、レンが限られた時間で、いかにその”クーヤン”というキャラの役どころを掴むかだと思われた。”ソワカちゃん”本人役の初音ミクの方はといえば、VOCALOIDの歴史でも最も古くから続いているこのシリーズについて、仰天するほど役作りに手馴れていた。あのミクは毎度、アームガードとソックスを黒い手袋とブーツに替え、いつもの服の着こなしだけをペラペラな感触に変え、ネクタイをベルトに挟み、前髪をなでつけ、半目になるという、たったのそれだけでいとも簡単に、”電脳あいどる初音ミク”の面影を跡形も無く消し去り、”護法少女ソワカちゃん”へと完全に変身してしまうのだ。
 仮にミクと同じ時間があったとしても、自分にはとても同じ真似はできまい。無垢だけにあらゆる色に自在に塗り換わることができる、それは多分に、VOCALOIDの人気を開拓した原因であるミクの独自の才能である。……しかし、ともあれレンも、できる限りのことをしなくてはならないだろう。VOCALOIDの宿命のため、大役を果たすため、そして何よりも、ミクとの共演のために。
 が、レンのそんな決心の有無に関わらず──いかに急な話で、何もかもが急ごしらえとはいえ、こんなことになるとはレンも予想していなかった。
「ばぶーーーーーーーーん!!」
 クーヤン役の扮装のレンが現れた瞬間、MEIKO吹き出した。坊主頭のハゲヅラをかぶり、薄緑色のスモックのような薄い布の法衣をかぶった、その鏡音レンの姿を見るなりだった。なお、クーヤンが口にくわえるトレードマークの、針金で連結する六阿弥陀仏小像は、手間かコストを惜しんだか細部が不明だったかで、針金のかわりにプラスチックのようなもので一体成型されており、遠目に歯ブラシか何かにしか見えない。おまけに、レンの元々硬く多めな髪の毛には、このハゲヅラの乗りは最悪そのもので、いまにもずれそうである。
「ん〜〜似合う! 実に似合いすぎだ!」この扮装の手配を手伝った《札幌》の社のPVディレクターが、レンのその姿の周囲をぐるぐると歩き回りながら言った。「いいよいいよー最高だよ!」
「……だってさ」鏡音リンが、ディレクターの言葉にいかにも必死で笑いをこらえながら、レンに言った。レンと同じ顔のリンは、いつもならレンと組で活動し、衣装なども似たようなものであることも多いが、そうでない時は特に両者の細かい特徴と差を強調した、奇抜なものであることも多い。今回はその最たるものだが、ことに、リンにとっては完全に他人ごと扱いである。「まあ、その、あれだ──がんばんなさいよ」
 そのリンの態度で、レンはいよいよ我慢ができなくなってきた。
「あのさ、㍗さん……」
 レンは、ディレクターに訴えるような目と共に、何か言いかけた。
「よし、次だ! 時間がないから急ぐよ!」ディレクターはそんなレンを、熱っぽく見下ろしたまま、「外見は完璧に整った! なら次は中身、その役に欠かせない”仏教の心”を知らなくてはならない!」
「え」レンは呻いた。「ちょっ、何──」
 ディレクターはあとじさるレンの歩みに合わせて踏み出し、光遁の術(註:AIのような大容量を、衛星回線等を通じて光速転送する高度移送プログラム)の符印を、そのレンのハゲヅラの額に沿ってべたりと貼り付けた。以前にLEONなどが使っていたものとは異なり、使い手が制御しなくても貼り付ければ自動的に発動するタイプのプログラムらしく、宅急便などの荷札シール状になっていた。
 何かその荷札が震えたと思った直後、凄まじい振動と共に、ごっと光の渦を伴ってレンの体は浮き上がった。
「へぶ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜し!!」
 そして、レンの姿は天衝く光柱となって大気を震わす大音響を残し、上空に消えた。その光遁の砲弾は上空からさらに、電脳空間(サイバースペース)マトリックスの既知宇宙を横切り、見たところかなり遠くのエリアへと飛翔していった。
「”仏教の心”って、どこに飛ばしたの? 京都かどっか?」MEIKOがけだるげに、ディレクターに聞いた。
「いえ、アムステルダムですよ!」ディレクターはぐっと拳を固めて言った。



 そのアムステルダム、全人類の伸び広がった神経系の想像力からなる電脳空間(サイバースペース)の中において、そのオランダ文化圏に対する勘違いの想像力が結集し具現化したような(マトリックス内だというのに)巨大な風力発電風車とチューリップが、かなりまばらに、しかし見渡す限りの遠くまで整然と並ぶ風景の中である。そんなアムステルダムの郊外にあたる街道を、うずたかく荷物が積み重なった手押し車を危なっかしくかしがせながら押して行く、女性の姿が二つあった。
 片方は、果実とその花被・がく(へた)がモチーフとわかる姿の黄系と緑系の娘で(→一応参照)、もう片方はその娘よりやや小柄な、電脳構造物やロボットシステムじみた(他の多くの人間の姿に似せた電脳内概形(サーフィス)とは明らかに異質の)オブジェクトや機関(エンジン)のモチーフの目立つ姿(→一応参照 トラバは自重しますた)だった。
「なんかコレ、ふたりでも運ぶの大変ね──」前者、FL-chanが疲れた顔と声で言った。
「はい」後者のGrossBeat-chanが律儀に答えた。
 しかし、見たところは、GrossBeat-chanひとりで運べば、もっと楽ではないかと思えた。FL-chanは足取りも手つきも、しなやかで優雅な体つきに似合わず、やたら危なっかしい。それでもGrossBeat-chanは、あたかもそれに気づきもしないように(本当に気づいていないのかもしれない)平然と、荷物全体の均衡を適切に計算しながら押してゆく。
 この二体はそれぞれ、この周辺ではなく、ここからもさらに遥か遠くブリュッセルの、巨大AI連結体(ネクサス)”カサンドラ”の対人エージェントと、外部補助システム(プラグイン)インタフェイスなのだが、オランダ語圏とフランス語圏すべての音声関係のあらゆる支援を請け負う”カサンドラ”の業務のうち、今回は、アムステルダムで受け取った音響機材を、ブリュッセルに持ち帰る(もとい、その手前のロッテルダムでFL-chanの姉妹らと合流する)予定だった。
 GrossBeat-chanは立場としては、対人エージェントのFL-chanやその姉妹らの補佐の立場にあたり、こういった移送の仕事は自分一体で行うことを提案したのだが、FL-chanが、この荷物の山を見て、手伝うと言い出したのだった。しかしその結果、明らかにかえって余計に時間がかかっていた。
 と、FL-chanが突然立ち止まり、がくりと荷物がまたひどく揺れた。
「あれ、何かな?」FL-chanが、道の横の上空を見上げるように、首を巡らせた。
 今までも、彼女が道端に気を取られるなどはあったことで、そのたびに荷物はひどく危なっかしいことになっている。にも関わらず、GrossBeat-chanはやはりそれまでと同様に、律儀にそんなFL-chanに歩調をあわせ、同じ方向を確認した。
 今までのFL-chanの寄り道とは違い、その方向には確かに異状があるようだった。その上空には大質量の移動があり、きらめく軌道の残像が確認できた。
「光遁を借りるか、あるいは仙雲に乗って移動し、山の中に落下したものと推測されます」GrossBeat-chanが軌道を分析しつつ言った。「転送元は、極東です」
「落ちたってことは事故かな……」FL-chanが立ち止まったまま言った。「荷物ならいいけど、ケガ人とか出てたら……」
 GrossBeat-chanの電脳が軽いハム音のような駆動音を立て、状況を分析した。
「現場を調査した後、この移送ルートに復帰します。私に構わず運び続けて下さい」
「って、ちょ、ちょっと待って!」いきなりのことに、FL-chanは驚いて呼び止めようとしたが、手押し車が傾いた拍子にそれが少し遅れた。そのときすでに、GrossBeat-chanは脚部のローラーダッシュ機構を起動して、街道を逸れ、風車の構造物(コンストラクト)の間を無駄ない軌道で縫って、アムステルダムの山の中へと疾走していた。



 ほどなく、その落下地点の格子(グリッド)アドレスに到達し、GrossBeat-chanは減速した。落下物はよっぽど荒々しく着地したようで、山の中のフラクタル樹をあたり一体なぎ倒している。おそらく、それが乗ってきたのは光遁の術で、自動任せの制御がぞんざいなために落下したことを、流れ込んでくる周囲の情報から分析できた。
 そして着地点では、落ちてきたと思しき者がまだうめき声を上げながら、体中をさすっていた。それは薄緑のスモックのような法衣の、坊主頭の少年だった。落下の際に色々と喪失したせいかもしれないが、それ以外に何らかの特筆すべき特徴があるようには見えない。GrossBeat-chanは少年に、その二つの特徴から推論した質問を発した。
「お坊様ですか」



(続)