ニコ動のコメが右から出てきて左に流れるのはなぜか


 横スクロールのシューティングやベルトスクロールも自分は左から右に進んでいき、敵や画面は逆に右から出てきて左に進みます。
 カプコンは「コントローラーのレバーが左にあるから自分=左側」という見解を出しているそーです。しかしスカイキッドは逆の右−左スクロールでヘッドオン(これは今では知名度いまひとつ)は右レバーで、そもそもPCのテンキーは昔から右じゃないですか。これに対しても古参のゲーマーは「スペースインベーダーが左レバーなので、それが以後定着」と主張しているらしい。ナムコの見解では、スクランブルで左から順番に(横書き同様に)描画するので左→右となった、という。しかし、どうも釈然としない。そんな一朝一夕の付け焼刃で出てきたようなものなのか。スペースインベーダースクランブルを捕まえてそう呼ぶのも変ですが、文化の中での位置づけを考えるとゲーム以前にもう少し手繰れはしないか。
 (なお、これらと異なり、初期ファイナルファンタジーの戦闘場面がプレイヤーキャラが「右側」に縦一列に並び、左側から敵が出てくるのは、たぶんそれ以前の(PC含めた)RPGの多くがキャラの「パラメータ」が「右側」に表示されていた名残と思われ、何故パラメータが右側だったかというとPC用アクションゲーム等のスコア表示等が右側なのに倣ったためで、なぜスコアが右側かというとこれらのPCアクションゲームでは操作可能なキャラをカプコンナムコ同様に左側に配するためだった、という、FFでは完全に本末転倒の経緯となっているわけで……)


 非ゲーマーには、舞台用語(能とか歌舞伎)での上手(カミテ)と下手(シモテ)、すなわち既に居る者・弱者・立場が下の者が左側(下手)で、新しい登場人物・強者・立場が上の者が右側(上手)から出てくることに由来する、と主張する人もいます。これはカプコンのレバー説よりは納得できるようで、よくよく考えてみると、ムービーの再生ボタンも左から右に動く等、日本文化に限らない話です。フルオケで基本的構成(ピアノと第1vn)を左側に配したのはストコフスキー。日本では直接的には上手・下手であるとしても、もっと古今東西に普遍的な原因がありそうな気がする。
 ちなみにとぅるっぱげ監督の『映像の原則』でも、アニメーションにおける移動の原則でも「上手・下手」の原則が説明されていて、識者の間では真偽のほどが色々と議論になっているらしい。よくわかりませんが御禿が半ページを費やしているというのはそれなりに無意味な話ではないんでしょう(適当)

 メイン女性キャラの造形

 九堂風子


 すごく唐突に思い出してぐぐった。眉毛の角度とかどう見てもコロコロとかボンボンの「主人公」にしか見えませんが、主人公ではない。主人公(レスラー志望の少年)は別にいて、同志望の少女ですが、いわゆるヒロインかというとそういうわけでもない。たぶん単なる画面の彩り目的なんですが、女子レスラー志望だけあって太ももとか腕とかのボリュームが今見ると、うをを、という感じになっている。
 上記の主人公に対してこういう立ち位置のキャラ、は今でも居ないでもないのかもしれません。しかしそれをこういう造形にするか(できるか)というと

 バージェス・アニマル・ブックス

 けもフレMADのひとつ


 ん〜ん記憶が呼び起されてきたぞ。毎度のことですが遠い遠い記憶が。
 自分の現実の野生動物に関する知識は、シートン動物記とかもあったのですが、物語性の高いシートンには悲劇的というか自然の摂理上残虐な描写が多く、それよりももっと好きなシリーズがありましてね。それすなわち、ソーントン・バージェスの著作です。ってウィキペディア(J)にもバージェスの項目が無いじゃないのよさ。よしこう言えばわかるぞ。
 あの『山ねずみロッキーチャック』、
 
 の原作になったシリーズです。って今の読者にわかんのかこれで。
 ロッキーチャックからその原作についてもだいたい想像がつくと思うのですが、物語化したシートンよりもさらに動物たちが擬人化されています。にも関わらず、原作の動物らの生態や風習などの描写はきわめて正確でした。例えば、ビーバーがダム湖の真ん中に巣をつくるだとか、巣はダム湖に盛り土の島を作り、その島の上に木ぎれを立てかけて組んでから、盛り土をかき出して水中から出入りできる小屋みたいにするだとかね。
 しかしここまでなら、当時の自分にはそれは単に(擬人化された)物語に書いてある「本の中のだけのこと」で、一体本当の動物のことかどうか、なんて考えてみたこともなかったはずです。ところが近所に、北米に留学した時の話をよく聞かせてくれたくしゃみ先生がいましてね。実際に「人の身長よりも遥かに高く積み上げられたビーバーのダム」だとか、「ダム湖の真ん中の木を組まれた巣」だのを見たことがあると教えてくれました。それでどうやら、この本に書いてある動物の他の生態やら風習やら何やらの数々も多分に本当らしいぞと。
 バージェスのような中学年あたり向けシリーズは他にもあったと記憶していますし、近年でも、冒頭に挙げたアニメのように、かつての自分のように自然界に興味を持たせるような手段というのが、昔ながらのものや、現代ネット情報社会ならではのものなど、色々と考えられると思うんですがどうなのかしらね

 小学6年生の少女フォーミュラレーサーが活躍


 漫画のような展開というか女性進出物(『野球狂の詩』の水原勇気など)を思い出した人の年齢を問うなかれ。それくらいはオタの基礎教養。が、チキチキマシン猛レースミルクちゃん(ペネロッピー)を思い出した人に対してはさすがに(略

 足を伸ばせ


 その時にはまってるモノごと、いろんな場所に聖地巡礼に行くオタは、休日も家や会社に引きこもる下手な非オタよりも、立派に現実世界に生きている、とあるオタが言った。オタの活動など現実逃避なのだからオタを味方につけようとする麻生さんの政治活動は非現実的、とつるっぱげ監督が言った。
 オタらはオタジャンルを現実に沿わせて現実世界を生きることに成功している? それとも現実をオタジャンルといっしょくたにしたオタ世界に生きているだけ? それをこれから考えてみようじゃあないか(自分で考えてみる気は無い)